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秋は夕べと誰か言ひけん

部分月食は見逃しましたが、この写真は、優しい秋の朝の遠景です。
「秋は夕べと誰か言ひけん」

「薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕べと誰か言ひけん」(新古今和歌集・秋上・340・藤原清輔)
*薄霧のたちこめる籬の花は、朝しっとりとしめっている。誰が秋は夕べがいいと言ったのでしょう。秋の朝も素晴らしいですよね。

「誰」はもちろん清少納言、後の歌人にも大きな影響を与えた『枕草子』。『枕草子』をこよなく愛するがゆえの歌です。「春は曙」の空や山から、小さな近景の花(何の花かはわからない)に視点を転じた、名歌です。この季節、上句を変えて楽しむのもいいですね。

後鳥羽院にこんな歌もあります。
見わたせば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(新古今和歌集・春上・36・後鳥羽院)
見渡すと山の麓が霞み、そこに水無瀬川が流れている。夕べは秋がいいとどうして思っていたのだろうか。春の夕べも素晴らしいではないか。

藤原良経主催の『六百番歌合』には「春曙」「夏夜」「秋夕」「冬朝」の歌題が設けられています。もちろん『枕草子』による題です。この『六百番歌合』に、次のような「秋の曙」を詠んだ歌があります。

いさ命思ひは夜半に尽き果てぬ夕も待たじ秋の曙
(『六百番歌合』恋四・一一番右・朝恋・慈円)
俊成の判詞は「(略)春の曙こそ艶なることには言ひならはして侍るを、秋の明ぼの、あたらしくやと覚え侍れど(略)」。

俊成の判詞に言う「春の曙こそ艶なることには言ひならはして侍る」というこだわりは、『枕草子』だけではなく、王朝物語世界の春の曙も視野に入れないといけないように思います。春の曙・秋の夕暮の歌語の歴史を辿った論文に、高橋介氏の「春のあけぼの 秋のゆふぐれ―新古今歌人の一視座―」(『文学史研究』二〇、昭和五五・八)があります。高橋氏によると、「春の曙」が歌語として和歌に詠まれたのは、『源氏物語』手習巻の浮舟の詠あたりが古い例のようです。

閨のつま近き紅梅の色も香も変らぬを、「春や昔の」と、こと花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりしにほひのしみけるにや。後夜に閼伽奉らせ給ふ。下﨟の尼の、すこし若きがある、召し出でて花折らすれば、かごとがましく散るに、いとど匂ひ来れば、
  袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの

「春や昔の」は言うまでもなく『伊勢物語』四段を指しています。

またの年の正月に、梅の花ざかりに、去年を恋ひていきて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて去年を思ひいでてよめる、

月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

とよみて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣くかへりにけり。

新古今歌人たちが、それはもうこよなく愛した場面であり、歌です。

また『夜の寝覚』などにも、『伊勢物語』四段を踏まえた「春の曙」の歌が見られます。

いつとだに憂き身は思ひわかれぬに見しに変はらぬ春の曙(『夜の寝覚』巻四)
さきにほふ花もかすみももろともに見しながらなる春のあけぼの
(『物語二百番歌合』後百番歌合・三番右)

『伊勢物語』『源氏物語』『夜の寝覚』における「春の曙」は、作中人物が今ここにないものに思いを馳せ、感情を高ぶらせていく時間として捉えられています。俊成が「艶」としたのも、そのあたりに理由がありそうです。

文治・建久期には「~の曙」という語が流行し、「夏の曙」「冬の曙」も詠まれました。しかし、春以外の曙を詠んだ歌は、『新古今集』に入集しませんでした。その後の勅撰集においてはどうかというと、『玉葉集』『風雅集』のみに三首の用例が見出せます。
  吹きしほる四方の草木にうら葉みえて風にしらめる秋の明ぼの(『玉葉集』秋上・五四二・永福門院内侍)
  むらむらの雲の空には雁なきて草葉露なる秋のあけぼの(『玉葉集』秋上・五八八・親子)
  昨日までかすみしものを津のくにのなにはわたりの夏のあけぼの(『風雅集』夏・三○一・藤原良経・老若五十首歌合)

『風雅集』の例は新古今歌人の藤原良経の歌ですが、『玉葉集』の二首は京極派歌人の作です(昨日の中世文学会大会では「京極派とは」について考えさせられる、興味深い発表がありました)。いずれも叙景歌です。『六百番歌合』の頃あれほど流行しながらも、『新古今和歌集』には受け入れられなかった「~の曙」の歌が、『玉葉集』『風雅集』において初めて入集歌となったのですね。こういう例は他にもあるのですが、またいずれ話させてください。

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