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【70年を読む】丸山眞男『日本政治思想史研究』|〈解題〉宇野重規

文・宇野重規

本書は戦後日本の政治学を主導した丸山眞男のデビュー作である。1940年から44年までの間に発表された三つの論文から構成されるが、特に江戸時代における「国民主義」の形成を論じた第三論文に至っては、出征のその朝に新宿駅で同僚の辻清明に原稿が手渡されたという。いずれも鋭い緊張感の下、丸山独自の鮮やかな論理展開が示されるが、今となっては古めかしい文体の下に、若き日の政治学者の知的興奮と不屈の精神がうかがえる。

しかし、この本を現代の僕らはどのように読むべきなのだろうか。伊藤仁斎−荻生徂徠−本居宣長を中心とする江戸思想史の研究書として読むなら、問題点は明らかだろう。何より、著者自身、後年認めているように、江戸の「正統的イデオロギー」である朱子学が仁斎・徂徠らの批判を受けて解体したという図式自体がもはや成り立たない。朱子学が社会的イデオロギーとして普及したのは古学派の挑戦と同時代であり、その後むしろ幕末に向けてより強固な存在へと成長していったからである。

また仮に「正統的イデオロギー」の解体が見られるとしても、そこに近代的なイデオロギーの発展を読み込むことにも無理がある。特に徂徠における聖人による制度の創設を近代的な「作為」の論理として捉えることには、現在では多くの批判がなされている。そもそもシュミットの影響が強く見られる丸山の近代理解が、問い直しの対象となるはずだ。

とはいえ、そのことを前提にしてなお、この本には独特な魅力がある。朱子学に対抗して仁斎の古義学や徂徠の古文辞学が発展し、日本独自の儒学が展開するとともに、特に徂徠学派との関係で、逆説的に宣長の国学への道が開かれるという生き生きした江戸思想史の語り口は、今なお魅力的である。時代と社会の変化の中で、思想がダイナミックに発展し、変化していく思想史の醍醐味を味わうのに本書に優るものは少ない。

さらに、これは問題点と表裏一体であるが、西洋思想史を意識しつつ、日本思想史を巨視的に捉える理論的図式を打ち立てた理論家としての丸山は、あらためて再評価すべきではなかろうか。自然を貫く「物理」と人間を貫く「道理」の連続性が解体する中で、「公的なもの」と「私的なもの」とが分離し、そこに人間性の解放と政治の自立を見出す。このような丸山の図式は、言うまでもなく、朱子学を中世のスコラ哲学に見立ててのものである。ボルケナウの『封建的世界像から市民的世界像へ』を強く意識しての丸山の論理展開は、それが実証的に妥当かはともかく、やはり理論的営為として面白い。

そしてこれは徂徠論や幕末思想論に顕著だが、「危機の思想」に対する丸山の独自の注目も味わい深い。現存する政治体制とその理論的基礎が大きく揺らぐ中、新たな思想的根拠を模索しつつ改革の前線に立つ人間の悲劇を描くとき、丸山の筆致は冴えわたる。いかに安定した体制もいずれは動揺し、そこで思想的に苦悩する人間は必ずしも報われることがない。それでも、そのような思想家を描くとき、丸山の視点はどこか共感的である。

宇野重規(東京大学社会科学研究所教授)


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丸山眞男『日本政治思想史研究』
日本近世社会における正統的な儒教的世界観の内面的崩壊過程を問題史的に解明し、〈自然〉〈作為〉の対抗の中に日本思想の近代化の型を探求。戦後の日本思想史研究の道を切り開いた古典的名著。新装版。毎日出版文化賞受賞。ISBN978-4-13-030005-6 発売日:1983年(初版は1952年)

主要目次
第一章 近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連
第二章 近世日本政治思想における「自然」と「作為」――制度観の対立としての――
第三章 国民主義の「前期的」形成
あとがき
英語版への著者の序文
人名索引

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