誰もが親のしろうとだから子育てこそ賢く省エネ!
子どもの心が元気に育つ土壌づくりのコミュニケーション術
  1. 心を育つ親の考え方とは?コラム集
  2. 伝えることの大切さ
  3. 心優しいママへ子どもを怒ることに「罪悪感」を持つとかえって逆効果になる理由
 

心優しいママへ子どもを怒ることに「罪悪感」を持つとかえって逆効果になる理由

心優しいママへ子どもを怒ることに「罪悪感」を持つとかえって逆効果になる理由

子どもの行動についカッと怒ってしまうことはありますか?


怒った後、スッキリするのではなく色んな感情が湧き起こってくることはありませんか?


ああ、怒ってしまった。
優しくできなかった。

感情的になってしまって、ごめんなさい、

悪かったなあ~

などなど「罪悪感」を感じてしまうことはありませんか?

 

私は、子どもを怒る事に過度に「罪悪感」を持っていました。


でも、この「罪悪感」こそ、すごく厄介なんですよね。


今では

母親の「罪悪感」は邪魔なので捨ててください


と言ってるレベルです(笑)


これは、わたしが「子育て」について学び、実際に身をもって「経験」し、そこで沸き起こる自分の気持ちをとことん「検証」してきて強く思うことです。

  

ま、感じ方とは人それぞれ身体の中からふつふつと湧き上がるものだし、決して頭で操作できるようなものではありませんね。


そして、ほとんどの育児本には「子どもを怒らないように」と書いています。

 

だけど、本当は、それでは子育てが上手く行きにくいんです(-_-;)


「逆」なんですよね〜〜


母親の罪悪感が子育てに与える影響

私は、両親に怒られて育ったせいか、親が怒ることの子どもへの悪影響は身に染みて知っていたつもりなので、自分は絶対にやりたくないと思っていました。


感情的にならずに落ち着いて話しながらしつけることを、目指していました。


でも、子育てはそんなに甘いものではありません。男の子3人でてんやわんや。どうしていいのか分からずにオロオロしながら精一杯尽くしているのに、全然おとなしくしてくれない我が息子たちに、ギリギリ迄ガマンしていて、ついに激高(-_-;)

そんな自分がたまらなく苦しくなって、落ち込む毎日でした。

つまり、怒ってしまう自分を許せなくて、親としての自分に幻滅しながら、子ども立場になりすぎる自分が自分の言葉に傷ついてしまっていた、、、みたいな、なんとも言えない悶絶するような苦しさを感じていました。

で、結論としては、母親が落ち込んで自分を責める事ほど、子どもの心の成長にとってマイナスのことはありません。

子どもは間違いなく最愛のお母さんをガッカリさせた自分を責めますからね。

そもそも、母親が子どもを怒る事に罪悪感を持つということは「怒る自分はダメ。間違っている、自分はダメな母親だ」と苦しすぎて、


「もう、これ以上怒らせないでよー」と、怒ってしまう。

 

私も「自分がダメな母親だ」という事で頭がいっぱいになり、子どもへもしっかり向き合えなくなったのです。

  

愛情が少ない とか、

理性が足りない とか

親として未熟だ、とか

 

自分を責めて、その気持ちで気持ちがいっぱいになりました。自分が情けなくて、親として欠陥のように感じて、ツラくなりました。

 

子どもに「私みたいな母親で申し訳ないな~」「私が親でごめんね〜」なんていう気持ち。


そこから、「こんな私に育てられるこの子は可哀想、、、」なんて、罪悪感から微妙に甘くなりがちになるのです。。

 

すると、結果的に、甘くなったり、厳しくなったり、とても感情の起伏の激しいやりにくい母親になるのです。


これって、

子どもからすると、とっ~~~ても面倒くさい母親で、そして最も悪影響があります。


親は普段は優しく接するけれど、実はあんまり楽しそうでない。心から笑っていないのがわかる。


「OK」と言われて大丈夫なのかな?と思う行動が、時々、急に機嫌が悪くなる。すると、自分は愛されているのか?愛されているのか?身動きが取れなくなります。


受け入れられているのは事実だとは思うけど、でも、なんだか非難されているように感じる自分の感覚も事実だし、そんな時、子どもって自分を責めるんですよね。


(←これ、幼い私がそうだったな・・・経験者)


許されるときと許されない時の見分けがまったくわからないから、内心はいつも親の顔色を見ながらビクビクしていました。


(でも、そんな表情や素振りは見せたくなかったから「無表情」で、でも親は「無表情」な私を見て、また「この子は大丈夫かな?」と心配になっていたようです。)


これはすべて、今の私だから言えることで、その当時は自分がどんな状態なのかさえ良くわかっていなかったことです。


結果的には、私は親の中のいつも狭い世界で生きていましたし、自分の行動が他人にどんな影響を与えているのかを「教えられない」ままに育ちました。

(←だから、依存性も高い)

これね、もし心当たりがある人がいたら、参考になるかな。

本当に子どもの行動を受容できている方にとっては、罪悪感もそもそも生まれないし、問題にはならないことですからね。

でも、子どもの行動をすべて受け入れられる親はいないのです。なので、必ずいやだと思う行動があるはず。

そんな時、

 

子どもの行動が、自分にとって好ましくないのに、

かなりイライラしているのに、


怒らずに黙ったままで放置しているから、モヤモヤした感情が持ち越されて、親はいつも不機嫌。


そして、問題は未解決のままで、新たな問題の火種になっていくのだと思います。


 

 子どもに欲求があるように、親の欲求も大切にしていい


罪悪感を払しょくするためには、親にも欲求や価値観、感情があっていいと、自分に言い聞かせる事も有効だと思います。


子どもに、やりたいことがあるように

親にも、やりたいことがある。

親も一人の人間でいい。


そこにOKを出せるようになるには、私には訓練が必要でした。


自分のマイナスの感情にOKを出せて、子どもを怒る自分にOKを出せてから、私の子育てが舵を切るように、大きく変わっていったのを覚えています。


ですが、自分のブラックな感情を、

最愛の息子たちにさらす勇気を持つのは、すごく苦しかったです。


でも、


別々の人間が、一緒に楽しく暮らしてく為には、自分のことばかり考えていちゃダメで、他人のこともちゃんと配慮が必要だということを、

わたしは自分の子どもたちには「当たり前」 のこととして、自分の中に持っている子に育って欲しいと願っていました。


そんな子育てを目指すなら、まず母親が「自分のイヤな気持ち」にちゃんと向き合って、そして、子どもにそれを正直に伝えよう。


ゴードン博士の「わたしメッセージ」という魔法の言い方を教わり、自分の罪悪感を払しょくしながら子どもと対話していました。


でも、親だって人間だと、頭でわかっていても、心の奥底にしまっておいた「自分の本当の気持ち」は、恥ずかしくて言えないし、第一「そんな気持ちを持つ自分」を私自身が許していないので、それこそが私にとって本当の試練でした。

   

コトバのチョイスを変えるだけで子どもへ伝わる

 

親業が身についていくと、子どもは、相手が本当に困っていることがわかると、相手への配慮を示すものだということが、しっくりと腑に落ちていきました。


子どもは親のコトバ通りに育つ


今ではそう思っています。

「子どもの配慮が足りない」と感じる人は、ほぼ、伝えられていません。っていうか、コトバのチョイスが違うだけです。


ですが、 

 伝えることに「罪悪感」があると、


たらたらと、長〜〜〜〜〜〜くなったり、

言い訳がましくなったり、

回りくどくなったり、

そして、子どもを非難したり、あなたはダメだよ!って自尊心を傷つたり、お母さんが正しいのよって、言ったり。。。

  

で、結果的に、わかりにく〜い言い方になります。

  

つまり、全く届きません。

 

私は、子どもを思いやりのある子どもに育てるためには、「怒る」ことや「伝える」ことについての、まずは親の考え方をごっそりと変えることがとっても効果があると思います。


子どもを非難するのではなく、お母さん自身が、子どもにとって対等な人として、上からでも下からでもない、自分の言葉で伝えていく


本当に、子どもって、スゴイです!


自分で深く考えて、相手に応えようとしてくれますし、相手への配慮の心が育っていきます。


内発的動機を育てる上でも、こっちのほうが効果が高いのです。 


が、


まあ、人のことは言えません


わたしも、始めは全くわかっていませんでしたし、シックリとくるのに何年もかかりましたからね。


はい、今でも苦手ですよ~

 

コツを知り、後は練習あるのみです。


風通しの良い親子関係をつくりたいなら、まずは、伝え方を変える事で、愛情の好循環をつくっていきましょう。

悪循環を好循環に「逆むけ」にしていく作業ですから、はじめは大きなエネルギーが必要です。「伝え方」が上手く出来るようになると、だんだんと、子育ての概念や思い込みが、ひっくり返りはじめます~

特に怒る事に罪悪感のある方はこちらの記事も参考になるかもしれません。
しっかり怒ってますか?おかん塾流「正しい怒り方」の作法おかん塾 親業訓練講座の中で「伝え方」を伝えると、受講生さんからよくこんな風に言われます。 「冷静な時はこんな言い方ができるんですけどね〜イライラしたら全然ダメです。だから、落ち着かないとダメですね」冷静な時はできる、だから、親な冷静でなくちゃいけな...
 

 


罪悪感を感じた本当の理由


  

子どもを受容していないことを伝えることに強い罪悪感を感じる本当の理由は、


子どもとは親が自分を全受容していないと知ると傷つくと「信じている」からだと思います。

子どもに「親が自分を全受容してくれている」と思ってほしい。

子どもに愛していると伝えたい。

子どもから嫌われたくない。

ダメな母親だと蔑まれたくない。

私は、子どもの求める理想の母親になりたくて、それが出来ない自分に罪の意識を感じていました。

相手の期待通りにならないと、相手をガッカリさせて失望させてしまうのではないかと、それを恐れる気持ちが私の中に強くありました。

本当の自分をさらけ出すと、子どもから非難されたり、蔑まれたりするのではないかと、怯えていたし、そう信じていました。

でもそれは、
幼いころの私が両親の思う通りに動かなかった時、親は私に対してとてもがっかりして失望する顔を見て育ったから、自分の中に根付いた「罪の意識」が触発され、うずいていたのかなと思います。

私のような想いを子どもにはさせたくなかったですから。

で、
今では、「きっと子どももこう思うに違いない」と思う、その思考こそが一番の思い込みだと気づきました。

なぜなら、子どもは私とは違うからです。

「きっとこう思うに違いない」は、子どもの能力を甘く見ているって事ですし、自分とは違う人だという「分離」ができてないこと。

子どもは、私とは感じ方も、生きる時代も、環境も違う別の人格を持つ別の人なので、

私と同じようにメンヘラで、「この言葉を母親から傷つくだろう」と思うのは、大きな勘違いだと気づきました。

これ、

私が、子どもの力を侮っていたわけです。

で、
子どもは、自分に対する「自己概念」を、自分がどのように関わられたかで形成していきますから、

それでは、子どもの心は育つわけありませんよね。


誰が悪い?ジャッジするからグルグル思考に陥る


最悪感を払しょくできなくなるもう一つの原因は、正しいか正しくないかの、白黒思考だと思います。

例えば、
罪悪感に縛られて身動きが取れなくなっている方は、たいてい、今の状況を「ダメ出し」をしています。

正しいか?正しくないか?
悪いのは誰?わたし?子ども?

つい、悪者を探してしまうのは、自分が悪くないと思いたいからかもしれません。

でも、子育てにおいては悪者探しは自分の首をしめるだけです。

なぜなら、子どもを悪くしても、自分が悪くしても、ブーメランのようにどちらも自分に跳ね返ってきますから。

この、悪者探しの白黒思考は私の中にももちろん根付いていました。何と言っても両親が「誰が悪い?」で考える、この思考でしたから。

「あれかこれか?」「どっちが正しいか?」「どっちが勝つか?」の思考も、親業では手放していきます。

人は完璧でなないし、完璧を望んでもみな不完全さに苦しみ窮屈になるだけですからね。

罪悪感を強く感じる方は、「あれ?もしかして完璧主義が強くない?」と、考えてみてください。

人間関係において、一番を競うことは争いを生みます。そうではなく「共存」「協力」の道を探っていく。

私の「罪悪感」との「共存」が、まずは一歩だったのかなと思います。


まずは、子どものことを受容できない自分の気持ちにOKを出す!


罪悪感を感じる私に、罪悪感を感じるのはやめろ!と言っても、それもムズカシイです。

なので、そんな自分もまるっと受容しながら、コトバを矯正し整えることで「親子の分離」をうながしていく知恵が、親業にあります。

まずは、大切なのは、子どもをいやだと思う自分の気持ちに正直になること。

そこが、すべての始まりです。

ただ、子どもをイヤだというのではなく、
子どものある特定の行動がイヤだということに、気づいていきます。

見えてなかったこと、
見ようとしなかったこと、

レッテルを貼って、評価して、誰が悪いのかと悪者探しをしていることが、このツールをつかうことで表面化されます。

自分の感情がわからない、
自分の感情など、気づかないふりをしていた、、、
自分の感情に蓋をしていた

のだとしたら、

それは、あなたが自分の感情に触れあったり、親しみを覚えてたいせつに扱ってあげる手段を知らなかったからだと思います。

まるで、危険物処理班みたいかな(笑)

大丈夫。
ちゃんと整えていきましょう。

ちょっとした、考え方や、捉え方などのコツは、心の専門家であるゴードン博士が詳しく解説してくれています。

あなたに必要なのは、自分に向き合うという勇気だけです。

子どもが求めているのは、親の受容の限界


子どもは、「完璧な母親」なんて望んでいません。

そんなことは無理だと、わかっています。

それよりも望んでいるのは、親の受容の限界がどこにあるかということです。

親の受容の限界がわかると、あとは子どもがどうするかを考えます(笑)

そのためには、自分の受容の限界がどこにあるのか?どうしたら笑っていられるかをぜひ、真剣に考えてみてください。

私は不機嫌オーラをまき散らしていた時に、自分の受容の限界についての明確な線引きが無くて、ビックリしました。

でも、自分がどうしたら笑っていられるか?を考えて決めたら、自分もスッキリ。

伝えるのは勇気がいりましたが、これも親業のお陰でクリアできました。

そして、メッセージを言ったからには、その責任を自分でとろうと頑張りますから、気持ちが強くなりました。

そして、自然に笑顔が増えたのです。

自己表現できることで、自己評価が高まるのは、自分のウソ偽りのない気持ちを出せるか?は、人として正直さや潔さでもあるからです。

罪悪感があるからこそ、躊躇するのも私の一部。

でも、それも否定しない誠実さが、人としての信頼関係を結ぶためにには不可欠な要素なのです。




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