「キリストを待ち望む」ということ


村上伸先生による番組「ボンヘッファーの説教に聴く」
今回はクリスマスを待ち望む待降節の説教からお届けします。

「そこには勇敢な坑夫すら一生怖がるような、悩みに満ちた待機と死があるだけだ。
 しかしその時、ハンマーの音が聞こえると、意気消沈していた人も立ち上がり叫ぶ。

 ここにいる!助けてくれ!』
 最後の必死のハンマーの音が彼の耳に達する。もうすぐ救われる。」

まるでクリスマスの華やかさとは遠くかけ離れたようなこのお話は、
ボンヘッファーが説教の冒頭で語った炭鉱事故のたとえです。

そして彼は私達に迫るのです。
あなたにはこの「切実さ」があるか?と。
本当に救われたいと思っているのか?と。

この問いはシンプルですが、
誰もが決して見過ごせない響きを持っていると思います。


待降節は新しい人を造る。
だから、地上で起こる諸々の事に呪縛されているあなた方の身を上にあげよ。
もっと重要な、限りなく大きい事が起こっているのだ。

生き埋めになった坑夫は、救い手の打つハンマーの音以外に心を注ぐだろうか。
我々の中に響くイエス・キリストのハンマーの音に心を注ぐこと以外に、
戦きつつ彼に己を委ねる以外に、もっと重要なことなどあるだろうか。

「待つ」ということ。しかし、それは「何もしない」のではありません。

むしろ、ただただイエス・キリストに期待し、
耳を傾け、心を注ぎ、そして…

村上先生を通して語られるボンヘッファーの魂の説教。
改めて一人ひとり、自分のこころの現実と照らし合わせつつ聞きたいと願います。


 

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