ROCK ICON: Koji Kikkawa, Musician, Actor

国家独唱をした吉川晃司のロック魂は?──固定しない、ということ

2016年、最も輝いた男たちを称えるアワード「GQ Men of the Year 2016」。ロック・アイコン賞に輝いたのは、ミュージシャン、そして俳優としても活躍する吉川晃司だ。
国家独唱をした吉川晃司のロック魂は?──固定しない、ということ

Photos: Maciej Kucia @ AVGVST
Styling: Ryo Kuroda
Hair & Make-up: MAKOTO @ juice
文・編集部

マツダスタジアム

2016年10月22日(土)、日本シリーズ第1戦のプレイボールを前に、吉川晃司マツダスタジアムのグラウンドに立っていた。国歌独唱をするためである。

広島東洋カープの、25年ぶりとなるリーグ優勝。惜しくも日本一は逃したものの、吉川の故郷・広島の街は、地元球団の久しぶりの大活躍に、大いに盛り上がった。

「でもね、最後に日本一になったのが、俺がデビューした年(1984年)なんですよ。小学生のときに初めてリーグ優勝(1975年)して、中学のときに連続で日本一(1979~1980年)になって。やっぱり、それはうれしかったんですよね。地方の、市民の球団でも、こうやって日本一になれるんだっていうのが。自分だってやれるぞ、と思わせてくれた部分は確実にあります。そう考えると、不思議ですけどね。俺が日本シリーズの前に国歌を独唱しているなんて(笑)」

この本人の思いに、古くからのファンは同意するだろう。

ホームグラウンドは?

映画の主演&主題歌担当という破格の待遇でデビュー後、ロックアーティストとして独自の道を歩み、さまざまな“伝説”を残してきた。もちろん、“批判”も受け、“誤解”もされてきた。それが吉川晃司の歴史だ。

その歴史を知る側からすれば、「国歌独唱」や、人気を博したドラマ『下町ロケット』で演じた一流企業の部長役などはかなり意外に映るかもしれない。歌手&俳優として同時にデビューした吉川の、30余年後のこんな姿を、誰が予想し得たであろう。

しかし、吉川にとってのホームグラウンドは、あくまで音楽であり、ライブのステージだ。鍛えられた身体と抜群の運動神経を活かしたパフォーマンスは、長い年月を経た今もキレが良く、一方でヴォーカリストとしても弛まぬ努力を重ねてきたことにより、音域や声量はデビュー当時をはるかに凌駕している。このステージングに関しては、30年の「積み重ね」を感じさせつつも、常に新鮮味を求めて現在進行形で変化し続けていると言えるだろう。

「いつも言っているんだけど、声は楽器のようなものだと思っていますから。古い楽器の音が良いのと同じで、歌い手の声も、歳を重ねていけば良くなっていくはずなんです。でも、さすがに身体は歳相応にガタがきていますから維持していくのが大変ですね。今は昔より、はるかにトレーニングやメンテナンスに時間をかけています。それをやっていないと、すぐにダメになっちゃいますよ」

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2015年のツアーでは、始まってすぐの時期に、バイクスタントの練習で左足首を骨折。全治2カ月と診断されながらもツアーを決行したことで話題を呼んだ。

「ああいう“骨折ツアー”も、初めてのことじゃないんですよ(笑)。むしろ、あのときはふだんよりも歌うことにものすごく集中できたし、バンドのメンバーたちも良い仕事をしてくれた。そんなふうに、何かマイナスなことがあっても、そのぶんプラスにできることがあるんじゃないか、と常に思っているんです」

それにしても、医師も驚いたと言われる回復力で、映画の撮影にも間に合い、バイクスタントも披露。さらにツアーでは、今や吉川の代名詞のひとつとなっている“シンバルキック”もこなした。

「さすがに、折ったほうの脚で踏ん張ることはムリだけど、そっちで蹴るのはできるだろうと。周りからは驚かれましたけど、それほど大したことじゃない。ただ、骨折期間中に脚の筋肉が落ちたのには参りました。両脚の太さが全然違ってきちゃったんですよ。これを戻すには、かなり時間がかかるらしいんです」

そして前述の『下町ロケット』や『精霊の守り人』といったドラマ、映画『秘密 THE TOP SECRET』などにも出演しつつ、ニューアルバム『WILD LIPS』を引っ提げて臨んだ2016年のツアーも、実は万全な状態ではなかったという。とはいえ、それを全く感じさせなかったのがプロフェッショナルたるゆえんだ。

「喉の状態がね……。ピアノで言うと、いくつかの鍵盤については叩いても音がうまく出ない状態だった。でも、そういうときにどうすればいいかというと、その鍵盤を飛び越えつつ歌うというテクニックがあるんです。とにかく現状を受け入れたうえで、最善の策を尽くすことが大事。この歳になってくると、そりゃテクニックも使っていかなくちゃムリな部分が出てきますから」

ポセイドンジャパン

今回のツアー中には、水球日本代表チーム「ポセイドンジャパン」からのうれしい依頼が舞い込んだ。

「応援ソングを作ってほしい、と言われましてね。かつて水球でオリンピック出場を目指したことのある身としては、これも身に余る光栄だなと。その代わり、プレッシャーもハンパなかったし、スケジュールも大変だった(笑)。どう考えてもツアー中に完成させるには、ほとんど徹夜で曲作りをやるしかない。でも、やりましたよ。ここで結果を出さなくちゃ、夢を叶えてくれた選手たちに申し訳ないですから」

こうして完成させた「Over The Rainbow」には水球経験者ならではの視点が込められた、ポジティブな楽曲となった。また、来る2020年の東京オリンピックに向けても、この曲はさまざまな局面で使用されていく予定だという。

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新しい出逢い

広島、水球、俳優業、そしてもちろん、音楽──。特にここ数年、“吉川晃司”を形成してきたさまざまな要素との“再会”、あるいは“新たな出逢い”が続いている。2011年の、復興支援を目的とした「COMPLEX」の復活あたりからだろうか。

表面的な部分だけを捉えれば、破天荒なイメージで世に飛び出してきた吉川晃司と、今の吉川晃司は線で結べないかもしれない。しかし、自身は「あのころ」と何も変わっていないと感じているという。

「ずっとひねくれ者なんですよ(笑)。他人に迷惑ばかりかけるし、失敗も多いし。基本的に学習能力はない(笑)。ただ、世の中でおかしいと思ったことがあれば『おかしい』と言いたくなるし、そういうところについても、歳を取ったからといって、全く丸くなっていないんですよ。ちょっと知恵がついて、“戦い方”は変わりましたけどね。

今は、そうやって生きてきた自分に対して、ちょっと意外なオファーが来たりするのを楽しんでいるところもあります。でも、ひとつの固定したイメージで捉えられたりするとやっぱりまた本能的に反発したくなったり(笑)。これからも、それは変わらないと思いますね」

吉川晃司
1965年生まれ。1984年に映画『すかんぴんウォーク』と、その主題歌「モニカ」でデビューする。1988年には、ギタリスト布袋寅泰とのユニット COMPLEXを結成。その後ソロとして、作詞、作曲、プロデュースを自ら手がけ、ロックアーティストとして不動の地位を確立する。近年は、俳優としても高い評価を得ている。