地理編① 択捉島
面積:3168平方キロ 人口:6799人( ※ )
鳥取県に近い大きさがあり、実際は日本最大の島です。1000メートル級の火山が数多くそびえ、温泉などもあります。戦前は漁業や林業が盛んでした。現在は水産加工施設のほか、ホテルなど観光地としての整備が進んでいます。官民共用の飛行場があり、最新鋭の戦闘機も配備されています。終戦時には3608人の日本人が暮らしていました。
地理編② 国後島
面積:1490平方キロ 人口:8681人( ※ )
北方領土の最高峰の爺々岳(1772メートル)を抱え、戦前はサケ、マスのふ化事業などが盛んでした。終戦時には北方四島の中で最も多い7364人の日本人が暮らし、現在も四島の中で最も人口が多い島です。
現在はロシア側が整備した温水プールを備えたスポーツ施設などもあり、高速インターネット回線も開通しています。2016年に択捉島とともに地対艦ミサイルが配備されるなど、近年は軍事関連施設の整備も進んでいます。
地理編③ 色丹島
面積:251平方キロ 人口:3330人( ※ )
なだらかな丘陵と入り江が美しく、昭和初期まで「日本十八景」の一つにも数えられていました。水産業などが行われ、終戦時の日本人は1038人です。現在はロシアの国境警備隊が駐留しています。
地理編④ 歯舞群島
面積:95平方キロ 人口:なし( ※ )
根室半島の沖合約50㌔に点在する島々を指しています。戦前は漁業が盛んで、水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島の5島に5281人の日本人が住んでいました。平坦な島々からなり、現在はロシア国境警備隊を除いて住民はいません。根室の納沙布岬の沖合3.7㌔にある最も近い貝殻島周辺では、1963年から民間協定に基づいて、根室などの漁業者によるコンブ漁が行われています。
地理編⑤ 千島列島
北方領土・択捉島の北、ウルップ島からカムチャツカ半島の南、シュムシュ島までの大小20島を指します。1875年の樺太千島交換条約で日本領になりましたが、1945年に旧ソ連が北方領土とともに占領しました。日本は51年のサンフランシスコ平和条約で領有権を放棄しており、政府は「現在の帰属先は決まっていない」としています。
日本政府はサンフランシスコ平和条約後、当初は択捉と国後2島について、千島列島に含まれるという認識を示していましたが、その後、解釈を変え、北方四島は千島列島に含まれていないと主張しています。
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