フィリップ殿下の生家。
Alkis Konstantinidis/Reuters
- イギリスのエリザベス女王の王配(夫)であるエディンバラ公フィリップ殿下が99歳で亡くなった。
- フィリップ殿下は1921年、当時ギリシャ王室が所有していたイオニア海の島の別荘「モン・レポス」のダイニングテーブルで生まれたと言われている。
- この別荘は現在は考古学博物館になっており、「フィリップ殿下生誕の地」のプレートが掲げられている。
フィリップ王子は1921年、ギリシャとデンマークの王族として、ギリシャのコルフ島にある別荘「モン・レポス」で生まれた
上空から見たモン・レポス。
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「私の休息」(my rest)を意味する「モン・レポス」(Mon Repos)は、イオニア海沿岸に位置する。
ロイターによると、フィリップ殿下はこの家のダイニングテーブルの上で生まれたという。彼がここで暮らしたのはわずか1年だ。ギリシャ・トルコ戦争による政情不安によって、ギリシャ国王コンスタンティノス1世は退位し、彼の両親、アンドレアス王子とアリス妃は1922年12月、家族とともにコルフ島を離れることになった。
この別荘は1826年、イギリスの総督だったフェデリック・アダムス(Frederic Adams)が妻のニーナ・パラティア―ノ(Nina Palatianou)への贈り物として建てた
モン・レポスの外観。
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モン・レポスは、1864年にイオニア諸島がギリシャ領土となり、ゲオルギオス1世へ寄贈されるまで、イギリスの総督の避暑地だった。
第二次世界大戦の間は、イタリアの総督が暮らしていた
モン・レポスの内部。
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第二次世界大戦中はイタリアがコルフ島を占領していた。
ギリシャが1975年に君主制を正式に廃止した際、ギリシャ政府と旧王族が、この別荘の所有権を争った
モン・レポスの内部。
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欧州人権裁判所は、モン・レポスはギリシャ政府のものであるという判決を下し、ギリシャ政府に対してコンスタンティノス元国王への保障として700万ドルを支払うように命じた。
モン・レポスは現在、コルフ島の自治体によって小さな博物館として運営されている
モン・レポスには芸術作品も展示されている。
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パレオポリス考古学博物館には、古代都市から出土した彫刻、彫像、硬貨、工芸品などが展示されている。
周囲の庭は、コルフ島の古代遺跡やギリシャの神にささげた神殿跡地がある公園になった
モン・レポスの庭。
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モン・レポスは、ユネスコの世界遺産になっているコルフ旧市街の近くにある。
この別荘は、1990年代に改修工事が行われた
モン・レポスの内部。
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それ以前は荒廃していたという。
新古典主義的なデザインが、内外の円柱からも分かる
モン・レポス内部にある円柱。
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新古典主義建築は、シンプルな幾何学形状と円柱などの装飾で知られる。
フィリップ殿下の生家であることを示すプレートがある
生誕の地であることを示すプレート。
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プレートには「エディンバラ公フィリップ殿下が、1921年にここで誕生した」と書かれている。
フィリップ殿下の父、アンドレアス王子はギリシャ国王コンスタンティノス1世の弟で、デンマーク国王クリスチャン9世の孫にあたる。フィリップ殿下はギリシャとデンマークの王族の子孫であったことから、ギリシャ王子とデンマーク王子の称号を有していた。
この家で生まれた王族は、フィリップ殿下だけではない
モン・レポスの内部。
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ギリシャとデンマークのソフィー王女が1914年に、ギリシャのアレクシア王女が1965年にモン・レポスで生まれた。
(翻訳:Makiko Sato、編集:Toshihiko Inoue)