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清濁のバランス感覚

気がつくとバランス感覚が悪くなっている時がある。
それは長年、扁平足で土踏まずがないからバランス感覚が悪いという物理的なものではない。心的なバランスで、それがグラグラとする時が月に一回くらい、特に月末に来ることが多い。ポジティブとネガティブのバランス。

清濁を合わせ飲む。という言葉が結構好き。
ただし出来るとは言っていない。気がついたら「清」ばかりをアウトプットしていたり、目を向けてしまうことが多い。
例えば、仕事や自分の取り組んでいることによるポジティブな影響やそれを人に話す時のワクワク感といえば良いだろうか。とにかく良い部分だけをフィーチャーしていまう癖がある。

過ぎたるは及ばざるが如し。という言葉も結構好き。
孔子が言ったとされる言葉で、やり過ぎは足りないことと一緒やで。というような意味だった。
人はポジティブであることは大事かもしれないが、それは過ぎれば”くどい”とか”まぶしい”とか、あんまり良くない。昼白色の電球よりも、電球色(オレンジ色)の方が心地いいと感じるのはそれゆえなのではないだろうか。

「人生楽しんでるね」「悩みとかなさそう」
という言葉が相手から出始めたら、黄色信号だと経験上学んだ。それは相手からしてみると、もうポジティブはお腹いっぱいです。の意だと思っている。その言葉が出る前に気づくことがこれからの課題だけれど、今は出てからは相手の話を聞くか、路線を変更するようにしている。

大前提、人生は楽めた方がいいじゃんとは思う。ただ、悩みは別に誰にでもあるだろうし、それをなんでもかんでも人に言うのもな。という想いもある。
ただ、綺麗すぎるものを人は好まないことを経験上知っている。
それは自分との共通項が少ないだとか、1番は「人間味」が感じられないからだろう。ぼくはまだ人間を食べたことがないからわからないけれど、結構この人間味が関係構築では大事なんだと肌で学んでいる。

地球上のエネルギーはほぼ全て太陽からのエネルギーを元にしているらしい。植物や動物、それこそ化石燃料も過去の太陽エネルギーの貯蔵と言い換えられる。
とはいえ、その太陽だけではまぶしすぎて、人は月のような静けさや暗さというものも同時に求めるよう。ふむふむ、不思議だなぁ。

心がグラグラする時期はぼーっとする時間を増やすに限る。
このグラグラは壊れそうでグラグラではないことも知っている。清濁のバランスを整えるため、山のように積み上がった粉をトントンと平らに戻している感覚に近い。人には濁りがあること、そして濁りが必要であることを再度認識する。

敬愛する秋田道夫さんの言葉がようやく1nmくらいわかった気がする。
「別にポジティブでもありません。機嫌がよいだけです。」

変にポジティブであることもなく、時には濁りながらも、心は自由に。
今日もごきげんに生きます。

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