【2023年】ロックの殿堂|その歴史と式典の模様を詳報

【2023年】ロックの殿堂|その歴史と式典の模様を詳報
沢田太陽
沢田太陽

去る11月3日、アメリカはオハイオ州クリーヴランドにある「ロックンロール・ホール・オブ・フェーム・ミュージアム」で、ロックの殿堂入りを祝したセレモニーが行われた。アメリカではグラミー賞に並ぶ、いや、一時の勢いでなくキャリア全体での評価でもあるので、それ以上の意味を持ちうる栄誉だ。セレモニーは4時間を超える大規模なもので、超大型ゲストも多数集まった。この式典は、功績のあるアーティストたちの一体何に敬意を払い祝っているのか。これについて語っていきたいと思う。

「ロックの殿堂」とは、そもそも何?

Photo credit: f11photo / Shutterstock

「ロックの殿堂」は1983年に財団が設立され、ロック文化に功績を持つアーティスト等が1986年から毎年10組前後の人物の投票によって殿堂に入るようになった。式典としての認知が高まり、人気が出始めたのは1995年、「ロックンロール・ホール・オブ・フェーム・ミュージアム」が完成してからのことだ。ロックンロールという言葉の発祥の地となったラジオ番組を放送した場所にちなみ、オハイオ州クリーヴランドに建てられたガラス張りの巨大なピラミッド型建設で知られるこの博物館で殿堂入りのセレモニーが行われるようになり、すでに四半世紀が経過。今やアメリカ音楽界における権威になっている。

では、この「ロックの殿堂」にはどういうアーティストが選ばれるのか。もちろん、偉大なロックバンドやロックシンガーが選ばれてきていることは間違いないが、そこで選ばれるのは必ずしも、直接 “ロック“ をやっている人だとは限らない。

そこには非常に多くの黒人アーティストも選ばれている。ロックとの親和性の高い生演奏のブルースやソウル・ミュージックはもとより、ヒップホップのアーティストも選ばれているのだ。そうかと思えば、アメリカ白人音楽の象徴的音楽のカントリー・ミュージックのスターも選ばれているし、ダンス・ミュージックの女性スターが選ばれることも決して珍しくない。

「なんだ、そんなもの、全然ロックでもなんでもないじゃないか」──。このような憤りの声を上げるロックファンは、毎年のようにいる。

ただ、この式典を何年も見続けてさえいれば、運営側が考える「何をロックとし、何を尊び、祝いたいのか」は理解できる。そして、その意図を能動的に汲み取ろうとすることもまた楽しいものでもある。

一つは、彼らが「ロックが音楽的にどこからやってきたのか」。それを尊重しているのがわかる。ロックンロールとは、黒人の音楽だったリズム&ブルース(R&B)を白人のカントリー歌手が歌ったことで生まれた音楽。黒人音楽にしてもエレキギターを使うブルースだけではない。ゴスペルだって多大な影響をロックに与えているし、それがファンクになっても、ヒップホップになっても、黒人音楽は常にロックに影響を与え続ける関係性であり続けている。

また、公民権運動から70年代にかけてのソウル・ミュージックやレゲエ、さらにヒップホップが強く主張してきた黒人差別への怒り、これも社会への不満をぶちまけるパンク・ロックに共通する精神性だ。いわゆる「レベル(反抗)・ミュージック」としての側面も運営側は非常に高く評価している。

そして、そうした反抗的かつ進歩的な姿勢は、女性のフェミニズムやLGBTの主張にも通じるものだ。この殿堂で女性が多く選ばれていること、さらにゲイのコミュニティで強い支持のあるエレクトロ・ダンス・ミュージックも選ばれてきていることがそう示している。むしろ、こうした主張を封じ込めるような保守性を持ったものの方が、たとえそれがロックであれ選ばれにくい傾向があることも確かだ。

もちろん誰もが納得する完璧な選出なるものは存在しないし、筆者とて選出される・されないに関して疑問を感じる場合はある。だが、それを差し引いても「運営側が考えるロック」は音楽性や歴史を塾考した上で選ばれていることには間違いない。

2023年の殿堂入りアーティストは?

去る11月3日に行われた殿堂入りセレモニーで最初に登場したのはシェリル・クロウ。20歳の大人気女性ロックシンガー、オリヴィア・ロドリゴとの1996年のヒット「If It Makes You Happy」の共演付きだ。彼女は90年代を代表する女性ロッカー。90年代のユース・カルチャーを代表する存在というよりは、70年代のロック・リスナーやアーティストから良き伝統の継承者として実力的に高い評価を得てきた。そんな彼女はフリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスやピーター・フランプトンと共演で「Everyday Is A Winding Road」も披露した。

続いて、ラッパーであり現在では俳優としても活躍するLLクールJが、1973年にニューヨークのブロンクスで、2つのターンテーブルとラップ、いわゆるヒップホップのパーティを最初に始めた人物DJクールハークの殿堂入りを紹介。彼の作品は現存しないが、こうした史実にも敬意が払われる。

続いて、チャカ・カーン。70年代から80年代にかけて、アレサ・フランクリンに続いて爆発的な歌唱力を轟かし、かのプリンスをも魅了したことでも知られる。この日はオバマ元大統領のミシェル夫人もビデオ・メッセージでチャカの重要性を語り、チャカ本人も「I Feel For You」「Ain't Nobody」「I'm Every Woman」といった今日でもソウル・クラシックとして名高い名曲を、70歳を超えてもなお衰えぬ美声で歌いきった。

続いては、ジョージ・マイケル。彼は惜しくも2016年に53歳の若さで世を去っているが、ワム!時代にコンビを組んでいたアンドリュー・リッジリーがスピーチで彼の素顔や功績を語った。10代にして自ら曲を作りプロデュースし、高い歌唱力でも知られ、音楽界におけるLGBT系のアーティストの台頭を促した。そんな彼をミゲルが「Careless Whisper」、マルーン5のアダム・レヴィーンが「Faith」を歌い追悼した。

続いて、70年代のソウル黄金期にデトロイトのモータウン、そしてフィラデルフィアのフィリー・ソウルと渡り歩いたヴォーカル・グループ、スピナーズ、そしてこの時期を代表するソウルのテレビ番組「ソウル・トレイン」の名司会者ドン・コーネリアスの殿堂入りが紹介された。

一転して次の殿堂入りはケイト・ブッシュ。同殿堂は時にアメリカに寄りすぎとの批判もあり、イギリス、とりわけパンク〜ニュー・ウェイヴ以降のアーティストの殿堂入りが遅れている側面があるが、アメリカでもオルタナティヴ・ロックへ強い影響を与えており、無視できない存在だ。今回、式典にケイト本人は参加せず、現在のアメリカを代表するオルタナティヴ・ロックの女性アーティスト、セイント・ヴィンセントがケイトの功績を語り、そのまま昨年にリバイバル・ヒットした「Running Up That Hill」をパフォーマンスした。

60年代にボブ・ディランやブラッド・スウェット&ティアーズなどを通じ名スタジオ・ミュージシャン、プロデューサー、そして自身もシンガーソングライターとして知られたアル・クーパーも殿堂入り。公の場に滅多に現れない彼が動画を寄せて感謝を示した。

70年代に保守的だったカントリーにロックの反骨精神とヒッピーの自由さを取り入れたウィリー・ネルソンはロック、カントリーの両方から祝福された。90歳になってもなおも現役の彼は現在のカントリーを代表するシンガー、クリス・ステイプルトンやシェリル・クロウとのパフォーマンスで健在ぶりをアピールした。

続いては今は亡き伝説のギタリスト、リンク・レイ。1960年代初頭にディストーションの効いたパワーコードを編み出し今日のロックギターの基礎を作った彼に対し、元レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジがダブルネックのギターからレイの代表曲「Rumble」を披露しオマージュを捧げた。

この後、壇上にはエルトン・ジョンが登場。彼の作詞パートナーのバーニー・トーピンの殿堂入りを祝福。普段は人前に姿を現さないトーピンが殿堂入りに感謝を示した。直後、エルトンはピアノの弾き語りでトーピンとの代表曲「Tiny Dancer」を披露。

このエルトンの演奏から、ザ・バンドの名曲「The Weight」に流れ込み黒人女性ロックシンガー、ブリタニー・ハワードが熱唱。8月に逝去したザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンを偲んだ。ここから、殿堂入りするしないに関係なく、この1年の音楽関係者の訃報を紹介しスライド映像の数々と共に追悼が行われた。

続いて殿堂入りが紹介されたのは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。社会的に動乱した90年代に人種問題や社会腐敗に対し、ヒップホップとパンクロックを融合させたサウンドで時代の代弁者となったレイジだが、権威を嫌う姿勢はこの日にも現れ、姿を現したのはリーダーでギタリストのトム・モレロのみ。「僕たち4人の殿堂入りの意見は割れたが、5人目のメンバーであるファンのためにここにきた。ファンからは僕たちも学ぶことがある。彼らは僕らに人生を変えられたと感謝してくれる。歴史とは起こるものでなく、一変えていくものなのだ。」と聴衆を煽った。

メンバーの一人、ヴォーカルのザック・デ・ラ・ロチャは翌4日、ワシントンDCで行われたガザ危機の休戦を求めるデモに参加している姿を目撃されている。

最後に紹介されたのは、ミッシー・エリオット。今回の式典では最も若い52歳での殿堂入りだ。彼女は90年代後半から00年代前半にかけて、男性ばかりが独占するラッパーの世界において女性ラッパーの地位を向上させるのに貢献。独創的なフロウと奇抜なファッション・センス、さらに自らプロデューサーとなってアヴァンギャルドなビートと共にヒップホップ・シーンを牽引した。00年代半ばにバセドウ病を発症してからは活動が滞り人前にもあまり姿を見せないが、そんな彼女がこの日は「Get Ur Freak On」や「The Rain」など5曲を披露。大団円でセレモニーを閉めていた。


沢田太陽
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