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河野一郎元建設相の秘書を経て1963年、衆院旧北海道3区で初当選し、政界入り。衆院当選11回。ロッキード事件で76年、全日空の機種選定に絡んで同社から、運輸政務次官時代に賄賂を受け取ったとして受託収賄罪で起訴された。無罪を主張したが、一、二審で有罪判決を受け、86年に有罪が確定した。
政界では中曽根康弘元首相の側近として知られ、91年に党総務会長に就任。97年の第2次橋本改造内閣で総務庁長官として初入閣したが、世論の反発で、わずか12日間で辞任に追い込まれた。2000年衆院選で落選し、03年に引退表明した。
写真は第2次橋本改造内閣で総務庁長官として入閣後、定例記者会見で辞任を拒否する佐藤氏(1997年09月19日) 【時事通信社】