肖像画の歴史は、そのまま宝飾品の歴史でもあります。そこに描かれた人物はいつも何かしらの宝石を身に着けていますが、それらの石にはそれぞれ意味が与えられていました。それはすなわち、描かせた人が絵に込めた願いの記録でもあるのです。

今回は美術史家・池上英洋さんに世界史に残る宝石と、名作絵画に描かれた宝石について繙いていただきました。

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・数々の歴史を紡いだ輝く石
・名作絵画に描かれた宝石が示すものとは(残り2951文字)

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数々の歴史を紡いだ輝く石


あるべくして描かれた宝石に込められた意味

宝石の歴史に燦然と輝くそのダイヤモンドは、かつて南インドのヒンドゥー教寺院に置かれていたとされる。18世紀、ペルシャに生まれたナディル・シャーは周辺の国々を次々に制圧し、瞬く間に広大な領土を手に入れてアフシャール朝をひらいた。彼は1740年にインドを襲い、この石を奪って自らの玉座を飾る金の孔雀に咥えさせた。我が世の春を謳歌したナディルだが、もともと容赦のなかった性格はその時以来残忍さを増し、長男の眼を潰し、処刑された者の数は3万人を超えた。誰もが恐怖にふるえ、ついに彼は家臣達の手で暗殺された。

その後、その石を継いだものたちもことごとく暗殺あるいは処刑され、いつしかそのダイヤモンドには、手にした男に不幸をもたらすとの伝説が出来上がった。そしてその後もさまざまな所有者の手に渡り、いまではイギリス王家の王冠となってロンドン塔にある。これが有名な“コイヌール”であり、かつては180カラットを超える世界最大のダイヤモンドで、再カットされたいまでも100カラット以上ある。先日逝去されたエリザベス二世女王の戴冠式で頭上を飾り、インドが返還要求を続けていることでも知られている。

crown kohinoor diamond
Tim Graham//Getty Images
現在はイギリス・ロンドン塔に保管される”コイヌール”があしらわれた王冠。

たかだか石のはずなのに、人類は小さな輝く石をめぐって、さまざまなドラマを繰り広げてきた。そして宝石にそれぞれ意味や性格を与え、美術の歴史を彩ってきた。古くは1世紀の知の巨人である大プリニウスが、彼の『博物誌』に石ごとの特徴やそれまでの伝説や神話をまとめて記した。11世紀には、キリスト教の司祭マルボドゥスが『石について』を著す。

「石に秘められた力を教えよう」と謳われるその長編詩はまさに石の寓話の集大成であり、その後の西洋における石ごとのイメージのベースとなった。たとえばエメラルドは疫病から身を護り、未来を予知して資産を増やす、といった具合に。面白いのは磁石の項もあって、その性質から、夫婦がお互いをひきつけあうとの効能が記されている。

さて美術史を学ぶものが、もし絵画史において最も重要な石をひとつ挙げよと問われたら、誰もが迷わずラピスラズリ(青金石)と答えるはずだ。この半貴石は日本では古(いにしえ)より瑠璃と呼ばれ、中に含まれる黄鉄鉱の粒が金色の光を放って、夜空にきらめく星のような効果を生み出す。原産地のアフガニスタンから運ばれていたため非常に高価で、19世紀に代替顔料が開発されるまで、金以上の価格で取り引きされていた。

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Çağla Köhserli//Getty Images
ラピスラズリ

つまり西洋絵画では美しい青色はこれを粉末にした顔料(ウルトラマリン)によってのみ得ることができたため、青の使用量が絵画自体の価格をほぼ決定していた。高額の制作費を支払う注文主たちも無関心ではいられず、画家が材料費をくすねないよう、当時の契約書には「指定した業者のものを、規定の純度と量できちんと使うこと」といった指示がしばしばみられる。“フェルメール・ブルー”と名付けられるほどフェルメールもラピスラズリを多用しており、彼の作品は小サイズながらも高価だったと思われる。

興味深いことに、こうした原料自体の価値が青色に“高貴”や“神聖”、“純潔”といった象徴的意味をもたらした。聖母マリアが常に青色のドレス姿で描かれるのもそのためである。

絵に描かれた宝石には、ひとつひとつに意味がある。石を身に着けた女性たちは、そしてそれを描かせた人々は、そこにいつも何かしらの願いを込めていたのだ。

名作絵画に描かれた宝石が示すものとは


無垢な少女性を強調するパールの白い輝き

名作絵画 フェルメール 真珠の耳飾りの少女
© Mauritshuis, The Hague


ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》
1665年頃 マウリッツハイス美術館

その乳白色から“純潔”の象徴である真珠によって、女性のあどけない顔つきがいっそう強調されています。この絵は、貴族や大商人ではないごく一般の女性を描いたという点で、美術史上大きな意味をもった作品です。

胸元で輝く真紅の宝石で生命力をアピール

名作絵画 宝石 一角獣を抱く貴婦人
©Galleria Borghese

ラファエッロ・サンツィオ《一角獣を抱く貴婦人》
1506年頃 ボルゲーゼ美術館

一角獣は処女性の、ひときわ大きく輝くガーネットは健康の証し。一種の見合い写真的な用途で描かれた絵ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を見てすぐ描いた作品といわれ、構図もポーズもよく似ています。

きらびやかな宝飾品に秘められた神への厳格な忠誠心

名作絵画 宝石 ジェーンシーモアの肖像
© Kunsthistorisches Museum Wien c/o DNPartcom

ハンス・ホルバイン(子)《ジェーン・シーモアの肖像》
1536年 ウィーン美術史美術館

胸に輝く巨大なダイヤモンド(金剛石)は、IHS(イエスの意)の文字を象り、信仰心の篤さを示します。処刑された前王妃のあとを継いでイングランド王ヘンリー8世(エリザベス一世の父)の妃となった女性の肖像画です。

パリの上流階級を魅了した女性の美と地位をオニキスで表現

名作絵画 宝石 マダムx
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

ジョン・シンガー・サージェント《マダムX》
1883年頃 メトロポリタン美術館

漆黒のドレスとピンク色の肌の対比によって、官能性が際立っています。金のストラップを留めるオニキスのブローチは成功の象徴。社交界の華バージニー・ゴートローを描いた作品ですが、当時は品がないと徹底的に批判されました。

どこまでもピュアな姿を真珠そのものとして描写

名作絵画 宝石 ラ・ペルル
© Aflo

ウィリアム・アドルフ・ブグロー《ラ・ペルル》
1894年 個人所有

この女性は真珠そのもの。大きな真珠貝の中にいる真珠が擬人化して描かれました。純潔や処女性のシンボルですが、貝が開かれてそれまで隠れていた純潔が見つかり、取り去られてしまう危うい瞬間の寓意画でもあります。

艶やかな女性たちが語る宝石に込められた思い

名作絵画 宝石 アルフォンス・ミュシャ
© 堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市)

アルフォンス・ミュシャ《四つの宝石》
1900年 堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市)

宝石のイメージを擬人化した作品。右から“エメラルド”(若さ・予知)、“アメジスト”(貞節・高貴)、“ルビー”(情熱)、“トパーズ”(安全・思慮)。艶めかしく、どこか気怠そうな女性たちの表情がミュシャらしさを感じさせます。


いけがみひでひろ●美術史家・東京造形大学教授。東京藝術大学卒、同大学院修士課程修了。専門は西洋美術史、文化史。主著に『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』(第4回フォスコ・マライーニ賞)、『死と復活』(いずれも筑摩書房)など。日本文藝家協会会員。

『婦人画報』2022年12月号より