半藤一利さん、保阪正康さんとの懇談での、上皇ご夫妻の主な発言は次の通り。
▽昭和史の話の時に
上皇「満州事変についてはどう考えていますか」
半藤さん「その後の日中全面戦争のきっかけでした」
▽満州事変から日中戦争に至った概略を聞いて
上皇「関東軍と東京の陸軍とはどういう関係にあったのですか」
▽謀略の詳細を聞いて
上皇「私が読んだ本に書いてあることとは違いますね」
▽満州事変の話が進み
上皇「満州事変は関東軍が仕掛けた謀略という理解でよろしいのですね」
半藤さん「東京の陸軍本部も相当絡んでいた謀略でした」
上皇「ああ、そうですか」
▽田中上奏文
上皇「ところで、田中メモランダムというのはどういうものだったのでしょうね」「結局、誰が書いたのですか」
半藤さん「現在これは完全な偽物だと判明しています。私の推測ですが、ベースとなったメモ書きなどは日本側から流れたのかもしれません」
上皇「そのベースとなったメモ書きなどは、誰が作ったんですかね」
▽旧日本軍部隊の残虐行為について
保阪さん「やる部隊とやらない部隊がいる」
上皇「それはどうしてそうなるんですか」
▽10万人が犠牲になったマニラの市街戦
上皇「どうしてああいった市街戦を日本軍はやったのでしょうか」
▽ルソン島で持久戦に持ち込もうとした山下奉文大将について
上皇「どのくらいの期間、山の中で持久戦をやろうと考えていたのでしょうか」
▽防空
上皇「ここですよ、防空壕の入り口は」「ここで終戦の時の会議が開かれたんですね」「今はキツネだかが住んでいるらしいんですよ」
▽保阪さんから著書「仮説の昭和史」を贈られ
上皇「仮説は大事ですよね」「日本にはどうして民主主義が根付かなかったのでしょうね」
▽朝鮮半島の歴史を語る上皇さまに2人が「お詳しいですね」と言うと
上皇「私は勉強したんですよ」
▽昭和天皇が外国の短波放送を聞いていたのかとの話題で
上皇「フランス語はある程度分かると言っていたのを聞いていますが、英語はまったく分からなかったはずです」
▽昭和天皇の拝聴録
上皇「ないと思います。私は知りません」
▽英エリザベス女王戴冠式への参列で
上皇「いろいろな国の若い皇太子と話ができたのが楽しかった」「いちばんよかったのは、各国の王子と知り合いになれたことです。これは私にとって後々、その人間関係が役立ちました」
▽チャーチル首相
上皇「握手するなり、私を慈しむように接してくれた。本当に慈父のようでした」
▽ご夫妻が初めて会ったテニスの試合
上皇「ちょっとやってみたら、自分たちが簡単に勝てる、楽勝だなと思ったんですよ。始まってからも、たいして強くないなと思いながら球を返していたんですけれど、ゲームが進んでくると意外に強くて、接戦になったんですよ。それで真剣になってやりました」
上皇(上皇后に)「そのときあなたはどういう気持ちだったんですか」
上皇后「殿下とテニスをすると言われてすごく緊張してましたよ」
▽懇談の部屋に聞こえてくる虫の音を説明し
上皇「この前、秋篠宮のところの悠仁が来たんですよ。そして一緒にこの辺を散歩したんです」「悠仁は虫に興味を持って『これは何て言う虫?』とかすごくよく聞くんですよ。私は全部、教えました。子どもっていうのはかわいいものですね。本当にかわいい」
▽半藤さんが「(子どもの頃)赤い毛糸を餌代わりにしたら、ハゼはバカだからよく釣れましたよ」と言うと
上皇「ハゼはバカではありません」
▽皇居内の養蚕所
上皇后「今でも皇居で養蚕をやっているんですけれど、日本の若い人にあまり関心を持っていただけないのが残念です」
▽母・正田富美子さん
上皇后「私の口から言うのもなんですが、母は本当に立派な人でした。母は寡黙でしたが、子どもの教育をはじめものの考え方がとてもしっかりしていました。私はその母を本当に尊敬していました。母に追いつこう、できれば母を追い抜くぐらいの存在になろうというのが、私の人生の目標でもあったんですよ」