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インクルーシブ教育とは?実践に必要なことや事例、現状と解決策を紹介

インクルーシブ教育とは?実践に必要なことや事例、現状と解決策を紹介
インクルーシブ教育とは?(デザイン:吉田咲雪)
日本インクルーシブ教育研究所理事長/中谷美佐子

今、世界は多様性を尊重する時代に入っています。しかし、人々は感染症や戦争で分断され始めています。その分断を融合へ導くのがインクルーシブ教育です。この記事では日本の現状をふまえ、それぞれの違いを承認し合える環境をつくるインクルーシブ教育のあり方を解説します。

著者_中谷美佐子さん
中谷美佐子(なかたに・みさこ)
NPO法人日本インクルーシブ教育研究所理事長。広島のテレビ局でアナウンサー・ディレクターを経て、特別支援教育や発達障害に特化した取材を始め、次第にすべての人に必要な教育は多様な人たちが共に学ぶインクルーシブ教育だと気づく。2013年NPO法人日本インクルーシブ教育研究所設立。この社会はごちゃまぜであることを前提に、誰もが安心して過ごせるインクルーシブな教育について広島からの発信に挑戦している。

1.インクルーシブ教育とは

インクルーシブ教育とは、国籍や人種、言語、性差、経済状況、宗教、障害のあるなしにかかわらず、すべての子どもが共に学び合う教育のことです。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「特別ニーズ教育世界会議」(スペイン・サラマンカで1994年に開催)において採択された「サラマンカ宣言」で、国際的に初めて提唱されました(参照:Inclusion in education | UNESCO)。

日本においては、文部科学省によってインクルーシブ教育の実現・普及が進められ、まずは特別支援教育の発展が欠かせないとされています。

また同省の報告によれば、「同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である」と明記されています(引用:共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進〈報告〉丨文部科学省)。そのため、現在、日本は分離教育からインクルーシブ教育へ移行する過渡期にある、と考えることもできるでしょう。

2.インクルーシブ教育が注目されている理由

インクルーシブ教育が注目されている理由のひとつに、SDGs(持続可能な開発目標)があります。

昨今、気候変動だけでなく、感染症の蔓延(まんえん)など国境を越えたグローバルな課題が増えてきました。そのため、各国が単独で解決できる問題ではなくなり、日本でも学校現場でSDGsを掲げるところが見られるようになってきています。

SDGsとは、2015年国連総会で全会一致で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」という文書の一部です。この文書には17の目標が掲げられており、それらの根底にはSDGsの「誰一人取り残さない」「最も遅れているところに第一に手を伸ばす」という原則があります。

これは言い換えれば、17の目標すべての解決には、すべての子どもたちを包み込むのと同時に、これまでサポートされてこなかった人たち(子ども、若者、障害のある人、高齢者、難民、移民など)を支援することが必要、ということです。そこで、誰もが安心して過ごせる環境づくりを進めるインクルーシブ教育が注目され始めたのです。

例えば、目標4「質の高い教育をみんなに」は、すべての人たちが質の高い教育を受けられるような環境をつくることを目指す目標です。知的障害や発達障害、性的少数者、貧困家庭、片親家庭、外国籍などの子どもたちも当然ながら例外ではないため、インクルーシブ教育の観点が不可欠となります。

SDGs目標4アイコン

3.インクルーシブ教育の実践のために必要とされていること

では、インクルーシブ教育を実践するためには、どのような条件を満たす必要があるのでしょうか。文部科学省の「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」によれば、次の視点が重要とされています。

(1)合理的配慮

子どもの発達は同じ年齢であっても、みんな違います。教室には多様な子どもたちがいて、それぞれ得意・不得意があり、努力だけではどうにもならないこともあります。そのなかで共に学んでいくには、こういった子どもたち一人ひとりに合った合理的配慮が必要となります。

例えば、子どもによっては、じっとしているほうが学びやすい子、動いているほうが集中して先生の話が聞ける子などがいます。

ある日本の小学校で、担任の先生が「この子は動いているほうが授業をよく聞いている」ということに気づきました。その先生は授業中、その子にけん玉をしてもよいことにしました。その結果、その子の成績はぐんぐんと上がっていったという話があります。

カナダなどインクルーシブ教育が進んでいる国では、身体を動かしているほうが集中できる子のために、動くいすやバランスボール、ペダル付きの机などが用意されています。筆者が取材で訪れたカナダの高校では、校長先生自ら校長室でバランスボールに座って仕事をしていました。インクルーシブ教育を進めていくには、集中の仕方や学び方は多様であり、それぞれ違うということを理解することも大切です。

(2)専門性のある教育支援員の配置

ただ、こういった教室での合理的配慮は担任一人ではなかなか難しいのが現状です。そのため、合理的配慮をするには環境の整備(基礎的環境整備)が欠かせません。

例えば、車いすに乗っている子に「努力が足りないから歩けないのですよ」と言う人はいませんが、見てわかりにくい障害のある子には努力不足とレッテルが貼られることもしばしばあります。担任が支援の必要な子どもだけをサポートすると、その子どもへの差別や偏見が生まれやすくもなります。

そこで要件のひとつとされているのが、専門性のある教育支援員(特別支援教育支援員、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなど)の配置です。

教育支援員は、支援が必要な子どものサポートだけでなく、サポートしている子どもとその周りにいる子どもたち、担任と子どもたちや、担任と保護者をつなぐ役目もあります。教室にいるすべての子どもたちがサポートを必要としている、といった視点を持っているのが教育支援員です。

(3)多様な学びの場の環境整備

また、合理的配慮をするにあたって欠かせない基礎的環境整備として、通常の学級・通級による指導・特別支援学級・特別支援学校それぞれの環境の充実化があげられています。

例えば、子どものなかには、すべての子どもたちが同じ場所でずっと同じ仲間と過ごすことで苦しくなる子がいます。それぞれに合ったホームスクーリングやフリースクール、インターネットスクールなどを用意することも合理的配慮に必要な基礎的環境整備のひとつです。

4.インクルーシブ教育の実践事例

日本では、すでにいくつかの学校でインクルーシブ教育が実践されています。代表的な2例をご紹介します。

(1)常石ともに学園

常石ともに学園は、広島県福山市にある公立初のイエナプラン教育実践校で2022年春に開校しました。オルタナティブ教育のひとつとして知られるイエナプランはドイツの教育学者であるペーター・ペーターセンが創始し、1960年ごろからオランダで広まりました。現在、オランダではイエナプラン教育を展開する小学校は200校以上あるそうです。

常石ともに学園では異年齢集団で活動し、四つの活動(対話、遊び、仕事、催し)を通して、一人ひとりの生まれ持った良さを大切にしながら、それぞれの学びに合った形で、自律と多様な人たちが共に生きることを学んでいく教育をおこなっています。まさにインクルーシブな発想でつくられた学校と言えます。

(2)HILLOCK(ヒロック)初等部

HILLOCK(ヒロック)初等部は、東京都世田谷区の自然豊かな砧(きぬた)公園に隣接する形で2022年4月に開校したオルタナティブスクールです。二人の小学校教員が勤務校を飛び出し、いろんな人の「こんな学校あったらいいな」という思いを詰め込んでつくられました。

この学校が一番大切にしているのは、一人ひとりの子どもが自分の力でウェルビーイング(幸福で肉体的、精神的、社会的すべてにおいて満たされた状態)をつかんでいくことであり、そのために子どもが主役となって育ちや学びを主体的に勝ちとる自由な学校をテーマとしています。ヒロックの将来像はすべての子どもたちが学びたいところで学べる社会だそうです。

5.インクルーシブ教育の現状と課題

文部科学省によれば、インクルーシブ教育は合理的配慮が必要であり、そのためには環境の整備(基礎的環境整備)が欠かせないとされています。

ただ、同省がインクルーシブ教育と称して推奨しているのは、最初にお伝えしたように特別支援教育であり、障害のある子とない子を分けて教育する分離教育です。

日本の通常学級を見ると、多様な子どもたちが同じ学年でひとつの教室にまとめられており、一斉授業で同じ内容を学んでいます。この授業形態では教師は平均的な発達をしている子どもたちに合わせて授業をするしかないため、理解の早い子は授業が退屈になり、理解がゆるやかな子は授業を理解できないまま時間が過ぎていきます。そうすると、教師は子ども一人ひとりに対応するのが難しくなるため、障害のある子どもとない子どもを分けたくなるのです。

他方で、日本の特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもは年々増えています。発達障害の早期発見が進んだのと同時に、教員の間で医学的な視点で発達障害のある子どもに対応すべきだといった考えも出てきたからです。

しかし発達障害は病気ではなく、脳の働き方が平均的な発達をした人とは違うというだけですから、医学的支援ではなく教育的支援が重要となります。障害のあるなしに関わらず、教室にいるすべての子どもたちが教育的支援を受けられるようにしていくのが、本来あるべきインクルーシブ教育です。

現に、日本政府は2014年に障害者権利条約を批准しましたが、国連の障害者権利委員会から2022年9月に初めて「障害のある子どもを分離した特別支援教育をやめるように」と勧告を受けました。日本の学校環境を見るとそう指摘されても仕方がないと言えるでしょう。

委員会から勧告を受けた日本ですが、まだそれに対する明確な答えを出せてはいません。障害者権利条約が掲げる「障害者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと」を守るために、いかに本来あるべきインクルーシブ教育を進めていくのかが、目下の課題となっています。

6.インクルーシブ教育を普及させていくためには

日本が課題を乗り越え、本来あるべきインクルーシブ教育を普及させていくには、子どもが障害の有無にかかわらず安心して大人になっていけるように、大人たちが行動することが必要です。具体的には次のようなものがあげられます。

(1)多様な人たちの話を聞く

世の中には性的マイノリティーの人、吃音(きつおん)のある人、肢体不自由のある人、貧困家庭で育った人などさまざまな人がいます。まずは大人がこうした多様な人の話を聞き、自分とは違う人を知っていくことが大切です。

例えば、得意な才能を持って生まれたある人が学校生活について、次のように語っています。

授業が本当につまらなかったです。みんなが同じことをするのがとても嫌でした。小学校のときは自分の興味や好奇心を押し殺して、自分を封印して周りに合わせていました。これほど、つらいことはなかったです。

また、ある性的マイノリティーの人は次のように語っています。

体は男なのに、自分が男だと思えないのです。親にも誰にも言えないし、相談もできる人がいない苦しみがずっと続いていました。

体は女性なのだけど、心が男性で、ずっとレズで気持ち悪いと言われていました。どう気持ち悪いのか自分にはわからなくて、どう自分を直せばよいのかわからず、ずっと死にたいと思っていました。

自閉スペクトラム症の人が、味覚異常や感覚過敏で苦しんでいる様子の言葉も紹介します。

小学生の頃、給食にグレープフルーツが出るのが本当につらかったです。口の中に入れると砂を食べているような感じで吐き出してしまうのです。我がままだと言われ、全部食べ終えるまで家に帰らせてもらえず、泣きながらグレープフルーツを食べました。どうして、みんなグレープフルーツをおいしいと言って食べているのか、私にはわからないのです。

あの体育館のぶわ~んとした音が苦しくて、体育館に入れず耳をふさいで逃げると、先生に捕まえられ無理やり、体育館の中へ連れ込まれました。それから、あまりに苦しい記憶が残り、学校へ行けなくなりました。

(2)子どもたちに互いの違いを知る環境を用意する

自分と似通った特性を持つ人ばかりのなかで育つと、大人になって自分とは違う人に初めて出会ったとき、相手を怖いと感じ避けてしまいやすくなります。自分を中心にその人を見て、「おかしい人」と判断してしまうこともしばしばあります。

差別や偏見は「知らない」ことから生まれます。子どもの頃から多様な人たちと共に過ごし、互いの違いを知り、認め合えるような環境を用意することが重要です。

(3)子どもたちへの見方を変える

私たち大人が子どもたちをどのように見ているかによって、子どもたちの育ちが変わってきます。常に「あなたは乱暴だ」と言われて育った子どもは、乱暴でなくなるどころか、かえって脳に「私は乱暴な子」と刷り込まれて、本当に乱暴な大人になってしまいます。

それを避けるために有効な方法として、リフレーミングと呼ばれる心理学の概念があります。

リフレーミングとは物事の見方や捉え方を変えて、肯定的な視点に変化させることです。例えば、コップに水が半分入っているとします。「コップに水が半分しかない」と思うと焦りが出ますが、「コップに半分も水がある」と捉えれば気持ちが楽になります。いずれにせよコップの水はどちらも同じ量ですが、捉え方によって気持ちが前向きにも後ろ向きにもなるということです。

下記の左側の言葉は発達障害のある子どもたちが大人たちからよく言われている言葉です。リフレーミングして肯定的視点で子どもたちに関わっていくことで、子どもたちは魅力あふれる人に育っていきます。

①内気→落ち着いた雰囲気、思慮深い、自分の内面をじっくり見つめているタイプ
②頑固→自分をしっかり持っている、芯が強い、意志を貫く力を持っている
③気が弱い→謙虚な人柄、他人のことを気にかけることが得意、慎重派
④協調性がない→自分を持っている、芯が強い、他人に左右されない
⑤雑→おおらか、細かいことを気にしない

こういった見方を変えるトレーニングをするときは、ネガポ辞典(ネガティブな言葉をポジティブな言葉に言い換える辞典)などのアプリを使うとよいでしょう。

(4)アンコンシャス・バイアスに気づく

この社会にはアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)が多くあり、そのなかには性別役割に関するものも少なくありません。

例えば「奥さん」という言葉があります。女性は奥にいて家事をするもの、奥にいる女性が育児や介護をするものなど、これまで当たり前のように思われてきました。

特にアンコンシャス・バイアスの影響が色濃く見られるのがLGBTQ(性的マイノリティー)の子どもたちで、学校でいじめられたり、就職活動で当事者であると伝えたことで採用されなかったりなど、多くの困難に直面しています。安心して相談できる相手や場所がないことから、10代のLGBTQの5割弱が過去1年間に自殺を考えていたこともわかっています(参照:【調査速報】10代LGBTQの48%が自殺念慮、14%が自殺未遂を過去1年で経験。全国調査と比較し、高校生の不登校経験は10倍にも。しかし、9割超が教職員・保護者に安心して相談できていない。丨PR TIMES)。

インクルーシブ教育実現のためには、すべての人が違うということを前提に、誰もが安心して過ごせるように、大人たちが当たり前のように考えていることを疑って、問い直していくことが必要です。

(5)社会的障壁を取り除く

この社会は平均的な発達をしている多数派によってつくられていて、少数派の人にとってはとても生きづらい環境となっています。

例えば、車いすに乗っている人にとって階段は障害です。しかし、階段の横にスロープやエレベーターがついていたら、車いすに乗っていても上階へ行くことができます。

このように、障害は障害者にあるのではなく社会がつくり出しているという考え方を、障害者権利条約では「社会モデル」と呼んでいます(参照:障害者権利条約 p.8丨外務省)。

こうした社会的障壁は教育現場にも多く存在します。例えば、学習障害のひとつにディスレクシア(読み書き困難)というものがあります。

学校の先生のなかには、誰でも読んで書けるのが当たり前といった思い込みから、脳機能上で読み書きが困難な子どもがいるということを知らない人がしばしばいます。そのため、ディスレクシアの子が、ボイスレコーダーや音声を読み上げる機器などの支援機器を使って授業を受けづらいと感じるケースも少なくありません。

一昔前、近視を理由に学校でメガネをかけるときは、学校にメガネをかけていいか許可を求めなければなりませんでした。ディスレクシアの子が安心して学校に行けるようにするには、今「見えづらいならメガネをかける」が当たり前になっているように、「読み書きが難しいなら支援機器を使う」のが当たり前にならなければいけません。

それには、やはり大人たちが、子どもが直面している障壁は子どもではなく社会に要因があると捉え、なぜそれが起きてしまっているのか(なぜ思い込みが発生しているのか、ICTの導入が遅れているのかなど)を考える必要があります。

そして何をすれば取り除くことができるのか丁寧に探ることが、インクルーシブ教育を普及させていく第一歩となるでしょう。

7.誰もが暮らしやすい社会をめざす

認知症機能検査の長谷川式スケールを開発し、ご自身も認知症になられた精神科医の長谷川和夫さんは著書『ボクはやっと認知症のことがわかった』のなかで「人はみんな、それぞれ違っていて、それぞれが尊い。認知症になったからといって、その尊厳が失われるわけではありません」(p.76)と書いています。

私たちは誰もが生まれてからずっと尊い存在であり、それぞれが持って生まれた良さを社会で生かすことができるのです。

認知症の人は何もできない、何もわからないと思っている人も多いのですが、知らないからそう思うのであり、実際にはその人の人生の延長線上に認知症があるだけで、決して認知症が社会のハンデになるわけではありません。

そのことを受け止め、互いの違いを知り、互いの違いを認め合い、それぞれの良さを生かしながら、安心して暮らせる環境をみんなでつくる、それがインクルーシブ教育において重要であると言えるでしょう。

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