1914年の“クリスマス休戦”を美化すべきでない理由、あるいは『大いなる幻影』に関するささやかな試論

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Peter Macdiarmid/Getty Images

—— 筆者のアーミン・ローゼン(Armin Rosen)氏はBusiness Insiderの防衛・軍事専門シニアライターである。

歴史上最も偉大な戦争映画の1つは、1937年のジャン・ルノワール監督作で、第1次世界大戦中にドイツ貴族の城に囚われたフランス軍人戦争捕虜らを描いた『大いなる幻影』だ。

映画の山場のシーンで、ドイツ大尉ラウフェンシュタインが脱走を試みたフランス大尉ボアルデューを追い詰めたとき、ラウフェンシュタインはボアルデューに降伏するよう告げる。

お互いに上級階級の出身であり、最初は渋々ながら相手を尊重していた彼らだったが、それはいつしか本物の友情に変わっていた。しかし、どんな指揮官であってもこの状況下では選択の余地なく従わなくてはならないルールやしきたりがあることも彼らは理解していた。ボアルデューは降伏を拒否し、ラウフェンシュタインは止むを得ずボアルデューを射殺する。この流れは大体において形式的なものだ。

『大いなる幻影』は戦前の欧州社会で一般的だった形式やしきたりが、戦争の現実の悲惨さを薄めるかもしれないという幻を描いている。しかし、このシーンが示すように事実は逆だ。戦争は常にこのような形式を圧倒し、それがいかに架空の性格を持つものであるかを露呈させる。1918年までに、何世紀も続く王家や厳格な社会階層によって支配されていた旧ヨーロッパの秩序は崩壊したのだ。

『大いなる幻影』のラストでも、名誉と義務という虚構は主人公たちの連帯意識を壊す。映画は空虚な暴力を描いて終わる。

ドイツ、イギリス、フランスの兵士たちがクリスマスを祝うため数日間だけ休戦した1914年のクリスマス休戦は、この大いなる幻影のもう1つの例だ。この出来事は崩壊する過程にある間違った価値体系の影を映し出しているのであり、いたずらに理想化すべきものではない。

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Christopher Furlong/Getty Images

当時、ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦に突入したが、多くの者は数カ月で終わるだろうと信じていた。連合国や列強国は、これほどの長期的な対立を予想して戦争に突入したのではなかった。クリスマスの休戦は、素早く終わる無害な戦争という思い違いが1914年12月までに完全には解消されなかったことの証左だ。対戦相手相互の祝い事を尊重する高貴な精神によって、戦いを止めることができる可能性を両軍が信じていたという事実は、現実感覚のあからさまな欠如を示している。

クリスマス休戦後は両軍とも速やかに交戦を再開し、和平構築を前進させることはなかった。この休戦はヨーロッパ諸国が自ら始めた悲劇の真実をまだ受け入れられていなかったことを示している。ボアルデューとラウフェンシュタインの貴族的な形式の掟のように、クリスマス休戦はマニフェストを掲げる幻想であり、世界大戦が無情にも打ち負かした、行き詰まった秩序の最後のあがきだった。

重要なことに、1915年には休戦はなかった1916年には毒ガスがヨーロッパの戦場で使われた。1918年のクリスマスまでには第一次世界大戦で1600万人以上が死亡した。映画の中で記念され、また、悲惨な戦争の中での相互の尊重と人道主義の証として記憶されているクリスマス休戦の最も重要な遺産は、戦争において起こった膨大な出来事の中の1つにすぎない。

ありがたいことに、この休戦が代表するような「秩序正しく紳士的な戦争」という思い違いはすでに過去のものである。少なくとも1914年当時ほど根深いものではない。そして、戦争が持つ残忍で非人道的な性質について幻想を抱くことは減り、世界は現実を現実として受け入れるようになった。

[原文:Why we shouldn't romanticize the Christmas Truce of 1914

(翻訳:小池祐里佳)

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