子どもの行動についカッと怒ってしまうことはありますか?
怒った後、スッキリするのではなく色んな感情が湧き起こってくることはありませんか?
感情的になってしまって、ごめんなさい、
私は、子どもを怒る事に過度に「罪悪感」を持っていました。
でも、この「罪悪感」こそ、すごく厄介なんですよね。
今では
母親の「罪悪感」は邪魔なので捨ててください
と言ってるレベルです(笑)
これは、わたしが「子育て」について学び、実際に身をもって「経験」し、そこで沸き起こる自分の気持ちをとことん「検証」してきて強く思うことです。
ま、感じ方とは人それぞれ身体の中からふつふつと湧き上がるものだし、決して頭で操作できるようなものではありませんね。
そして、ほとんどの育児本には「子どもを怒らないように」と書いています。
だけど、本当は、それでは子育てが上手く行きにくいんです(-_-;)
「逆」なんですよね〜〜
母親の罪悪感が子育てに与える影響
私は、両親に怒られて育ったせいか、親が怒ることの子どもへの悪影響は身に染みて知っていたつもりなので、自分は絶対にやりたくないと思っていました。
感情的にならずに落ち着いて話しながらしつけることを、目指していました。
そもそも、母親が子どもを怒る事に罪悪感を持つということは「怒る自分はダメ。間違っている、自分はダメな母親だ」と苦しすぎて、
「もう、これ以上怒らせないでよー」と、怒ってしまう。
私も「自分がダメな母親だ」という事で頭がいっぱいになり、子どもへもしっかり向き合えなくなったのです。
愛情が少ない とか、
理性が足りない とか
親として未熟だ、とか
自分を責めて、その気持ちで気持ちがいっぱいになりました。自分が情けなくて、親として欠陥のように感じて、ツラくなりました。
子どもに「私みたいな母親で申し訳ないな~」「私が親でごめんね〜」なんていう気持ち。
そこから、「こんな私に育てられるこの子は可哀想、、、」なんて、罪悪感から微妙に甘くなりがちになるのです。。
すると、結果的に、甘くなったり、厳しくなったり、とても感情の起伏の激しいやりにくい母親になるのです。
親は普段は優しく接するけれど、実はあんまり楽しそうでない。心から笑っていないのがわかる。
「OK」と言われて大丈夫なのかな?と思う行動が、時々、急に機嫌が悪くなる。すると、自分は愛されているのか?愛されているのか?身動きが取れなくなります。
受け入れられているのは事実だとは思うけど、でも、なんだか非難されているように感じる自分の感覚も事実だし、そんな時、子どもって自分を責めるんですよね。
許されるときと許されない時の見分けがまったくわからないから、内心はいつも親の顔色を見ながらビクビクしていました。
(でも、そんな表情や素振りは見せたくなかったから「無表情」で、でも親は「無表情」な私を見て、また「この子は大丈夫かな?」と心配になっていたようです。)
これはすべて、今の私だから言えることで、その当時は自分がどんな状態なのかさえ良くわかっていなかったことです。
結果的には、私は親の中のいつも狭い世界で生きていましたし、自分の行動が他人にどんな影響を与えているのかを「教えられない」ままに育ちました。
子どもの行動が、自分にとって好ましくないのに、
かなりイライラしているのに、
怒らずに黙ったままで放置しているから、モヤモヤした感情が持ち越されて、親はいつも不機嫌。
そして、問題は未解決のままで、新たな問題の火種になっていくのだと思います。
子どもに欲求があるように、親の欲求も大切にしていい
罪悪感を払しょくするためには、親にも欲求や価値観、感情があっていいと、自分に言い聞かせる事も有効だと思います。
子どもに、やりたいことがあるように
親にも、やりたいことがある。
親も一人の人間でいい。
そこにOKを出せるようになるには、私には訓練が必要でした。
自分のマイナスの感情にOKを出せて、子どもを怒る自分にOKを出せてから、私の子育てが舵を切るように、大きく変わっていったのを覚えています。
ですが、自分のブラックな感情を、
最愛の息子たちにさらす勇気を持つのは、すごく苦しかったです。
別々の人間が、一緒に楽しく暮らしてく為には、自分のことばかり考えていちゃダメで、他人のこともちゃんと配慮が必要だということを、
わたしは自分の子どもたちには「当たり前」 のこととして、自分の中に持っている子に育って欲しいと願っていました。
そんな子育てを目指すなら、まず母親が「自分のイヤな気持ち」にちゃんと向き合って、そして、子どもにそれを正直に伝えよう。
ゴードン博士の「わたしメッセージ」という魔法の言い方を教わり、自分の罪悪感を払しょくしながら子どもと対話していました。
でも、親だって人間だと、頭でわかっていても、心の奥底にしまっておいた「自分の本当の気持ち」は、恥ずかしくて言えないし、第一「そんな気持ちを持つ自分」を私自身が許していないので、それこそが私にとって本当の試練でした。
コトバのチョイスを変えるだけで子どもへ伝わる
親業が身についていくと、子どもは、相手が本当に困っていることがわかると、相手への配慮を示すものだということが、しっくりと腑に落ちていきました。
子どもは親のコトバ通りに育つ
「子どもの配慮が足りない」と感じる人は、ほぼ、伝えられていません。っていうか、コトバのチョイスが違うだけです。
ですが、
伝えることに「罪悪感」があると、
たらたらと、長〜〜〜〜〜〜くなったり、
言い訳がましくなったり、
回りくどくなったり、
そして、子どもを非難したり、あなたはダメだよ!って自尊心を傷つたり、お母さんが正しいのよって、言ったり。。。
で、結果的に、わかりにく〜い言い方になります。
つまり、全く届きません。
私は、子どもを思いやりのある子どもに育てるためには、「怒る」ことや「伝える」ことについての、まずは親の考え方をごっそりと変えることがとっても効果があると思います。
子どもを非難するのではなく、お母さん自身が、子どもにとって対等な人として、上からでも下からでもない、自分の言葉で伝えていく
本当に、子どもって、スゴイです!
自分で深く考えて、相手に応えようとしてくれますし、相手への配慮の心が育っていきます。
内発的動機を育てる上でも、こっちのほうが効果が高いのです。
が、
まあ、人のことは言えません
わたしも、始めは全くわかっていませんでしたし、シックリとくるのに何年もかかりましたからね。
はい、今でも苦手ですよ~
コツを知り、後は練習あるのみです。
罪悪感を感じた本当の理由
子どもを受容していないことを伝えることに強い罪悪感を感じる本当の理由は、
誰が悪い?ジャッジするからグルグル思考に陥る
まずは、子どものことを受容できない自分の気持ちにOKを出す!
子どもが求めているのは、親の受容の限界