2015年に六代目山口組を離脱し神戸山口組を立ち上げた井上邦雄組長も75歳に。ここ数年は目立った動きを見せていない(写真:時事通信社)2015年に六代目山口組を離脱し神戸山口組を立ち上げた井上邦雄組長も75歳に。ここ数年は目立った動きを見せていない(写真:時事通信社)
劣勢続く神戸山口組で、またも瓦解に向けた動きが進んでいる。井上邦雄組長の側近組織から、敵対する六代目山口組への移籍が起きているのだ。8月27日で発足から8年目を迎える中、大きな曲がり角を迎えている。

■かつては組長自らナイフ襲撃の武闘派組織

今回、組員の離脱が表面化したのは、神戸側の二代目英組。トップの藤田恭右組長は神戸側の幹部である若頭補佐を務め、井上組長に心酔しているともされる人物だ。藤田組長は昨年7月、東京都江戸川区の自宅周辺を動画撮影していた六代目側の関係者に対し、ナイフで太ももを刺したとして傷害容疑で逮捕。現在、東京拘置所で公判を待つ身だ。警視庁の捜査関係者が語る。

「藤田組長は井上組長の最側近を自負し、英組は親衛隊的な位置づけでした。このため、六代目のターゲットとされ、襲撃に向けて撮影していたところを、ボクシング経験があって喧嘩に自信のある藤田組長に返り討ちに遭った格好です。

ただ、藤田組長の長期拘留によって英組は求心力を失ってきたようです。そして、最近になって英組員が六代目側の執行部に座る直系組織へ移籍したようです。井上組長は分裂を首謀した幹部たちや、出身母体の山健組に見限られ、英組は最後の虎の子の部隊だった。ここが崩れるのは、大ダメージです」

一方の六代目山口組の司忍こと篠田建一組長はさらに高齢の81歳。後継人事については謎に包まれたままだ(写真:時事通信社)一方の六代目山口組の司忍こと篠田建一組長はさらに高齢の81歳。後継人事については謎に包まれたままだ(写真:時事通信社)
子分たちに去られても、なお神戸側にとどまったとみられる藤田組長とはどのような人物なのか。関西の暴力団事情に詳しいA氏が解説する。

「藤田組長は2013年、先代の英五郎組長の引退に伴い、英組の二代目組長として六代目山口組の直参となりました。しかし、二か月ほど経って、過去の覚せい剤事件の関与を問題とみなされ、絶縁処分となりました。

その後は、不動産関係の仕事でカネを手にしつつも、ヤクザへの未練を捨てきれず、自らを処分した六代目側に不満を持っていたそうです。そして、15年10月、発足して間もない神戸側に加入したのです。再びヤクザとして戻してくれた井上組長への忠誠は強かったようです。今回は、藤田組長にも移籍の誘いがあったようですが、頑として断ったそうです」

■「代紋欲しさでヤクザ復帰」の見方も

ただ、神戸側が六代目側からの攻勢に苦しむ中、英組が抗争で名を挙げることはなかった。前出の捜査関係者は次のように手厳しい。

「藤田組長は六代目側への恨みを晴らそうと思って復帰したわけではなく、あくまでシノギで組の代紋が必要だったから神戸側に参画しただけ。そのために、仲介役となった先代の英組長は、五代目体制では本家の若頭補佐を務めたほどの大幹部で、しかも既に引退しているというのに、六代目側から絶縁処分を言い渡された。

また、英組は大阪に本部事務所を置くが、実質的には藤田組長の地盤の東京の組織。神戸側は東京での足場が乏しいので、『にらみをきかせるために英組は東京に事務所を開設するべきだ』といった声が出ていたが、具体的に行動を起こすことはなかった」

櫛の歯がこぼれるように構成員が減っていく神戸山口組。六代目側の次のターゲットに注目が集まる。

●大木健一 
全国紙記者、ネットメディア編集者を経て独立。「事件は1課より2課」が口癖で、経済事件や金融ネタに強い