普通とは何かを理解してみる
こんにちはsomekichiです。
突然ですが、普通ってなんでしょうか。「普通に考えて~」「普通~だろ」みたいに、日常的に会話に使われることが多い単語ではありますが、「普通とは何か」という問いに対して「~~である」と答えられるかというとsomekichiは自信がありません。
今回はそんな「普通」という言葉に対して、どのように捉えたらよいのか、somekichiの考えを中心に考察していきたいと思います。
「普通」の定義
goo辞書によると普通とは「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。」とされています。確かにそのような文脈で使われることが多いように思いますね。
その他、goo辞書には以下のような意見がありました。
◆上を見たらきりがないぞと諦めながら、下を見たらまだまだいるぞと安堵できる場所および立場。
◆何でもないように見えて、じつはとても幸せなこと。
◆当たり障りのない言葉として選ぶ、便利な語。
◆自己の型、基準。人は「普通は…」と述べ自分の感覚に周囲の世界をねじ込もうとする。
◆無意識に習慣づいたこと。
なるほどです。確かにどれも「普通」に対して当てはまりそうな気がしてきますね。
これだけの意味を含んでいる単語って日本語の中でもレアなのではないかと思います。これは「人と捉え方によって変わる言葉」であるということが言えそうです。
過去の哲学者はこう言った
なんだか哲学っぽくなってしまったので、哲学者に聞いてみましょう。フランス生まれの哲学者デカルトは「常識」に対して以下のような言葉を残しています。
「常識」や「普通」といった言葉はその時代の「共通認識の多さ」「多数決の結果」としています。そしてデカルトは以下のような言葉も残しています。
つまり、「賛成の数が多いからといって、それが価値のある証明にはならない」ということです。
普通に囚われすぎないこと
常識に倣った行動が必要な時はもちろんあります。コミュニティの中で生きている私たちは、周りと協調性を担保しながら生活していく必要性があります。
ですが、普通に囚われすぎてしまうことで「自由な発想」を奪われてはいけません。自由な発想は、常識を変えることができます。常識を変えていかなければ、私たちは進化できず生存戦争に生き残ることができません。
本来は私たちは、発明・進化・発展を繰り返し、生き残ってきた過去があり、「存在している課題」に対して「思考・解決」を繰り返してきました。つまり、常識を人類が絶滅しない程度に変えていかなければいけません。つまり、普通・常識は時代によって変わります。
最後に
「小さな普通を疑う」ことが私たち個人単位でできることであるとsomekichiは考えています。
自分に不利益である「普通」は変えていかなければいけません。「昔からこうだから」と普通を形骸化させてはいけません。
仕事でも趣味でも家族の事でも、常に「これを当たり前にしていいのか」を考えていき、「存在している課題」に対して「思考・解決」を繰り返していきたいものです。
※本記事は大いに作成者の意図が混じっていることをご留意ください。
ここまで本記事をご覧いただき有難うございました。最後の最後に哲学の面白い本を以下に紹介してこの記事の締めとさせていただきます。
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