古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年生~紀元前347年没とされている)が著書『ティマイオス』、未完の『クリティアス』の中で記述した伝説上の島である超古代文明のアトランティスは、その中で「ヘラクレスの柱の外側に存在する」と記されています。ちなみに「ヘラクレスの柱」とは、軍事上・海上交通上、古代から現代に至るまで極めて重要な役割を占めてきた「ジブラルタル海峡」の入口にある岬につけられた古代の地名。

 確認のため「ジブラルタル海峡」はどこか?と言えば、北はイベリア半島のスペインおよびイギリス領ジブラルタル、南はモロッコにあたる、西の大西洋と東の地中海をつなぐ海の回廊。つまりアトランティスは、外洋である大西洋側にあったことを意味することになるわけです。

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 次に、フランスの小説家ピエール・ブノワが1919年に発表した小説『アトランタイド』に記した、「アトランティスは実在し、海に沈んでしまった」という説も信じるなら、その失われた地は一体どこにあったのでしょうか? プラトンの言うとおり、大西洋側にあったのでしょうか?

 大変恐縮ながら、ここではプラトン先生のご意見を退けさせていただき、「アトランティスはかつて、ナポリ湾のビーチから数キロ離れた場所に存在していた」という説を掲げさせていただきます。なにせその地は、誰もが一見しただけで頭の中の「アトランティス像」とすんなり一致するに違いないからです。石畳の通り、交易港、貴族の別荘や古代の温泉などの街のたたずまいが、そのまま海の中に保存された光景が事実広がっているのですから…。

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 しかしながら、それはあくまでも希望的観測。儚(はかな)くも、冷静に2度見するときには、その説の真実味は一挙に薄くなっていきます…。この地はすでに、「バイア海底考古学公園(Parco Archeologico di Baia Sommersa)」として人気の観光名所となっていたことを忘れていました…。

 この一帯は多くの遺跡が集まっていることから「バイア遺跡群」と言われています。カンパニア州ナポリの西方8kmに広がる、多数の火砕丘を含む長さ13kmにおよぶカルデラである「フレイグ平野(Campi Flegrei)」内にあり、約50万人が暮らすポッツォリの街からクルマで15分ほどでアクセスできるバーコリ(Bacoli)というコムーネ(自治体の最小単位)にあります。

 バーコリのバイアは、かつて貴族の別荘地として栄えた地。特にスパ(温泉)好きだった古代ローマ人がつくった浴場の跡地からは、現在の技術とも劣らぬ造形技術があったことを観ることができるでしょう。漫画家ヤマザキマリさん作の『テルマエ・ロマエ』の中でも、ラテン語の「バイアエ」という地名で登場しています。周囲は緑に覆われ、小高い丘にあるので街並みを一望できる眺めの良さも魅力のひとつであり、遺跡を巡りながらの散策にもぴったりのスポットです。

 そんなわけで、残念ながらこの地は、「アトランティス」と強く主張することはできなくなりました…。日本でも、海外旅行好きの方ならもうすでにわかっていたことかもしれませんね。かつてローマ人がナポリ湾北部に面する都市バーコリに建てた「バイア」は、当時の行楽客に人気のスパリゾートだったのです。ローマ帝国・第5代皇帝のネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクスや、共和政ローマ末期の政治家マルクス・トゥッリウス・キケロ、そして共和政ローマ期の政治家ガイウス・ユリウス・カエサルなどが訪れたという記録も残っているほどです。

 しかしながら2020年現在、ここバーコリに存在していたローマ時代の素晴らしき遺産は、悲しき運命をたどってきました。近辺の衰退により、1500年には完全に放棄され、1800年代にはサラセン人(中世ヨーロッパ世界でイスラム教徒)の略奪の犠牲者となります。しかしそれ以上に疑問思うことがあります。それは…なぜ、この「バイア」は水中に沈んでいるのでしょうか?です。

フレグレイ平野
KONTROLAB //Getty Images

 地質学的な観点から見ると、イタリア・ナポリの西方に広がるフレグレイ平野の領域は、非常に興味深い地ということ。多数の火砕丘を含む長さおよそ12~15kmにおよぶカルデラであり、カルデラ内にはポッツォリなどの都市が発展しており約50万人が暮らしていますが、再び大規模噴火を起こす可能性が警告されているスーパーボルケーノ(超巨大火山)の中にあります。

 このフレグレイ平野の地名はギリシャ語「φλέγω(flègo)」に由来し、「燃え盛る平野」を意味します。さらに硫黄、ブラジズム(地面のゆっくりとした持ち上げと下降)の現象、および無数の池…これらの条件を持ち合わせ持つことで、地質学者たちも注目の地というけです。そんなわけで地質学者たちの現時点における推察は、「湾が沈んだのは、火山作用が影響している可能性がある」とのこと。

フレグレイ平野
GALLO IMAGES//Getty Images

 このバーコリという地はある意味で、フレグレイ平野の緩慢地動の被災地と言えるのです。バーコリ湾は8400年前の古代火山噴火口の輪郭で形づくられ、2020年現在もそのカタチはおよそそのままですが、ローマ時代と比較すれば約50%が海面下に沈んでいるというわけです。海抜で言うなら、当時約6~8mの地までが海水で満たされるようになったと見られています。

フレグレイ平野
KONTROLAB //Getty Images

 皆さんも今後、安全に海外旅行ができる時期になったら、ぜひこの地に足を運んでみてください。この地の真の素晴らしさを味わいたいのなら、水中マスクにフィンを装着し、シュノーケリングを楽しむといいでしょう。モザイクの回廊や壁、さらにフレスコ画や彫像の跡の横で水中を泳ぐことができます。もちろん泳ぐ際には、さまざまな注意が必要ですが…事実、まるでアトランティスにいるような幻想的な気分を味わえるに違いありません。

 深水5mも潜れば、遺跡の数々を確認できます。さらに2m進んで…7mまで下れば、1969年に偶然発見された皇帝クラウディオの宴会場だったプンタ・エピタフィオ(Punta Epitaffio)のニンファエウムがあります。ニンファエウムとは、古代ローマや古代ギリシアで泉の神ニンフを祀る場所または神殿。古代ローマの建築者は、それを泉の近くまたは少なくとも水位より上に設計していたでしょう。この地が後に、水面下に沈んでしまうことなど、夢にも思っていなかったことに違いありません。

 地質学者たちは、西暦1500年には「バイア」の半分が海面に浸ってしまったと推測しています。しかしながら1969年、前述のニンファエウムは偶然発見されました。これらの歴史的遺産の一部…円形競技場などが公園に展示されています。しかし、8つの像は、今もまだ海中に残っています。イソギンチャクとヒトデの間で泳いでいるかのような雄姿が確認できるでしょう。

 残念ながらこの地は、未だネスコ世界遺産のリストには正式に掲載されていません。フレグレイ平野、そして「バイア」の地は、2006年6月1日に候補に挙げられていますが、長くて途方に暮れる官僚的なプロセスがまだ残っているようです。

 このようにこれら古代ローマの遺産は、年々衰退しながらも2020年8月に至る現在も存続し、我々に何かを告げようとしているのです。今後、世の中が健康かつ安全に旅行できるときが早まることを願いながら、この地を皆さんの「行ってみたい旅行先」に加えておきましょう。その暁(あかつき)には、ぜひとも自らの五感で「この遺跡たちが、私たちに何を伝えたいのか?」を感じとってください。

Source / ESQUIRE IT