閑静な住宅街に現れる、温かな木の壁と大きな窓を備えた一軒家。「いらっしゃい」と語り掛けるような家の形をした扉を開けると、キッチンに立った店主が笑顔で迎えてくれる。39年間、小学校の養護教諭をしていたMさんは、約3年前に自宅にカフェをオープン。そのきっかけは、教諭時代の経験にあるという。
「生徒の中には家庭に困難を抱えている子が少なからずいて『おいしいご飯を食べさせてあげたい』と常々感じていたんです。一方で、先生たちの苦労も絶えなくて。公務員の枠から離れ、誰もが気軽に立ち寄って心と体を大事にできる場所をつくりたいと考えていました」(Mさん)
大幅なリフォームは1階のみで、住居スペースの間取りは既存のまま。住宅玄関に入って左手に店舗とつながる引き戸があり、行き来がしやすい |
やり残した仕事の目処が立ったことから、定年を待たずに退職することに決め、仕事をしながら開業の準備を始めた。店舗は当初、駅近の物件を借りるつもりでいたが、「90歳のおばあちゃんになってもお店がしたいと思ったら2階を住居スペース、1階をカフェにするのがいいと気づいたんです。階段を下りるだけで仕事ができますから」とMさん。料理も経営も素人で心配は尽きなかったが、いろいろなカフェを見て回り、開業支援のスクールで学ぶ中で「まずはやってみよう」という気持ちになったという。
「くつろげる空間を」と建築家の伊藤宏行さんに依頼した。「ほっとできる家庭的な雰囲気になるようシステムキッチンや自然素材を取り入れています。大人数のテーブル席、ひっそり過ごせるカウンター席を用意し、思い思いに過ごせるようにしました」(伊藤さん) Mさんにとってカフェは住居の一部。閉店後に食事を摂ったり、ちょっとした家事を済ませたりとリビングのように使っている。メニューは塩麹、醤油麹などの発酵食が中心。マイペースな時間と良質な食事のおかげで、まず自分自身が健康になれたという。
「来た人に『ほっとする』と言ってもらえるのが何よりの喜び。家が生まれ変わり、私自身もリラックスできるようになりました。最初は一緒に働く仲間がいなくて心細かったですが、今は自営業者のつながりを楽しんでいます。やりたいことに素直に行動すると、縁が広がるものですね」とMさん。変わらないアクティブな姿勢が、第二の人生を輝かせている。(海老原さん)