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クリスマス休戦 1914年のクリスマス

この記事はpaiza Advent Calendar 2020の 22日目の記事です。

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この記事では、1914年のある地域のクリスマスについて話します。
ちなみに、1914年というと日本は大正時代であり、鬼滅の刃で竈門炭治郎たちが活躍しているのが丁度この辺りの時代設定ですね。 

「クリスマスまでには帰れるさ」

これはおそらく、人類史上最も有名な死亡フラグのひとつである。

言うまでもなく、彼らがクリスマスまでに帰ってくることはなかった。

この記事では、そんな彼らが過ごしたクリスマスについて紹介する。

・20世紀最初の戦争

1914年7月28日に第一次世界大戦がはじまった。
この戦争は20世紀最初の戦争であり、民主主義の最初の戦争でもあった。
これまでの戦争と全く違う、新しく恐ろしい戦争であった。

20世紀の戦争の恐ろしさを記す前に、19世紀までの戦争について簡単に説明する。
19世紀までの戦争は、基本的に「王様 対 王様」の戦争であった。
戦場で戦うのは、王家や貴族の騎士たちであり、勝ち取った利益を受け取るのも、王家や貴族だけであった。
王家や貴族の蓄えが無くなれば、その時点で戦争の継続は困難となる。
そのため、早々に話し合いがおこなわれ、停戦なり終戦となる。
(有名な「百年戦争」も、100年戦い続けたわけではなく、戦っては止め、戦っては止めの繰り返しであった。)
このように、19世紀までの戦争は王や貴族のものであり、そこに一般の国民が直接関与することはなかった。

しかし、ナショナリズム(民族意識)が育まれるようになると、この状況が変わってくる。
まず、ナショナリズムを煽ることで、国民を戦争に徴用することができるようになった。
すると、各国が、いわゆる「国民軍」を持つようになる。
国民軍には「戦争の大義」を示してやる必要がある。
「政治家が私服を肥やすために、最前線で戦ってください」では、国民軍が動かないのは言うまでもない。
そこで各国は、「国民のための戦争だ」「正義を示す戦争だ」「民主主義のための戦争だ」などと綺麗なスローガンを掲げる。
これが、絶望の始まりとなる。
19世紀までの、王様同士の戦争は利益のためにおこなわれた。
そのため、「これ以上戦っても利益がない」と分かれば、そこで戦争をやめることができた。
しかし、「正義のため」「民主主義のため」に戦っているのであれば、「戦争をやめる」ということは、自国の正義イデオロギーを否定することになる。
つまり、20世紀以降の戦争は、「1度はじめたら簡単にやめられない戦争」になったのである。
そのため、第一次第二次世界大戦は、国家総力戦となり、甚大な被害をもたらすこととなる。

そのことにまだ、多くの人類が気付いていない、1914年。
兵士たちは、「クリスマスまでには帰れるさ」と言って汽車に乗り込んでいった。

・塹壕戦

開戦後、ドイツ軍は西に侵攻していくが、戦線は膠着。
やがて、ドイツ軍は塹壕を掘りはじめる。
すると、塹壕にいる側は身を隠しながら射撃できるが、塹壕がない側は全身を曝け出す格好となる。
それでは一方的にやられてしまうので、敵軍(英仏)も塹壕を掘りはじめる。
互いに塹壕を掘りあう戦争では、自軍の塹壕が敵の塹壕に回り込まれると、完全に包囲されてしまう。
そこで、互いの軍は、敵に回り込まれまいと、塹壕を横へ横へと伸ばしていった(伸翼競争)。
1ヶ月半で、その長さは600kmに達した(東京〜岡山間ほど)。

塹壕の中での暮らしについては、多くの兵士の手記が残っているが、どれを読んでも地獄絵図であることが示されている。
敵の射撃や砲撃以上に、雨の辛さと衛生面の劣悪さを嘆く記述が多い。
狭い塹壕に押し込められ、当然風呂には入れない。また、トイレは適当に掘った穴を使う。
雨が降ると、穴から糞尿が溢れかえり、感染症を引き起こす。
屋根もないので、体は濡れ、泥水に浸かった足は感覚がなくなるほど冷たくなり、やがて壊死する(塹壕足)。

ちなみに、そこで生き残るために作られたのがトレンチコートである。(trench : 塹壕, 溝)
布地は防水・撥水加工で、肩には双眼鏡や水筒などを吊すストラップがあり、襟を立て、袖のストラップを締めることで雨風を凌ぎ、ベルトの金具に手榴弾を繋ぎ、右胸の当て布に小銃のストックを当てて、射撃を安定させる。
トレンチコートのデザインには、一日でも長く生き、一人でも多く殺すための知恵や工夫を見てとることができる。


・1914年12月24日

「クリスマスまでには帰れるさ」
そう言って出発した兵士の多くは、(運よく生き延びていれば)その年のクリスマスイブを、塹壕の中で迎えた。
そんな、1914年の12月24日から25日にかけて、フランドル地方を中心に発生したのが、かの有名な「クリスマス休戦」である。

クリスマス休戦は、自然発生的な休戦であった。クリスマスを祝おうとする兵士が恐る恐る塹壕から出てきて、敵陣の方向へと歩いていった。敵軍は一斉に銃口を向けるが、敵意がないことがわかると、両軍の兵士が塹壕から出てきた。そして、両軍の塹壕の中間地点で、兵隊同士による、酒やタバコ、チョコレートをなどの交換、記念写真の撮影、放置されていた遺体の共同埋葬、空き缶や土嚢を使ったサッカーの試合などがおこなわれた。

休戦といってもあくまで自然発生的なものであり、また、前述の通り塹壕は600kmに及ぶため、休戦の形は地域によってさまざまであった。
一切休戦がなかった地域もあれば、クリスマスを祝おうとした兵士が射殺された地域もあった。
反対に、そのまま元旦まで休戦していた地域も存在する。

休戦があけると、両軍は陣地に戻った。束の間の友情に蓋をして、互いの塹壕に向けて銃撃を再開し、殺し合った。

やがて、塹壕を突破するために戦車が開発され、固い戦車を破壊できるように砲弾が強化され、砲台を破壊すべく航空機が爆撃をおこない、爆撃から身を隠すべく地下に潜ると、そこには毒ガスが投げ込まれた。
こうして、第一次世界大戦は戦争の常識を覆しながら、4年にわたって続き、計1,600万人の命を奪った。

なお、翌年以降、こうした休戦は一度も発生していない。

メリークリスマス

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