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坂本龍一×伊東信宏(音楽学者)「コロナ禍で音楽を考える」──『コモンズ:スコラ vol.18 ピアノへの旅』刊行記念対談

リニューアルした『コモンズ・スコラ』の第1弾『vol.18 ピアノへの旅』の刊行を記念して、総合監修を務める音楽家・坂本龍一と、同書の全編に登場するゲストの音楽学者・伊東信宏との対談をお届けする。
坂本龍一

坂本龍一がもっとも長く深く親しんできた楽器、ピアノをテーマに選んだリニューアル第1弾『ピアノへの旅』は、2021年7月24日にアルテスパブリッシングより発売される(定価:本体2000円+税)。

クラシック/非クラシックを問わず、世界中の様々な音楽をテーマに取り上げ、各界の専門家とともに厳選した楽曲を収録したCDと、重厚な解説ブックレットが一体化した『コモンズ・スコラ』は、2008年のVol.1『J. S. バッハ』以降、2018年『ロマン派音楽』まで全17巻をリリースしている。そんな『コモンズ・スコラ』が18巻からは書籍としてリニューアル。書籍内で取り上げる楽曲はSpotifyやApple Musicでプレイリストとして用意し、QRコードを介して提供するコンテンツとなった。

今回の対談は、コロナ禍が始まって間もない2020年4月30日、東京での仕事を終えてニューヨークの自宅に戻ったばかりの坂本と、大阪の伊東をZoomでつないで収録された。同年夏の刊行を見越しての企画だったが、1年以上経った今もコロナを巡る状況に本質的な変化はなく、ここでの対話の意義もまったく失われていない。パンデミックが収束する見通しが立たないなか企画されたこの対談は、リニューアル刊行される書籍第1弾『vol.18 ピアノへの旅』のサブテキストとしてお読みいただきたい。

近況から

坂本:あのナポリでみんな歌ってるヴィデオ(注)、すばらしいですね。あほなラヴ・ソングがね。

伊東:あれ面白かったですね。

坂本:まだ歌ってるんだろうか。

伊東:イタリアはスカラ座がもう再開を決定して、9月とかにヴェルディのレクイエムからやり始めるっていうのを決めたらしいですね(注)。

坂本:レクイエムですか、まあそうなるよね。

伊東:覚悟を決めてるみたいな感じはしますけど。

坂本:でも夏から冬にかけて第2波がきますよね。危険だな。

伊東:坂本さんはもう外にはあまり出られてないんですか?

坂本:ぼくはほぼ1カ月間日本にいたあと、4月8日にニューヨーク(NY)に帰ってきました。NYの感染が8日だとまだピークではなかったので。日本だと僕はホテル住まいなので、もし発熱したら出なきゃいけないし、短期のマンションも借りられなくなっちゃう。どっちみち自主隔離してるんだったら多少危険でも自宅のほうがいいかなと思って、意を決して帰ってきました。完全防備してマスクして。怖かったです。

伊東:日本からNYに行くのは行けたんですね。4月8日の時点で。

坂本:行けます。

伊東:自己隔離は必要なんですか?

坂本:着いてから2週間は自己隔離です。

伊東:いまはもうNYにはいけないでしょうね。

人間が生み出した災厄

伊東:坂本さんのインタビューが載っている雑誌『アルテス』の3・11特集号(注)を先日来読んでいたんですけど、9・11の時はNYにいらしたんですよね。3・11の時は東京にいらした。コロナ・ウィルスの今回はNYにまた戻られたわけでしょ。その3つぜんぶを現場で経験されてるというのはあまりないことじゃないかなと思ったんです。

坂本:エピセンター(震源地)と言われるところにいますよね。不思議ですけど。

伊東:僕の感覚では、この10年ごとに来た災厄のなかで今回が一番、人間にとって深いところに問題を突きつけられてるっていうような感じがするんです。

坂本:いま起きてることについては、たんに情報を追うんじゃなくて、これはいったい何なのかを深く考えたいですね。いろいろ読んだり考えたりしていくと、これは因果応報というか、人間が起こしたことだなと思います。広い意味での環境問題だと。地球のあらゆるところでこれだけ生態系を破壊してきた資本主義っていうのは、150年くらいですか? その因果応報だろうなって思いますね。その恩恵も当然僕たちは受けていて、単純に資本主義が悪いと名指しはできないんですけども。

伊東:こうやってニューヨークと大阪と東京でお話しできるのもテクノロジーのおかげですからね。

坂本:願わくはパンデミック後の世界が、これを大きなレッスンとして、より良い方向に舵を切ってほしいですね。多くの人たちがそう感じてはいると思います。政策決定者や巨大な投資会社のような世界をコントロールできる力を持ってしまった人たちが、そのように考えるかどうかというのは、非常に怪しいですが。

伊東:自粛してるあいだに失った分をなんとかして取り戻そうっていう揺り戻しがたぶんすごいと思うので、それにのまれたら元の黙阿弥というか、3回もレッスンがあったのに何も学ばないままになるということはあり得る感じがするんですけれどね。でも一方でかなりショックを受けてる人も多い。

坂本:ぼくは人間は本当に幼稚だと思ってるんです。NYで9・11を体験したあとに、「人間て何だろう、暴力って何だろう」みたいな青臭いことを考えて、やっぱり人間の原点に行こうと思ってアフリカに行ったんです。400万年前の遺跡を掘り出した場所に行ったり、200万年前のホモエレクトスを見てきたりしながら感じたのは、ホモサピエンスは基本的にアホだな、まだ幼児だなと。象なんて何千万年も生きている哺乳類の大先輩ですけど、ホモサピエンスはまだ20万年。ゴリラや象は人間にヤラレっぱなしですけど、「こいつら本当にバカだな」と哀れみの目で見ていると思うんです。彼らは何も言わないけど、ウイルスが言ってくれてるんですよ。だけどウイルスも生存戦略で動いてるわけだから、食いつきやすいところにいきます。今回わかったのは、僕らの肌の表面だと、数分しか活性じゃないんだけど、プラスチックの上だと3日間活きてると。ウイルスというのは生き物じゃじゃないから、ウイルスが一番怖いのは土壌とか海水の中で、他の有機物がうじゃうじゃいると、瞬く間に分解されてしまうそうですね。

伊東:つまり、人間の作った無機物の方が生きやすいということですね。

坂本:他の有機物や微生物がいないから分解されないんですよ。彼らの戦略としては、それは正しいんですね。人為的な環境を増やせば増やすほど、彼らは生きやすくなって拡散しやすくなる。そうやってウイルスが生きやすい環境を人間がつくってきたわけです。

静かな街で

伊東:そういう意味では、日本はまだ散歩に行けたりするので、僕は毎朝1時間くらい歩いてるんですけど、(これはちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが)めちゃくちゃ快適なんですよ、3月、4月と。まず空気が綺麗だし、それから自然の様相が明らかに変わってきていて、虫や鳥の様子がいつもとぜんぜん違う。

坂本:犬の鳴き声は聞こえます?

伊東:ええ、すごい元気です。

坂本:NYも、ご存知でしょうけど、街のノイズが堆積していて24時間いつでもすごいんですよ、ノイズが。僕は一番静かな午前3時、4時頃に、タイムズスクエアという一番うるさいところに音を録りに行ったことがあるんです。すごい音がしてるんです。

伊東:それはどういう音なんですか。

坂本:何百万個あるエアコンディショナーとか換気の音とか、あと常に電気が流れているので、そういうもの全てが24時間ずーっと鳴ってる。だけど今は明らかに産業、ビジネスが減っているから、街が静かですよね。

伊東:これをまた前と同じように経済を回してお金が回るようにしたい、それしか可能性を考えられないというのは恐ろしいことだと思うんですけど。

坂本:僕はふだんからほとんど外に出ないので、ほとんど生活が変わらない。こういう職業だから家で仕事ができるのはありがたいなと強く思っていて。たとえば舞台の照明さんや音響さん、舞台監督さんとか、その場に行かないと成立しない職種はたくさんありますよね。音楽家でも演奏家は厳しいですね。だけど作曲家はほんとに家でできるので、これは本当に幸運というか、申し訳ないようですけど。

伊東:先だって坂本さんがインターネットで配信されたImprovisation for Sonic Cureを見せていただきましたけど、あれを見て、坂本さんって不思議な人だなってすごく思ったんです。インタビューでも「癒しなんて大嫌いだ」とおっしゃってるけど、あのImprovisationの動画はやっぱり癒しなんですよね。癒しをちゃんと引き受けてらっしゃる。僕も癒しなんて大嫌いですけど、それでも聴いたり見たりするとホロッとするんですよね。それをちゃんと引き受けられるっていうのはすごいなと思ったんです。その辺は坂本さんのなかでどう繋がってるんでしょう?

坂本:21年前に《エナジー・フロー》(注)がCMに使われたときに、癒しの音楽だって言われて、もうほんとうに身の毛がよだつ思いがしたんですけれど。でもね、自分でも例えば9・11のテロがあって、1ヵ月ぐらい音楽なんか聞ける状態じゃなかった。その時最初に聴いた音楽は《マタイ受難曲》なんですが、ご多分に漏れずというか、やっぱり滂沱の涙です。緊張が解けた。音楽ってそういうものなんだろうなぁっていう実感は僕にももちろんありますよ。そもそも音楽だけじゃなく、ものを作るっていうのは、なくなったもの、いないもの、いなくなった人、去ってしまった人に向けて作ってるんですよね。

伊東:それはもうまったく同感です。

坂本:ブルースだってアフリカ大陸にはなかったと思う。ルーツを奪われて、ニューオーリンズまで連れてこられた黒人たちが、もう帰れないという望郷の念にかられて、自分たちのことを思ったそのときにブルース的なものが生まれる。それはアフリカにはぜんぜんないものだった。そういうもんじゃないかなと思います。

伊東:そうですね。今回なぜかアンジェイ・ワイダ監督の『カティンの森』(注)を、初めて観たんです。重い映画だなと最初は思ったんですけれど、見終わって何日かしてから震えがくるくらい怖くなってきて。それこそ人間ってどうしようもない馬鹿な生き物だっていうことを思うのと、それからポーランドの作曲家ペンデレツキが、絶望的な画像にものすごく重い絶望的な音楽をつけてるんです。もともとペンデレツキはしんどいから嫌いだったんですけど、もうこれ以外ありえないっていう音楽で、あれもやっぱり音楽の力なんですよね。ふだんはそんなこと言われたくないけど、こういう時にはもうやっぱりそうシニカルにかまえてばかりはいられない。そういう面はどうしても残るという気はします。いま坂本さんがおっしゃったバッハの《マタイ》でも同じことかなあ。

坂本:恥ずかしいですけどね。でもやっぱり最初に何を聴こうって考えたら、バッハになったんですね。このパンデミックが始まってからも、すんなり耳に入ってくるような音楽がなかなかなくて。どれも小賢しく聞こえちゃう。やっぱり宗教音楽に耳が行ってしまいますね。

伊東:逆に、19世紀音楽はこれで本当に終わったんじゃないかっていう思いが僕は強くするんです。ホールという密室空間に集まって、みんなが同じ方向を向いて黙って聴く音楽は、息の根を止められたと言っていいんじゃないでしょうか。

坂本:20世紀以来メディアが発達して、音楽は聴くものであって自分でやるものではなくなったという歴史がありますよね。19世紀末くらいまでは、コンサートという形式がどんどん発達していった一方で、多くの家庭でも兄弟姉妹お父さんお母さんで演奏を楽しんでいた。20世紀に入ってそちらは廃れていったわけですけれども、今の状況で考えると、コンサートは行けないけれども、みんな家族と一緒にいるわけです。家族で音楽を聴いたり、家族で映画を見たりしている。

伊東:ああ、なるほど。家庭での音楽が復活していくでしょうか?

坂本:どの程度かは分かりませんけれども、そういうことがあってもおかしくない。

伊東:そうかもしれませんね。

バッファの必要性

坂本:話がちょっと飛んじゃいますけど、今こういうときにインターネットがあってよかったなと思うんです。100年前のスペイン風邪のときはなかった。彼らの不安とか、孤独感はどんなものだったのか、想像できないですよね。ぼくらにはインターネットがあってほんとうに良かった。ミュージシャンとして、世界のあちこちにいるミュージシャンを組み合わせたい、つながりを作りたいと思ってですね、アラブ圏とか中国とかいろんな国やエリアから10人を選んで、ぼくとデュオの音楽を10ピース作って、シリーズで出していこうと考えてるんです(注)。

伊東:それはネット上で共演されるということですか?

坂本:そうです。とくにいま中国に対して世界中が厳しい目で見ていますよね。中国人の観光客が殴られたりしてますし、中国人もそれを感じている。だから中国系のミュージシャンともいろいろピースを作っていく。ふだんはなかなか使わない言葉ですけど、フレンドシップみたいなこともいまはとても重要だし、音楽にはバウンダリーやボーダーはないんだとやはり訴えたくなっちゃいましたね。そんなことをしてるもんですから、けっこう忙しいです。

伊東:これも関係があるようなないような話なんですけれども、こういう状況になって思いついたのは、メールがその瞬間に届くこと。すぐにほぼ間違いがなく届く。これはもうちょっと機能不全を起こさせた方がいいんじゃないかなっていう感じがすごくして、猫郵便というのを考えたんです。猫に郵便をつけて歩かせる。猫は勝手にどこかに入っていって、どこかの人がその手紙を受けとる。ひょっとしたら返事をくれるかもしれないし、くれないかもしれないし、どこか別の所へ行くかもしれない。それぐらいゆるいコミュニケーション・ツールを考えておいたほうがいいんじゃないかなって。メールはこれ以上便利にならない方がいいんじゃないかという気がするんですけど、どうでしょう?

坂本:繋がりが大事だと言いながら、同時に繋がりすぎる必要はないんですよね。いま、街に人がいないじゃないですか。気持ち良いんですよね。せっかく世界中がロックダウンして、すべてがスローダウンしたのだから、このスローダウンは活かしたいです。スローダウンした時間と経済のあり方、産業のあり方。その産業にも十分なバッファをもたせたい。これまではバッファ、つまり備蓄を持たずに、必要な部品をその都度調達するというトヨタ方式のやり方が世界中を席捲しちゃった。それで何万個もある部品のうちひとつでも中国から届かないと、それだけで自動車が作れなくなっちゃう。これではダメなんで、必要なバッファをもって、もっとスローダウンしないと。たぶん個人もそうなんですよ。同じように医療制度も。日本は欧米に比べて感染爆発していないのに、あちこちの病院で医療崩壊が起きている。それは常日頃から病床が足りてなくてバッファがないから。利益を優先して、入院患者をどんどん追い出して回転をあげる。80年代からずっとそうやってきて、どんどんぎりぎりになってきた。対照的なのはドイツですよね。感染者は多いけれども、医療崩壊は起きていません。死者数も圧倒的に少ない。やはり余裕を持った暮らしとか産業のやり方の舵をそういう方に切ってほしいと思うんです。

構造のない音楽

伊東:それは坂本さんが最近おっしゃっていること全部に関わっていると思うんですけれど、例えば時間のない音楽を作りたいとおっしゃってる(注)。その時間というのは、たぶんバッファを持たずにどんどん回していく、前進し続ける感覚と同じものだろうと思うんですね。そこでたゆたう、とどまるといったことが起こると、時間の直進性は相対化されるでしょうし。そういうことと繋がってると思うのが一つ。それから震災後に出会いがあった津波ピアノ(注)も、鍵盤を押したら必ずポンと音がするという、その機能が不全を起こしているということで関係していて、そこにスイッチのオン/オフと結果とが結びつかないような構造を作るとか、そういうことと関係しているのかなっていう気がします。いかがでしょうか?

坂本:ニューヨークの自宅に小さい裏庭があるんですよ。本当に何畳もない狭い庭なんですけど、そこにちょっと縁がある人から100年ぐらい前の古い、ベイビーグランドっていうちいさなピアノをもらって。もともと調律も狂っているピアノだったので、雨風に打たれるまま置いてあるんです、1年ぐらい。本当にすごいですよ、雨風の力って。最初に塗料が剥げていくんですね。むき出しになった生の木が日光で反り返ったところに風がくると、バーンと本当にバラバラになる。もちろん弦はさびていく。そのままほったらかしてどこまで朽ちていくのか、見てやろうと思っているんですけれども。

伊東:1年前ということは、東京でお会いしたあとですね。

坂本:そうです。雨風の力ってほんとにすごいなあと思って。茅葺きの屋根でもなんでも、雨風を凌ぐためのものを人間が作るのは、自然なことなんだなって納得します。動物は家を持ってないですけど、人間は家を作らないと生きていけない。そういうことを考えるのも大事だと思いますね。時間に備蓄がないような、世知辛い状態になった大元っていうのは、やっぱり近代のニュートンあたりからだと思います。ああいうふうに時間を考えたっていうところが諸悪の根源なんですよね。時間は価値であるという考え方は、さらにその前、アリストテレスくらいからありますけど。時間というのは「数える」ためのコンセプトなんですよね。家を作るにしても、自然にあるものを持ってきて使うんじゃなくて、エジプト文明あたりからレンガを作り始める。そうすると、この床を埋め尽くすにはレンガが何個必要なのか計算する必要が生まれて、数学や幾何が発達した。

伊東:鍵盤というのもレンガみたいなもので、単位を作ってそれを積み上げるという考え方は同じだということですね。

坂本:空間そのものには単位はないわけで、そこに人間だけに見える線で区切ったり積み上げたりする、そういうことが近代を作って、今に至るまで来ちゃってるんですよね。僕らがふだんやっている音楽も完全にそう。世の中に染み付いている。

伊東:坂本さんがそれを無効化しよう、そこから抜け出そうとされてるというのは、このあいだの配信(Improvisation for Sonic Cure)でもすごく感じましたし、そこにたぶん共感するんだと思います。

坂本:さっき言った10組のデュオというのも、音楽にならない、手前の状態というのがコンセプトで。

伊東:音楽にならないというのは、構造を持ってしまわないように、ということですか?

坂本:そこまできつい条件をだしているわけじゃないんですけど、そういうコンセプトでやっているんですよ。ある種の音楽にしないようにする。ある意味では時間軸に縛られないようにするということなんだと思いますけど。

伊東:それはこの本での鍵盤の話に結び付いていきますよね。

坂本:鍵盤はまさにレンガみたいなものですよね。そもそも音階を鍵盤のああいう形で表すとか、5本の線を弾いてそこに印をつけていくとかっていうのは、まさに建築じゃないですか。

伊東:ですよね。

坂本:音楽は音の高さと時間軸で表すことができるんだから、ニュートンが考えたような空間と時間と同じ発想ですよ。ただ、X軸とY軸があると、どうしても始まりがあるじゃないですか。

伊東:ゼロがありますね。

坂本:始まりがあったら終わりがあるわけですから、それはちょっと困りますよね。

伊東:構造ができちゃう、ということですね。でも今こんな話になっているのは、こうやって人間の活動が静まってみると、そういう数直線的な単位に物を言わせて構造を作ろうとすることが、全部嘘くさく見えてくるということなんでしょうかね。だから坂本さんがもともと考えてらしたことが、我々にも届きやすくなってる。

坂本:この状態を簡単には忘れて欲しくないですよね。

伊東:本当にそう思います。まだオリンピックをやるって言ってますし、その反動はけっこう大きいだろうという覚悟はしてますけど。

レゲエ、ドビュッシー、リゲティ

坂本:音楽の話に戻ると、座標的に考えた時点でダメなんでしょうね。僕が一番最初に行った外国はジャマイカなんですね。

伊東:あっ、そうなんですか。学生時代ですか?

坂本:26ぐらいだったので、YMOを始める直前ぐらいです。当時レゲエっていうのが西洋音楽の新しいリズムとして、日本にも少し情報が入ってきていたので、現地のミュージシャンの体の動きをぜひ見たかったんですけども、やっぱり今考えると、彼らはあまり座標的にとらえてないと思います、音楽をね。まずだれも譜面が読めないから、譜面的に思考してないですね。驚くべきことには、70年代当時──今もそうですけど──日本の音楽スタジオのエンジニアやアシスタントの人たちは全員譜面が読める。むしろ譜面を渡さないとどこをやってるのかわからない。僕はその頃まだ日本でしか仕事をしたことがなくて、そういうものだと思っていたんですけど、ジャマイカに行ったらミュージシャンもエンジニアも誰も譜面を読めない。だけど驚くほど記憶力が良い。新しい曲を1回聞いたら全部覚えちゃう。それにちょっと衝撃を受けたんですよね。その後ロンドンとかあちこちでレコーディングする機会が増えましたけど、ロンドンでもニューヨークでもどこに行っても、譜面を要求したり譜面が読めるエンジニアなんて一人としていないんです。

伊東:そういうものなんですね。

坂本:コードネームすら読めないプロのミュージシャンもいました、当時。

伊東:コードネームもわからないとは……。

坂本:僕よりちょっと年下ですごくセンスのあるブラジルのコンポーザーにヴィニシウス・カントゥアリアという人がいます。ギターを弾いて歌も歌う人で、ハーモニーのセンスもすごく繊細で良いんだけれど、彼はまったくコードが読めない。でもひたすら転調する曲でもどんどん弾いていくんですよ。だから僕の曲を弾いてもらうときは、一音ごとに一つ一つ、じっさいに弾きながら伝えるので大変なんですけど、彼も座標的には考えていない。現在の都市にまだそういう「野蛮な」人たちがいる。すばらしいことですよ。日本は譜面の読める人が多いけど、その代わり耳を使っていないことが多い。

伊東:それは代償でしょうね。邦楽の人もどんどん譜面化してますしね。

坂本:もう、怒り爆発ですよ。平均律で吹くなあ! ピアノに合わせるんじゃない! ってハリセンで叩きたいですよね。こっちはなんとかピアノの調律を狂わせようと努力しているのに。琴にしろ尺八にしろ、邦楽器はせっかく狂ってるんだから大事にしろって。

伊東:せっかく狂ってるんだから(笑)。たしかにそうですよね。

坂本:だけどドビュッシーの例えば本でも取りあげた《前奏曲》の〈雪の上の足音〉なんかは、もや〜んとしてるから音の輪郭がぼやけてるんですよ。あれが僕は好きなんです。もっともやもやしてて良いぐらい。あれはあの時点で西洋人のつくった精一杯の……

伊東:最大級にもやもやしてる音楽。

坂本:いちおう何分の何拍子って書いてありますけども、テンポもあれだけゆっくりだから、あってないようなもので、拍節感もないですから。よくあの時点であそこまで行ったな〜と思いますね。そういう意味で、20世紀の作曲家で一番ドビュッシーに近いのは(ジェルジ・)リゲティだって、武満徹さんが言ってますね。本当は武満さん、自分だって言いたかったんだと思うけど(笑)。

伊東:遠慮されたんでしょう。

坂本:リゲティも中期・後期になると変わっちゃいますけど、《アトモスフェール Atmosphères》(注)とか本当にもやっとしていて拍節感もなくて。僕は本当に若い時から好きでした。その拍節感のことでいうと、中国の「古琴(クーチン)」という古い形の琴をやっている名手がいて、彼女は伝統音楽の演奏も素晴らしいし、実験音楽もやる人で面白いんです。彼女に古典を弾いてもらうと、ひとつの音と音のあいだがものすごく空いていて、ほんとに「タン…………トゥン…………」って、ひとつ音が鳴るとずーっと間が空いて、やっと次の音が出てくる。これがすっばらしいんですね。2分ぐらいで終わっちゃう曲なんですけど、たぶん唐とか宋とかそういう時代の曲。今とは時間の感覚が違うんだと思うし、現在の彼女の解釈で弾いているわけだから、当時のままとは言えないんですけども、素晴らしい時間の感覚です。拍節構造からまったく外れてる。「間」っていってもぜんぜん日本の独占じゃないんです。禅だって中国で発達したものだし、すごいなあと思いますよ。

伊東:そういう間というのは、例えばデュオで演奏されるときに、ネットで伝わるものですか?

坂本:間が空くと音がしないからね。その場を離れてどこかに行っちゃう人もいるかもしれないですね(笑)。

あの《ボレロ》は美しくない

伊東:今、みんなで合奏しました、っていう動画がいっぱいアップされてるじゃないですか、インターネット上に。でも面白いと思ったためしがないんです。この会話でもそうですけど、気配とか間とかはネットには乗らないから。それが合奏の一番肝心なところでしょう? これからどうなるのかなあと。そこは坂本さんのデュオではどうされてるんですか?

坂本:まず相手の人に拍節とかコードに則らないものを作って送ってもらって、それに対して僕が加えてるから、時間差はあるんですよ。ネット上だと遅延が起こるので、同時には絶対にできない。

伊東:なるほど。

坂本:それでももちろん、間を活かした音楽だって当然できるんだけれども、この忙しい時代にそんな間が空いている音楽、間抜けな音楽を誰が聴くんだろうとは思いますけどね。

伊東:でも求められているような気もしますね、そういうのが、まさしく。

坂本:ロックダウンし始めた当初、僕の知り合いのデンマーク人が、友達の家に4人集まって、弦楽四重奏をネットでライヴ配信していて。お客はネット上で見ているんだけれども、演奏家は家に集まって一緒にやっていて、そこでの演奏はちゃんと間をとったり息を合わせたりしてやってますけれども。あの、今よく見る《ボレロ》とかは、僕は直接知らないですけれども、もたりとかがまったくなくて、間違いなくクリックに合わせて別々に録った音を重ねてますよね。

伊東:そうでしょうね。

坂本:つまんない音楽になっちゃいますね。本の第2部でも話しましたけど、もたったり、止まったり、間があいたり、というのはどれも同じことだとこのところ思っているので、ますます(セルジウ・)チェリビダッケ(注)がいいんですよ。

伊東:はいはい、チェリビダッケが好きだっておっしゃってましたね。

坂本:彼の指揮は、次の小節に行かずにそこで止まっちゃいそうなぐらいもたる。あれはクリックじゃできないことなので、そこにやっぱり音楽の面白さがあると思いますね。でも邦楽にしろクラシックにしろ、そういう打ち込みのような──打ち込みの音楽ってそもそも僕らが40年前に始めたようなものなんですが──座標があってユニットがあって音を埋めていくような音楽にどんどん近づいてしまっていて、残念ですね。

伊東:こういう状況になったので、下手すると、ネットで伝わらないものは捨象していいんだ、ってなりかねないから、そうするとああいう間のない音の連なりが音楽だと思う人が増えていくかもしれない。そういう危険はある。

坂本:すでに多いのかもしれない。

伊東:そうなんですよ。

坂本:けっこうみんな感動してるみたいだし。困ったもんだ。

伊東:そういう危険は感じますね。

坂本:これは音楽じゃない、とやっぱり言わないとだめですよ。

伊東:こんなことやってんじゃないって、ハリセンでも(笑)。

坂本:音楽の力って何かと言うと、僕はファシズムを感じるんです。あの《ボレロ》は美しくないと言いだせない雰囲気っていうのはファシズムです。これは本当にダメ。

伊東:それはぜひ、公にしたい意見です。僕もそう思います、本当に。

坂本:話があちこち脱線しちゃいましたね。

伊東:いや、Zoomで話すのは疲れますけど、僕はすごく面白かったっていうか。

坂本:そうですね、整理しないほうがいいかもしれませんね。

【注】
ナポリでみんな歌ってるヴィデオ:
ナポリの病院で、献血に来た人も、医師も、看護師も、みんな歌っている、というニュース映像があり、やっぱりイタリア人はすごいなあというメールのやり取りがふたりの間であった。曲はアンドレア・サンニーノの〈Abbracciame(私を抱いて)〉。

スカラ座のスケジュール:
当時スカラ座の公式サイトでは「ON HOLD(保留)」と表示されていた。

雑誌『アルテス』の3・11特集号:
アルテスパブリッシングより2011年11月に発売された創刊号。

《エナジー・フロー》:
1999年にインストゥルメンタル曲として初めてオリコン週間チャートの1位となった坂本龍一のヒット曲。

『カティンの森』:
2007年製作・公開のポーランド映画。第2次世界大戦中にソ連の秘密警察がポーランド軍の将校を虐殺した「カティンの森事件」を映画化した作品。

10人とのデュオ:
「Incomplete」というタイトルでYouTube公式チャンネルにてすべて公開中 → https://www.youtube.com/watch?v=kOaYRL764C0&list=PLt-rCeGDshZGtFp4_EtjLPdKIPo0STrRD

時間のない音楽:
『ピアノへの旅』の第2部p.136〜を参照。

津波ピアノ:
2011年の東日本大震災で海水に漬かったピアノを坂本が引き取ったもの。同じく『ピアノへの旅』p.164〜で詳しく語られている。

《アトモスフェール Atmosphères》:
ジェルジ・リゲティが1961年に作曲した管弦楽曲。『ピアノへの旅』p.118〜119を参照。

チェリビダッケ:
ルーマニア出身の指揮者。『ピアノへの旅』p.97〜98を参照。

坂本龍一 
さかもと・りゅういち

1952年東京生まれ。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京藝術大学大学院修士課程修了。78年にソロ・アルバム『千のナイフ』でデビュー。同年、細野晴臣、髙橋幸宏とともにYMOを結成し、シンセサイザーを駆使したポップ・ミュージックの世界を切り開いた。83年の散開後は、ソロ・ミュージシャンとして最新オリジナル・アルバムの『async』(2017)まで無数の作品を発表。自ら出演した大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(83)をはじめ、ベルトルッチ監督の『ラスト・エンペラー』(87)、『シェルタリング・スカイ』(90)、イニャリトゥ監督の『レヴェナント』(2015)など30本以上を手掛けた映画音楽は、アカデミー賞を受賞するなど高く評価されている。地球の環境と反核・平和活動にも深くコミットし、「more trees」や「Stop Rokkasho」「No Nukes」などのプロジェクトを立ち上げた。「東北ユースオーケストラ」など音楽を通じた東北地方太平洋沖地震被災者支援活動もおこなっている。2006年に「音楽の共有地」を目指す音楽レーベル「commmons」を設立、08年にスコラ・シリーズをスタートさせている。2014年7月、中咽頭癌の罹患を発表したが翌年に復帰。以後は精力的な活動を続けた。2021年1月に直腸癌の罹患を発表し闘病中。自伝『音楽は自由にする』(新潮社、2009)など著書も多い。

伊東信宏 
いとう・のぶひろ

1960年京都市生まれ。大阪大学大学院文学研究科教授。専門は、東欧の音楽史、民俗音楽研究など。大阪大学文学部、同大学院修了。リスト音楽大学(ハンガリー)研究員、大阪教育大学助教授などを経て現職。著書に『バルトーク』(中公新書、1997年)、『中東欧音楽の回路 ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年、サントリー学芸賞)、『東欧音楽綺譚』(音楽之友社、2018年)、『東欧音楽夜話』(同、2021年)、編著に『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会、2007年)、訳書に『バルトーク音楽論選』(太田峰夫と共訳、ちくま学芸文庫、2019年)、『月下の犯罪』(S.バッチャーニ著、講談社選書メチエ、2019年)ほかがある。

企画&編集・アルテスパブリッシング