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プレゼントしてもらったスタバのチケットを友達の誕生日に送り返すのをやめることにした

僕は冗談抜きで月30でスタバに通っていて、毎日狂ったようにスタバに来たストーリーをインスタに上げている。(本名でやっているアカウントの方で)

僕の友達はそれを見てくれているから、誕生日になるとスタバのドリンクチケットをプレゼントしてくれる。使ったことがある人も多いと思うが、LINEではスタバをはじめとするいろんなギフト券を友達に送ることができる。こんな感じで。

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友達がスタバのチケットをプレゼントしてくれるのはとっても嬉しく、幸せなことで、直近の誕生日には数十枚単位で友達がプレゼントしてくれた。みんなに感謝しながら毎日スタバでチケットを使っている。

ただその一方で、もらったスタバのチケットに対し、僕はどうお礼をしたらいいのかに悩んでいた。そして考えた結果、スタバのチケットをプレゼントしてくれた友達の誕生日に送り返すのをやめることにした。

「人からもらっといてお返ししないなんて失礼だ」

と思ったそこのあなた。ちょっと待って欲しい。僕は誰よりもお金に対して真剣に向き合っている。このスタバのドリンクチケットに対しても同じだ。今日も友達がくれたスタバのチケットでグランデサイズのコーヒーを飲みながら、代官山の蔦屋書店で真剣に考えた。


僕は以前まで誕生日にスタバのチケットをプレゼントをしてくれた友達には、しっかりと彼らの誕生日に同じようにスタバのチケットを送り返していた。LINEにはその人の誕生日が表示されるから、見逃すことはない。「おめでとう!」のメッセージと一緒に、その友達の誕生日にスタバのチケットをプレゼントしていた。

でも、何か違和感があった。果たしてこれはプレゼントなのだろうか。僕は、失礼なことをしているんじゃないか?

「送ってくれた相手にきっちりお返ししてるんだから失礼なわけないだろう。送り返さない方がよっぽど失礼だ!」と思う人もいるかもしれない。でも本当にそうだろうか。

一連の流れを俯瞰して見てみよう。僕の誕生日に、とある友人Aがスタバのチケット500円分をLINEギフトでプレゼントしてくれたとする。僕はそれをスタバで使う。そしてAの誕生日が来たら、同額のスタバのチケット500円分を送り返す。Aはそれをスタバで使う。至ってシンプルな流れだ。

しかし、シンプルすぎる。なぜかって。だってこれはただ500円をLINEで送り合ってプラマイゼロになっただけだからだ。お互いが同じものをLINE上で送り合い、結果として打ち消しあっている。これはプレゼントをお返ししたことにはならないと僕は思うのだ。

ではAから500円分のチケットをもらったから、今度はAの誕生日にちょっと豪華な700円分のチケットを送ったとしよう。これなら自分の方が200円多く出しているから、プラマイゼロじゃない。では、これはプレゼントとして成立しているだろうか。

答えはノーだ。成立していない。これもまた同じく、LINE上でお金を送り合ってるだけにすぎない。もっと言えば同じ額を送るよりもタチが悪い。700円分のチケットをもらったAは、翌年の僕の誕生日には1000円分送らなきゃと思うはずだ。なぜなら自分が送った金額よりも大きな金額が返ってきたから、その差を埋めなきゃと考える。そして翌年Aから1000円分もらった僕は、またAよりも多く送らなきゃと考えてしまう。以降はその繰り返しで、お互いに幸せにならない。同じものを送り続ける限り、どうしても金額の大きさで比べてしまう。そのためより多くをもらったら、さらに多くを返さなくてはいけないと考えてしまうのだ。

ここでプレゼントの本質に立ち返ってみよう。大前提として、Aはスタバのチケットをもらって嬉しいのだろうか。世の中にはスタバに行かない人もいる。スタバに行かない人がチケットをもらったところで、全く嬉しくないだろう。むしろ「もらっちゃたから使わなきゃ...」と余計なストレスをかけることになる。スタバが生活圏内にある人ならいいかもしれないが、地方に住んでいてそもそもスタバが車で1時間の所にしかない人からしたら迷惑だ。

そもそもプレゼントとは何だろう。皆さんがもらって嬉しいプレゼントはもちろん人によって違う。しかし一つだけ確実に言えることがある。それは「自分のことを考えて選んでくれたプレゼントなら何でも嬉しい」ということだ。

「いつも寒そうにしてたから」と彼女がマフラーをプレゼントしてくれたら、絶対に嬉しい。「君に合うと思って」と彼氏が香水をプレゼントしてくれたら、絶対に嬉しい。例え本当は自分が好きなブランドでなかったとしても、自分のことを考えて、お店まで足を運んで、店員さんと相談しながら真剣に選んでくれたプレゼントなら、何だって嬉しいはずだ。つまり、プレゼントは「何をあげるか」ではなく「どういう過程で選んだのか」が大切なのだ。

僕の友達が僕の誕生日にスタバのチケットをプレゼントしてくれたのは、僕がほぼ毎日スタバに通い詰めていることを知っているからだ。「中島いつもスタバにいるからプレゼントしよう」と、僕のことを考えて貴重なお金と時間を使ってプレゼントを選んでくれた。こんなに嬉しいことはない。

しかし「あのときくれたから」という理由だけで友達の誕生日にスタバチケットを送り返すとき、僕は相手のことを何も考えていない。「彼は何が好きなんだろう」「何をプレゼントしたら喜んでくれるのかな」プレゼントで1番大切な「どういう過程で選んだのか」がすっぽり抜けているのだ。ただ機械的にチケットを買って、デジタル上でお金を送っているだけだ。これはプレゼントとは呼べない。

だから僕はスタバのチケットを友達の誕生日に送り返すのをやめた。そして、僕にしか提供できない価値で恩返しをすることにした。それは相談に乗るとか、役立つ情報をシェアするとか。行って良かったお店を紹介したり、一緒に行くとか、本をプレゼントする、とかいろいろある。お金を介さずとも、プレゼントをすることはできる。相手のことを考えず機械的にスタバチケットを送り返すより、こっちの方が立派なプレゼントだ。

いま僕が飲んでいるスタバのグランデサイズのホットコーヒーには、チケットをプレゼントしてくれた友達の「誕生日おめでとう」のメッセージが込められている。素敵なプレゼントを選んでくれた友達に、僕も恩返しがしたい。それは同じスタバのチケットじゃなくていい。自分にしか提供できない何かで、友達が喜ぶ何かをプレゼントすればいいんだ。スタバでコーヒーを飲みながら、また一つ大切なこの世の真理を見つけることができた。

それでは素敵な1日を。

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