作家インタビュー

第08回 大島ミチル先生

長崎市出身。3人姉妹の次女として生まれる。国立音楽大学作曲科卒業。在学中から、作・編曲家としての活動を始め、映画音楽、CM音楽、TV番組音楽、アニメーション音楽、施設音楽など様々の分野で活躍。在学中に、交響曲「御誦(オラショ)」を発表。その後もNHKスペシャル「大英博物館」「太平洋戦争」「生命~40億年はるかな旅」などの大規模な番組も手がけ、各界から注目を集めている。その他、映画「釣りバカ日誌」「失楽園」「長崎ぶらぶら節」や、TVドラマ「ごくせん」「よい子の味方」NHK朝の連続テレビ小説「あすか」など多くのヒット作品もある。第21回、第24回、第26回の三度に渡る日本アカデミー優秀音楽賞、毎日映画コンクール音楽賞なども受賞。また、吉永小百合さんの原爆の朗読詩「第二楽章」の音楽も手がけ、各地で朗読会に参加するなど幅広い活動をしている。

泣き虫で“お母さんっ子”だった少女時代

幼い頃は、とにかく人見知りの激しい子で、母親以外の人にはなつかなかった大島先生だそうですが、一方、物心ついた頃より「絵画教室」や「オルガン教室」にも通われていたとか…。
まずは、そんな懐かしい少女時代の思い出からお話いただきました。

「音楽より先に、2才位から絵を習っていたんです。というのも家で、落書きばかりするので絵を習わされたみたい。(笑)当時は、ものを表現するために“描く”という事が好きだったみたいですね。次には姉が音楽教室に通っていた時は、そこへ母に連れて行かれると、一人で歌ったりわめいたりしていたので…。今度は幼稚園の時、オルガン教室に入れられたんです。(笑)人見知りする子でしたが、そういうものを与えられると、自分で表現するのがとても好きだったみたいですね。でも家の中では、母がいなくなると、いつもピーピー泣いていたみたいです。それ(泣き虫)が直ったのは、ある時、母が結婚式に出かけて、私を他人に預けたんです。母が心配して帰ってきたところ…(私は)なんでもなかった。それまでは、母がお風呂に入っても、御用ききのお兄さんが来ても泣いていたらしいんです。」

“創作好き”は、テレビ局の報道マンだった父親ゆずり

先生の本名『ミチル』は、小説『青い鳥』(メーテル・リンク作)の主人公“チルチル ミチル”の名から付けられたとか。名付け親である父親は、元長崎放送の報道マンで、小さい頃から、ものを書いたり作ったりする事が好きになったのも、そんな父親の影響が大きかったそうです…。
ところで、お父様はどの様なお仕事を?

「長崎放送の報道制作(という部署)で、ドキュメンタリー番組を作っては、民放祭などにも出品していたんです。家でも、絵を描いたりしていました。私も小さい頃から、放送局に出入りしていたので、今でも(テレビ局には)まったく抵抗がないんです。(笑)父親に連れられては、局でエレクトーンを弾かせられたりして…物作りが好きになったのも、そんな父の影響でしょうね。別に音楽一家ではないんですが、両親共、(自分の)好きな事をやらせてくれて、進路を決める時も、『あなたがこうしたいなら…』と。これをやりなさいと言われた記憶はないですね。絵を描く事も、上手ではなかったんですが…とにかく好きだったので、音楽の道でなければデザイン関係(の仕事)に進みたかった。あと建築とか、インテリアとか…デザインに興味があるのは、絵を習っていた影響かなとも思いますね。」

小学校6年生で初めての自作曲を発表
それがなんとロック音楽だった。

エレクトーンを正式に習い始めたのは小学校2年生(7才)の時で、4年生(9才)の頃には、コンクールという新たな目標が出来て、ひたすら練習に明け暮れる毎日だったとか。さらに小学校6年生(11才)の時、みずから作曲した作品『狂ったロボット』を発表するが、当時、子供にしては珍しいロック調の音楽だったため、周囲も度肝を抜かれるというエピソードが残されているそうです。
そもそも作曲を始められたのは、いつ頃からなのでしょう?

「(自分で)書き始めたのは、小学校4年生ぐらいから、エレクトーンの授業の一環として作曲していたものが多いんです。でも、人前で初めて発表したのが、この『狂ったロボット』で…たしか、その頃読んだ本の中味を題材に曲を書いたものです。音楽的には5拍子のロックだった。当時は基礎的なクラシックが当たり前でしたから、かなり変わっていると思われたでしょうね…(笑)。でも自分としては、小学生の頃からブラスロックを聴いたり、ビートルズを聴いたりで、特にロックが好きでしたからね。」

しかし、それから2年後の全国大会で、今度は『藍の幻想』という現代音楽にもチャレンジされていらっしゃいましたが、この現代音楽を作曲されたきっかけは?

「その頃、エレクトーンを習っていた先生が、色々な音楽を聴かせてくれたんです。たとえばジャズ(の練習)に入った時には、モダンジャズとか。それから少し難しい音楽というところで…武満徹さんが発表した『ノーベンバーステップ』のレコードを貸してくれたんです。たしか小澤さんの指揮で、アメリカで演奏されたものなんですが。それを聴いた時は衝撃的で、ああ私もこういう曲が書きたいなァーと思ったし、それがクラシックに入るきっかけにもなりましたね。でも(大会の)審査員の方には、あまり評判がよくなかったんです。子供らしくないと…(笑)。海外の審査員の中には、面白いと言ってくれた方もいたんですが、日本国内の審査員の方には、とてもませた子供に映ったんでしょうね。(笑)」

音大在学中に、初めての交響曲『御誦(オラショ)』を発表。

国立音楽大学の作曲科では、音楽理論を島岡譲先生に師事し、徹夜で『和声』や『フーガ』の宿題をこなす毎日だったそうです。さらに大学以外でも、ジャズピアノやポピュラーアレンジ、シンセサイザー、指揮法などの猛勉強。在学中の最後には、初めての交響曲『御誦(オラショ)』も発表されていらっしゃいます。
ちなみに、この“オラショ”とはどんな意味なんでしょうか?

「ラテン語の“祈り”という意味で、“オラティオン”という言葉があって、隠れキリシタンにその言葉が伝わった時に“オラショ”と訛ったそうなんです。今年の5月に、(この作品を)20年振りに再演するので、書きなおそうと思っています。生まれ故郷の“長崎・平戸”を取材したり、他にも資料を色々と調べました。幼稚園もカトリック、高校も“純心”(女子高校)でカトリック、住んでた近くに教会もたくさんあったし…その点、生まれ育った環境が、このテーマに自然と合っていましたね。」

プロの世界に入ったきっかけは、
大学時代のアルバイトから

友人の紹介により、CM音楽のレコーディングを見学に行った事が縁で、CM制作会社からアルバイトを頼まれたそうですが…。
続いては、CM音楽の仕事をされる様になられたきっかけをお聞きしました。

「大学4年の時、友人から、CM音楽のレコーディングを見に行くけど、一緒に行かないかと誘われて…そうしたら結局、友人は行けなくて、私一人で行ったんです。車のCMか何かで、とても面白くなっちゃって。(作り方も)今と違い、フィルムをかけながらレコーディングするんです。その後も、見学できないかなァと思って手紙を書いたら…運よく、そのCM制作会社から『人手が足りないので、アルバイトに来ないか』と電話があったんです。だから学校の授業以外は、ぜんぶアルバイト。(笑)バブルの前だったけど、ものすごい量のCMを作っていたんです。坂本龍一さんや山下達郎さんなど、色々なジャンルの人がCMを書いていた。打ち合わせ現場にもついて行ったし、仕事の手順も憶えやすかったですね。そして、初めてお金を頂いた作品が『求人タイムス』のCMソングで『いとまきまき編』でしたね…。」

さて、その後の音楽活動については後半でお聞きしますが、ちょっと話題をかえて、お友達関係についてお伺いします。

親友・国府弘子さんとは、度重なる海外旅行での珍道中も

先生と同じく、国立音楽大学のピアノ科を卒業後、現在、国際的なピアニストとして活躍中の国府弘子さんとは、公私共々の大親友とか。プライベートでも年に一回は2人だけの海外旅行に行かれては、数々の楽しい想い出やエピソードが残されているそうです。
たとえば、どの様な珍道中ぶりがあったのでしょうか?

「ある年末、バリ島へ2人でバカンスに旅立つ前日の夜中なんですが…国府さんから、半泣きの電話が入ったんです。『パスポートが見つからないよ~!』って。『よ~く探して』って言ったんですが、それから朝方までの数回のやり取りでも、見つかる事はありませんでした。にもかかわらず、箱崎での待ち合わせの時間に、彼女は(パスポートもないのに)スーツケース持参で現れたんです。(笑)『見つかったの?』と聞いたら、『見つからなかった』って。2人で落ち込んだまま、リムジンバスの中で話したんです。記憶によれば、『最後に見たのは、マーケットで一緒にパスポートのコピーを取った2ヶ月前!』そして成田に着いた途端、国府さんは思い立った様にマーケットへ電話を入れたのです。そしたらなんと、マーケットに パスポートがあったんです!さて、そこからが勝負なんですが…彼女はマーケットのおばちゃんに、持って来て欲しいと交渉するんですが、当然『無理です』と言われてまた落ち込んでた。そこで私が一言『タクシーの運転手に預けてもらったら』と。そうなんです…パスポートだけを乗せたタクシーが、成田まで飛ばしてやって来てくれたんです!そして成田にパスポートが着いたのは、出発の30分前。2人で走ってカウンターへ!何故だか持って来ていたスーツケースの中には、万全の体勢が出来ていたんですから…(笑)無事に行けたこの珍道中でしたが、『最後まで人生はあきらめたらいけない』と言う教訓になったかどうかは分かりませんけどね。でも、万が一のためのスーツケースと、機転をきかせたタクシーの一案で、無事バリ島で年末年始を迎えることが出来たんです…。」

昔、母親から聞かされた原爆への思いと、
吉永小百合さんとの朗読会。

吉永小百合さんの原爆の朗読詩「第二楽章」「第二楽章~長崎から」の音楽を手がけ、各地で朗読会にも参加していらっしゃる大島先生ですが、そんな吉永さんとの出会いを『幼い頃、毎日の様に母から聞かされた原爆の話を、改めて胸の深く刻み考えるきっかけになりました』とおっしゃっていられました。そこで、この朗読会での吉永さんとの交流をお伺いしました…。

「この朗読会は、地方も合せると何回もやっていますが…長崎での制作発表、浦上天主堂、大阪など。彼女(吉永さん)も食べる事が好きで、現地へ一日前に入っては、一緒に温泉に入ったりしています。彼女は(年齢は)はるかに先輩ですけど、誕生日が近くて、血液型も同じO型で、行動パターンがよく似ているんです。(笑)お互い、気が楽にいられるし…。子供みたいに若々しくて、行動的。一般的には、女性らしくて大人しいイメージですけど、全然違う。勉強家で、努力家で、水泳が得意のスポーツウーマンなんですよ。」

映像音楽に対するこだわりと、森田芳光監督との出会い。

映像音楽の本質とは『最終的に、作り手がいて、聴き手がいる。だから少しでも聴く人の心が“元気”になれる様な音楽を書きたいですね。』とおっしゃる大島先生。「ごくせん」や「よい子の味方」(ともにNTV系放送)にしても『聴いた後に、心がすっきりする、ワクワクできる様なものをイメージした』のだそうです。
また、映画監督の森田芳光さんと仕事をした際には、こんなこだわり振りのエピソードも残されています。

「森田監督とは、最初『失楽園』という映画を一本やりましたが…ものすごく個性が強いし、自分の思っている音楽像、作品像がはっきりある方なんです。だからそれを違えると“絶対違う!”と言ってくる人。でも『失楽園』の時は、多少のやりとりはあっても、最終的に問題なく終わったんですが…。『模倣犯』の時は、大変だろうなと思いましたね。まずデモテープを渡しておいたら、その日の内にスタッフから電話が入りまして、『今日、伺いたい』と言うんですよ。だから覚悟して待っていたら…夜の8時半頃、森田監督とスタッフの方がみえました。それから監督が画を見せながら、音楽を入れたい所を指示するので、私が即興で音楽をつけて、それを監督が聴いてOKを出すという具合で…。その音楽を同時にパソコンに取込みながらの作業でした。夜中の3時頃までに、30曲位のすべてを作曲しましたね。(笑)その後で、今度はパソコンのデータをオーケストラの楽譜にするんですが、この作業がまた大変!即興で弾いているし、システマチックな曲ではないので、同じ所が一ヵ所もない。即興性のものを、オーケストラにおこすのは、メチャクチャ大変でしたね…(笑)でもそれは、監督との闘いでもありましたし、終わってみれば、お互いに楽しんだと思います。(笑)」

『大島ミチル』風、オリジナリティーの魅力とは

大島先生の作品といえば、オーケストラやシンセサイザーを巧みに操り、壮大でドラマティックなスケールのあるサウンドと、美しいメロディーが各界から注目を集め、多くの熱烈なファンがいらっしゃるとか―――そんな大島ミチル作品の魅力とは、一体どこにあるのでしょう?

「私は考えるタイプではなくて、映像を見るとイメージが湧いてくるんです。オーダーによっては“○○風”に書く事もありますが、だいたい自分がイメージしたものを音にしていく。それが、大島ミチルの音楽なのかも知れませんね。感性中心というか…とにかくこのドラマだったら“楽しく見てもらいたい”とか、“やさしい気分になって欲しい”とか、そういう事をメインで頭に描いて書く。音楽というよりは“気持ち”優先みたいなところがありますよね…。それに、スタッフからのアイデアというのも、すごくプラスになりますね。たとえば『ごくせん』の時、面白かったのは演出家が“ウエスタン”のCDを持って来たんです。なるほど…そういうアイデアもあるんだなァと思って、『ウエスタン・ハリウッドみたいなものも、面白いんじゃない!』と言ったんです。ただウエスタンだけでは、日本ではなかなか受け入れられないので、ハリウッド映画みたいな楽しさが必要だと思い、ああいうスタイルにしたんです。他の作品にしても、その時々によって、まずスタイルを決める事が多いですね。今回はマーチで行こうとか、ミュージカルで行こうとか、…自分なりに、テーマを決めて取りかかるんです。」

自然とみずからの音楽的バックボーンになっていったもの。

エレクトーンを習い始めた小さい頃、周囲の子供達は、基礎的なクラシックばかり勉強している中、自分だけは、好きなロックやポップスを弾いていたという大島先生。それが現在のご自身の音楽的バックボーンになっているのではないでしょうか―――。
過去に学んでこられた事で、今のお仕事に役立ってることもございますか?

「ビートルズとか、映画音楽とか、メロディーのきれいなものをたくさん聴いたり、弾いたりしているので、メロディーがいかに大切かと言う事が、自分の身体の中に、自然と染みついているんです。そういう意味で…私の書くものは、クラシックというより、もっとポップス的なんじゃないかと思いますね。“メロディー”を大切にしたいという気持ちは、その頃の体験が一番影響していると思います。ロックとか、ジャズとか、ラテンなど色々なジャンルの音楽を聴いていたので、演出家の方から『こういうスタイル』と言われると、すぐ分かるんです。自分で言うのもなんですけれど、幅の広さというか…引き出しがあるというか…。
もともとロックが好きで、“エマーソン・レイク&パーマー”なんかが好きでしたね。“エマーソン・レイク&パーマー”は、クラシックの曲をカバーしているんですね。『展覧会の絵』とか色々なものをね…それでチャイコフスキーをカバーしているのを聴いて、後から本物のチャイコフスキーを聴いたり…つまり、先にカバーを聴いてから本物のクラシックを聴くみたいな、他の人とは学び方が逆だったんです。(笑)」

ところで、プロの作曲家になられてから、音楽的に変わってきた事というのは?

「つい10年位前までは、カラーがはっきりしていました。たとえば“明るい”か“暗い”かや、“楽しい”か“悲しい”かが…。いわゆるグレーの音楽が書けなかった。精神的にあいまいな、中間色的なバリエーションというか、微妙な色というか。それを書ける様になったのが『失楽園』からでした。明るいけれど、ちょっと距離をおいて見守るような温かさ、みたいな音楽が今は書けるようになりましたネ。」

それでは、いま現在、最も気になって興味をひかれている音楽というのは?

「私はニュース番組の音楽が好きなんです。海外旅行に行って面白いのは、その国のニュースの音楽がそれぞれにカラーがあって…アメリカだと『ハリウッドスタイル』なんです。イギリスに行くと、いわゆる『ブリティッシュロック』で打ち込みのもの。ポルトガルへ行くと『アフリカのパーカッションの入った民族音楽』、フランスに行くと『ストラビンスキーの“春の祭典”のモチーフをちょっとアレンジしたもの』で、皆、ニュースのテーマ曲っていうのははっきりとカラーがあるんです。日本の場合は、時間帯で作り方が違い…朝はさわやかなイメージ、夕方は料理をしている主婦を振り向かせるものといった具合に…。日本テレビでは、いま放送中の『バンキシャ』を書かせて頂いています。(笑)」

一年前に開設した、ホームページへの思い入れ

もっと沢山の人に、映像音楽の素晴らしさを知って欲しいとの理由から、ご自身のホームページを立ち上げたのが、ちょうど一年前。今では、毎日のダイアリー(日記)を公開されていると同時に、ファンからのメッセージも殺到している為、忙しいスケジュールの合間をぬっては、出来る限りのレス(ポンス)を書き込んでいるのだそうです。
ちなみに、このインタビュー取材が行われた3月28日のダイアリーを、原文のままご紹介しますと
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3月28日(金)
昨日は長編アニメーション映画「ももこ、かえるの歌が聞こえるよ」の録音でした。予定よりも早く無事に終える事が出来ました!5月には公開されます。お楽しみに!それから桜の開花ですね?大好きな季節です。近所に川沿いで綺麗な所があるのです。今年も楽しみ。
*大島ミチルホームページアドレスhttp://www.michiru-oshima.com

「ホームページも見てくれてる人の中には、仕事関係の人も多いんです。たとえば、この前、映画の仕事をやっている時、ダイアリーに『今日は徹夜です』なんて書くと、現場のスタッフがコンピュータに向かって『大島さん、頑張って下さい』と、拝んだりするらしいんです。『やっと終わった』と書くと、『お疲れさまでした!』との返事…家で書いている時は、気分転換にもなるんです。人前にあまり出ないし、そういう所でしか自分の発信が出来ない。ただ、他のページもなかなか更新できなくて、友達のページなどは、一年余りも同じ“国府さん”なんです。(笑)」

今後の抱負、そして夢

では最後に、長年映像の仕事をされていらして、一番感じられていることと、これからの抱負をお聞きしたいと思います。

「最後はスタッフワーク、人間なんですよ。人の力というのは凄いと思う。オーケストラの80人、100人となると、見えないエネルギーみたいなものが、人の演奏にはあると思うんです。生の演奏というのは、音に、人の持っている“たましい”とか“エネルギー”が集まるから素晴らしいと思うんです…。
是非やってみたいのは、ビックバンドみたいなサウンドで、ドラマの音楽を書いてみたいんです。自分の身体の中の、音楽的ベースというのはポップスなんですが、それを、オーケストラで表現するか、ピアノ一本で表現するかなんです。それに、仕事の方向性としては、テレビや映画などの映像に、もっと音楽をつける方へ絞って行きたい…より映像音楽にこだわりたいですね。」

演奏家としては、史上最年少で国際的な賞をとられたり、映像音楽の分野では超売れっ子作曲家であるにもかかわらず、ご自身の姿勢からは、ただ『作品を聴いてくれる人を喜ばせたい』『音楽を続けることが唯一の幸せ』と思える程のひたむきな純粋さを感じさせられました。これからも、素敵な音楽の“青い鳥”を見つけられますように、心から声援をお送りいたします。

大島ミチル先生プロフィール

大島ミチル(作曲家)
国立音楽大学作曲科卒業。在学中から作、編曲家としての活動を始め、映画音楽、CM音楽、TV番組音楽、アニメーション音楽、施設音楽など様々な分野で活躍。在学中に、交響曲「御誦」を発表、その後もNHKスペシャル「大英博物館」、「太平洋戦争」「生命~40億年はるかな旅」などの大規模な番組を手がけ、オーケストラやシンセサイザを巧みに操り、壮大でドラマチックなスケールのあるサウンドと美しいメロディは各界から注目を集めている。また映画「失楽園」「長崎ぶ らぶら節」やテレビドラマ「ショムニ」NHK朝の連続テレビ小説「あすか」を始め多くのヒット作品も手がけている。 第21回日本アカデミー優秀音楽賞、第24回日本アカデミー優秀音楽賞、毎日映画コンクール音楽賞なども受賞。また、吉永小百合さんの原爆の朗読詩「第二楽章」「第二楽章~長崎から」の音楽も手がけ、各地での朗読会にも参加するなど幅広い活動をしている。

【主な作品】
●映画
「模倣犯」「ゴジラ対メガギラス」「ゴジラ対メカゴジラ」「長崎ぶらぶら節」「失楽園」他多数
●番組音楽
NHKスペシャル「大英博物館」「太平洋戦争」「生命-40億年の旅」
NHK朝の連続テレビ小説「あすか」
NTV「ごくせん」「よい子の味方」、CX「ショムニ」他多数
●CM音楽
リポビタンD、 ドコモ他多数
●イベント音楽
博覧会、国民体育大会式典、他多数
●その他、アニメ、ゲーム施設音楽など多数