琴ノ若が小学4年のとき祖父・琴桜が逝った…「目標を見失い」相撲から心が離れかけるも祖父の言葉が引き戻した【新大関誕生連載(上)】
2024年1月30日 05時00分
◇新大関琴ノ若~祖父・琴桜に導かれた相撲人生(上)
関脇琴ノ若(26)=佐渡ケ嶽=が大相撲初場所で新大関昇進を決めた。母方の祖父が元横綱琴桜、父が師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)。横綱の遺伝子を受け継ぐ相撲一家の一粒種に訪れた人生の転機。そのときどきに範となった祖父との物語を全3回で紹介していく。
琴ノ若が力士になるのは、ごく自然の流れだった。偉大な祖父に導かれるようにして。
琴ノ若が力士になるのは、ごく自然の流れだった。偉大な祖父に導かれるようにして。
実家は相撲部屋。2歳でまわしを締めて、現役だった師匠と相撲を取っていた。
「物心ついたときから土俵があったので。違和感なくずっときて、気づいたら」
子どものころ、祖父から毎日のように相撲の指導を受けた。「相撲に関しては厳しかったですけど、私生活ではおじいちゃんと孫でした。稽古が終わると毎日、一緒に銭湯に行きました。アイスを食べながら帰るのが決まりで」と笑顔で思い返す。父が現役を引退した2005年九州場所13日目。その取組を会場で見ていた琴ノ若は、「本当に、次は自分の番なんだな」と幼心に誓った。
そんな琴ノ若でも一度だけ相撲から心が離れかけたことがあった。2007年8月14日に訪れた祖父の死。琴ノ若は9歳。小学4年のときだった。
「小学生ながらに少し目標を見失ったというか…。約束を果たせないんだなっていう部分がちょっとあって。そのときにちょっと…。まったく離れていたわけではないんですけど、なんか相撲とは距離があったかなあと思います」
「約束」とは、琴ノ若が小学2年のときにさかのぼる。「『大関に上がったらしこ名を継いでもいいよ』と言っていただいて。『それまで見てるから』と言ってくださいました」。しこ名を継いで祖父に喜んでもらうことが原動力だった。
亡くなった当時、関東大会の出場が決まっていたが「正直、気持ちは微妙なところでした」。欠場も頭をよぎった。
相撲への熱意が薄れていく中で、祖父の言葉が現実へと引き戻してくれた。
「『出るからには負けて帰ってくるな!』っていう言葉が頭に残っていて」
大会でもらった銀メダルを、喜んでくれるだろうと祖父に見せたことがあった。
「『最後は誰かに負けたんだろ』って怒られました」
そのとき投げかけられた厳しさを思い出し、われに返った。出場を決意し見事に優勝。感謝を込めて仏壇に金色に輝くメダルを供えた。
「勝ち抜けたっていうのは、先代の言葉が頭に残っているということだし、しっかり相撲を続けていかないとって」
祖父は喜んでくれたはずだ。その後は揺るぎない信念を持ち埼玉栄中に入学。中学卒業後の入門を目指すこととなる。
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