【2022年1月9日神奈川新聞掲載】
新春恒例の箱根駅伝を観戦したあとはなぜか自分も駆け出したくなる。走れなくても、がんばって生きていこうという気持ちがわいてくるから不思議だ。佐藤多佳子作「一瞬の風になれ」もそんな一冊である。
「一瞬の風になれ」で描かれるのは駅伝ではなく、4人でバトンをつないで400メートルを走る「ヨンケイ(4継)」と呼ばれるリレー。100メートル10~11秒台の全力疾走で行うバトンパスは非常に難しく、昨年の東京五輪での日本チームのバトンミスによる途中棄権が記憶に新しい。
舞台は神奈川県内のとある公立高校の陸上部で、作中には神奈川の陸部出身者におなじみの城山、三ツ沢、海老名、大和などの競技場が登場する。
主人公の神谷新二はサッカーで行き詰まっているところを「ボールなんてなけりゃ、おまえ、もっと速いのに」という天才的なスプリンター、幼なじみの連の言葉をきっかけに陸上部に入り、インターハイという憧れへ向けて、仲間と練習を積む。自分たちの限界を超えようとあがいて悩んでも、気が付けばいつも笑い合っている個性豊かな部員たちと、互いに影響し合い支え合うことで、わずか2年半の短い歳月で、新二は驚異的な成長を遂げる。
そんな青春の、奇跡のような時間を描いたこの作品は2007年の本屋大賞と吉川英治文学新人賞を受賞し、多くの読者に愛され続けている。
文庫版の巻末には、佐藤多佳子が4年間をかけて取材し、モデルとして描いた県立麻溝台高校陸上部メンバーに、コーチと佐藤を交えた座談会「『一瞬の風になれ』3年目の同窓会」も収録されている。(神奈川近代文学館・野見山 陽子)
※神奈川近代文学館は改修工事のため3月末まで休館中。次回特別展は「生誕110年 吉田健一展」(4月2日から)