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理科における仮説設定とは何か

理科の授業では、問題解決の流れに沿って授業を進めることが多いです。
問題解決の流れとは、大まかに書くと

問題設定→仮説設定→実験計画→実験(観察)→結果の処理→考察→結論

というものです。
この内、今回は2番目の仮説設定に注目します。

仮説とは何か

仮説設定とは何かという問いはシンプルですがとても難しいです。
というのも、研究者によって仮説とは何かという考えが違うからです。
理科教育の世界でも同様で、定義が混乱しています。

そこで私は、過去100年の本や論文から、「仮説とは何か」について書いてある部分を集めて、表に整理しました。
ここでは一部を紹介すると、

*高野(1969)
「科学においてある現象を説明するのに用いられ,その確実さが経験的な方法でまだ実証されない仮定」
*Quinn & George(1975)
「所与の問題状況における検証可能な変数関係の説明」
*Guisasola, Ceberio & Zubimendi(2006)
「探究の過程を導く暫定的な説明」
*角屋・林・石井(2009)
「事物・現象から見いだした問題を合理的に説明するために,前もって仮に立てた考え。」

このように、文献によって仮説の定義は少しずつ違うのですが、共通している部分を取り出して定義をつくるなら、
仮説とは、「目の前の問題状況に対する暫定的な説明」であると言うことができます。つまり、採用されるかどうかは分からない一時的な説明であるということです。そしてこの仮説を設定するのが仮説設定の段階です。

科学における仮説設定の歴史

実は、初期の自然科学においては、仮説を立てることに反対していた科学者もいましたここでは、科学における仮説設定の歴史を簡単に説明します。

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仮説を立てるというアイデアを歴史的に遡ると、プラトンにたどり着きます。プラトンは、問題を考える上で何かしらの前提を設定することを主張しています。

時代が進み、自然科学の初期の時期になると、仮説設定について考え方の対立が起きます。
ニュートンを中心とするイギリス系の科学者は、仮説設定は不要であると考えていました。なぜなら彼らは、実際に起きていることをじっくりと観察して、そのデータから結論を導くのが科学だと考えていたからです。仮説を立てるという行為が、彼らにはひどく曖昧で非科学的なものに思えたのでしょう。

これに対して、ライプニッツをはじめとする大陸系の科学者は、仮説設定は必要不可欠として反論していました。
仮説設定をめぐるこの対立は、形を変えてこの後も続くことになります。

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20世紀にはいると、科学とは何かを考える学問である「科学哲学」も巻き込んで、仮説に関する考えの対立が続きます。

ポパーやファインマンといった研究者は、仮説が研究者の直感や推測によって出てくるものだと考えていたので、仮説設定よりも、それを検証する過程が重要であると考えていました。言い方を変えれば、仮説設定を論理的・合理的なものとして考えていませんでした。

一方、ハンソンやパースといった研究者は、仮説が研究者の論理的・合理的な思考によって導かれるものだと考えていました。なので、仮説設定の過程を科学的に分析することは重要だと考えていました。

私も後者の考え方に賛成です。なぜなら、科学者が直感や創造性に依存して仮説を立てているとしたら、説明のつかない現象があるからです。例えば、村上陽一郎さんは『新しい科学論』という本の中で、次のような現象を指摘しています。

期せずして同じ内容の発見が,お互いに連絡も競争関係もない何人かの別々の人びとによって,偶然に,同じ時期に行われる,ということがよくある

また、原因として、その時代において共通の前提となる世界像や自然観の存在を挙げています。つまり、その時代の科学者には共通のバックグラウンドがあって、そこを基盤に科学者が考えているのだから、同じ時期に同じ発見が重なることがあるのだということです。
仮に、仮説設定が創造性に依存するものであるとすれば、この現象を説明するためには、科学者が皆同じような創造性を持っていると仮定する必要があるので、現実的ではありません。よって、仮説は研究者の論理的・合理的な思考によって導かれるものだと考えることができます。

このような歴史上の考えの対立は、理科教育の研究にも影響しました。
理科教育の世界でも、実験や考察といった問題解決の後半部分が多く研究されたのに対して、仮説設定の過程は研究があまりされてこなかったのです。

理科における仮説設定の問題点

歴史上の経緯もあり、理科教育の分野では、仮説設定の研究が遅れています。それでも、いくつかの研究成果から、理科における仮説設定の問題点を指摘することができます。

①仮説とは何かが不明確
すでに書いたように、仮説とは何かの定義が曖昧になっていることで、学校現場や学習指導要領レベルでも混乱が見られます。
例えば、多くの文献で「予想」と「仮説」は別のものとして明確に区別しているのですが、学習指導要領では同等のものとして、「予想・仮説」と併記しています。「予想」は、実験計画を立てた後に、実験の結果がどうなるかを考える(予測する)ものであり、「目の前の問題状況に対する暫定的な説明」である「仮説」とは別物です。

②どのように評価するのか
仮説設定の評価は、結果や考察の評価と比べてとても難しいです。
結果や考察の過程は、必要なことが記録されているかや、問題に正対した論になっているかなど、正しさの基準が明確です。なので評価も比較的簡単です。
それに対して、仮説設定の評価は基準が難しいです。あくまでも暫定的な説明なので、科学的に正しいかどうかで評価することはできません。立てられた仮説自体は同じでも、そこに至るまでの思考は違うかもしれません。例えば、様々な変数を吟味した子と、当てずっぽうで考えた子と、塾で習って知ってたことを仮説として書いた子が同じ仮説を立てたら、3人は同じ評価でいいのでしょうか?
仮説設定の評価は、これまで大きく分けて4つの方法が試みられてきました。どの方法も、メリットとデメリットがあります。学校現場レベルではどうしたらいいのか考えていく必要があります。興味がある方は、こちらの論文にまとめたので、読んでみてください。

③思考過程がよくわからない
科学者がどのような思考過程を経て仮説を立てているのかという研究はあっても、理科で子供がどういう思考過程で仮説を立てているかということは、あまり研究されていません。②の評価の話とも関連して、理科の仮説設定における子供の思考過程を検討していく必要があります。これが明らかになれば、評価の問題も解決するし、指導方法の改善にもつながります。

今後は、これらの問題点を理論と実践の両側面から考えていく必要がありそうです。

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