Close Encounters of the Third Kind

未知との遭遇──あの映画をもう一度

総合芸術たる映画は技術革新の歴史でもある。筆者にとって驚愕の映像体験は、1978年日本公開のこの映画から始まった!
未知との遭遇──あの映画をもう一度

総合芸術たる映画は技術革新の歴史でもある。筆者にとって驚愕の映像体験は、1978年日本公開のこの映画から始まった!

※この記事は2014年4月24日発売のGQ JAPAN6月号に掲載された記事です。

文: 石原 隆(フジテレビジョン・映画事業局長)

ついに姿を現したマザーシップ。科学者の1人が、40年近く前に行方不明になった人間が歳をとっていない姿でシップから降りてきたのを見て、「アインシュタインは正しかった」と言うと、もう1人の科学者が「やつも宇宙人だったのかも……」と言っていました。 Columbia Pictures / Photofest / Zeta Image

そんな訳で、アカデミー賞作品賞は「それでも夜は明ける」でした。

原題は「12 YEARS A SLAVE」。

12年間奴隷? どういうことだ? と思っていたら、アメリカ北部の自由人であった黒人が誘拐され南部で奴隷として扱われるという悲劇(実話だそうです)を描いた映画なんですね。その期間が12年というわけです。

実は、今年のアカデミー賞作品賞、僕の予想は「ゼロ・グラビティ」でした。

決して、「それでも夜は明ける」が劣っている、ということではありません。「それでも夜は明ける」は文句なしに作品賞を獲得する力を持っている作品だと思います。それでも「ゼロ・グラビティ」と予想したのは、その撮影技術に驚かされたからです。

映画はいろいろな要素から成り立っています。文学、美術、音楽、演劇などなど。しかし、映画だけが持っている最も特徴的な要素は撮影技術ではないでしょうか。トーキー、カラー、コンピューター・グラフィックス、3Dと映画は発達してきました。「ゼロ・グラビティ」は、映画の新しさはその企画だけではなく、技術的な革新に裏打ちされている、ということを改めて感じさせるものでした。

そうそう、そう言えば、授賞式の会場も「ドルビー・シアター」で映画音響に革命を起こした会社の名前だし、その劇場の以前の名前も「コダック・シアター」と呼ばれていて、ご存じフィルムの会社。どちらも映画の歴史に重要な技術的役割を果たした会社ですね。

さて、僕に、その技術的(と言っても、本質的には何もわかってなかったのですが)なスゴさを最初に感じさせたのは「未知との遭遇」だったような気がします。

その年、1978年は、「未知との遭遇」と「スター・ウォーズ」の年でした。先に公開されたアメリカで爆発的にヒットしている、という噂が日本にも伝わってきていました。

そして、2月、ついに「未知との遭遇」を観ました。その映像に腰を抜かし、それまでに経験したことのない感動に襲われたのを覚えています。スティーブン・スピルバーグという名前は「ジョーズ」ですでに知っていました。しかし、この映画で決定的に記憶に刻まれることになりました。そして、音楽のジョン・ウィリアムズという名前。夢の中にデビルス・タワーが出てきました。

しかし、この映画で新しく覚えたのは、ダグラス・トランブルという名前。彼のクレジットは「SPECIAL PHOTOGRAPHIC EFFECTS」というものでした。この人こそ、あの映像を作った張本人でした。トランブルは「2001年宇宙の旅」で同じく特殊効果を担当し、すでに名声を得ていました。「スター・ウォーズ」の仕事を断り、この映画に参加したんだそうです。

「ゼロ・グラビティ」までつながるSFは、今でこそ人気ですが、当時は「絶対に当たらない」と言われたジャンルでした。決して開かないと言われていたSF映画の扉を開いたのがスピルバーグでありジョージ・ルーカスでした。しかし、その2人を支えたのは映像の技術革新とそれに取り組んだダグラス・トランブルのようなエンジニアたちだったのです。

「ゼロ・グラビティ」を観た後スピルバーグは、ジョージ・クルーニーにこう言ったそうです。「言葉が出なかったよ。君たちは一体なにをやってたんだ?」。