先輩たちの失敗談に学ぶ本連載。今回は、16歳にして一躍人気の歌手となり、現在はバラエティー番組で「激辛女王」としても活躍する鈴木亜美さんの(下)です。読者世代にも思い悩む人が多い「自分の存在意義は何か」「この先の未来が見えない」という壁にぶつかった鈴木さんの、30代での失敗を振り返ります。

(上)鈴木亜美 活動休止の後悔…「あれ以上につらかったことは、ない」
(下)鈴木亜美「私はもう消える」30歳目前に痛感…子どもが運をくれた ←今回はココ

「常に戦っていたい」完全アウェーの環境への挑戦

 1998年にデビューして一躍スターの道へ。「BE TOGETHER」など大ヒット曲を連発し、時代の象徴となった鈴木亜美さん。

 歌手としての活動やミュージカルへの出演のほかに、2008年、26歳でDJとしての活動をスタートさせた。「タレントが、片手間でDJもやっている」ではなく、テレビの仕事なども断ってほしいと周囲のスタッフに伝え、DJの道を突き進むことを選んだ。その理由は「戦いたかったんだと思います。常に戦闘態勢でいたいから」だと振り返る。

鈴木さんがDJ活動を始めた当時は、タレント出身DJも女性DJもほとんどいなかった。「怖かったですよ。でも、絶対にこの人たちを踊らせてやる! と思って挑戦を続けました」。DJとしての活動が軌道に乗った30歳を目前に、新たな壁にぶつかった
鈴木さんがDJ活動を始めた当時は、タレント出身DJも女性DJもほとんどいなかった。「怖かったですよ。でも、絶対にこの人たちを踊らせてやる! と思って挑戦を続けました」。DJとしての活動が軌道に乗った30歳を目前に、新たな壁にぶつかった

 歌手としてのライブ活動には、通常は自分のファンが来てくれることが多い、いわば「ホーム」だ。しかしクラブでのDJは正反対。客は基本的に実力を値踏みするように鈴木さんのDJ姿を眺めていた。最初のうちはどこに行っても客が動かない、ノッてくれない。完全にアウェーの環境で、毎回緊張し、手は震えていた。選曲は主に「歌ものなしの、ゴリゴリのエレクトロ。必死に頑張って『なかなかやるじゃん』という空気が流れてきたら、最後の最後で『BE TOGETHER』を絶対に毎回かけるのが定番でした(笑)」