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商店街は、なぜ廃れるのか

 仕事の都合で、いろいろな所に行く。地方でも賑わっている商店街もあれば、東京だって冴えない商店街がある。その違いを地元の人に尋ねると、「人口が減った」「高齢化が進んだ」「郊外に大型ショッピングモールができた」・・・等々いろいろな理由を述べられる。たしかに、それらも一因だろう。しかし、ほんとに、それだけなのか? もっと構造的で根源的な理由がありそうだと感じられる。

 ぼくが住んでいるところの最寄り駅は、新宿という巨大ターミナルにつながる私鉄の駅だ。その北側の狭い一本道(幅員5、6mではなかろうか)を15分くらい歩いた所に、昭和32年から東京都住宅供給公社が開発した約1000世帯にもなる巨大団地(鉄筋アパート)がある。東京区部に住む住民は、基本的に公共交通手段で移動するため、その団地住民は通勤、通学、あるいはショッピングのため都心に向かうのに、その一本道を歩いて駅に向かう。そして帰りは同じように、駅から団地まで歩くしかない。

 その道は、通行人と自転車とでごった返している。当然のように両側には小さな店がびっしりと建ち並んで賑わっている。チェーン店が進出したくても、店が空かないので出店もできないほどだ。やっと近年になって、経営者が高齢化して廃業したのであろう、チェーン店もボチボチでき始めた。それでも大型店は難しい。金物屋のあとがコンビニになった程度だ。

 一方の南側といえば、これも大住宅地だが、けっして一本道ではない。駅から降りる人々は散っていってしまうのだ。だから商店もあるが商店街といえるほどのものではない。

 そう、北側の商店街がなぜ賑わっているのかといえば、その道を歩く必然性があるからだ。よく全国から視察に来るような商店街(烏山だとか大山だとか)には、みな、その必然性がある。つまり、商店街は歩く人のために存在するといってよかろう。人の歩く速さは、だいたい1秒で1mである。間口5mの店なら5秒間は店の前にいるのだから、店の中も見えるだろうし、看板も読めるだろう。ところが自動車の速さは1秒で10m(時速36km)以上だ。あっという間に通り過ぎてしまう。

 駅前を整備して、ロータリーにバスターミナルや送迎のための自家用車停車場を設置しているところを、よく見かける。そして駅前商店街は廃ってしまう。歩く必然性がなくなったからだ。駅から降りたら、目の前にいるバスか迎えの車に乗ってしまえばいいからだ。駅前を整備したら、ロータリーは徒歩5分のところに設置したらいかがだろうか。駅とロータリーの間の歩行者専用道(ここにアーケードがあれば完璧だ)にできた商店街は賑わうことだろう。

 話しは駅前に限らない。商店街を振興しようとするならば、まず歩く必然性をつくればよい。そのためには多くの人が行かざるを得ない拠点(市役所の窓口だったりコミュニティーセンターだったり)を置いて、駐車場は徒歩5分のところに集約する。その間はアーケード方式にすればいい。

 大きな神社は、この仕組みになっている。駐車場を降りてから参道を歩かなければならない。すると参道の商店は賑わう。もし神社のすぐ脇に大駐車場を作ってしまったら、参道の商店は廃れてしまうに違いない。

【結論】 車社会に最適化した街づくりが、歩行者のものであった商店街を廃らせた。商店街を復活しようとするなら、車と徒歩とを組み合わせた最適化が必要だ。ます目的となる拠点を設置すべし。そこから離れた場所に駐車場を集約すべし。その間は歩行者専用で快適に歩けて楽しくなる仕掛けをもった道をつくるべし。そこに賑わう商店街が形成されるだろう。

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