国連・障害者権利委員会勧告の波紋 日本の特別支援教育の行方

国連・障害者権利委員会勧告の波紋 日本の特別支援教育の行方
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 2014年に国連の障害者権利条約を締結してから、初めてとなった日本への勧告で波紋が広がっている。特に学校教育では、「障害のある子どもの分離された特別教育が永続している」として、中止を求めるとともに、インクルーシブ教育に向けた国の行動計画の策定を求めた。勧告を受けて永岡桂子文科相は9月13日の閣議後会見で「多様な学びの場において行われている特別支援教育を中止することは考えていない」と強調。日本の施策は同条約のインクルーシブ教育の実現に沿ったものであるとの見解を示した。この勧告を私たちはどのように受け止めればよいのか、関係者に質問してみた。

感情に流されず、社会的正義が何かという視点で議論を

 「極めてまっとうな、出るべくして出た内容だ。当事者団体の声がかなり反映されていて、日本の状況をよく理解した上で勧告は出されている。日本の学校教育に生かしていくべきもの以外の何者でもない」

勧告は「出るべくして出た内容」と話す小国教授(本人提供)
勧告は「出るべくして出た内容」と話す小国教授(本人提供)

 東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターのセンター長を務める小国喜弘教授は、今回の勧告を高く評価する。

 障害者権利条約では勧告をまとめるまでに「建設的対話」と呼ばれるプロセスが設けられている。建設的対話では、権利委員会からの質問に締約国が回答し、さらに権利委員会からフォローアップが行われる。並行して、締約国の障害者団体が報告をする場も設けられており、それが権利委の質問に反映されることもある。今回の勧告に際しては、日本から9団体が報告書を提出。その中には、日本の特別支援教育に関する問題提起も多く見られた。

 勧告で「障害のある子どもの分離された特別教育が永続している」という懸念が示されたことに対して、小国教授は戦後教育改革で男女共学が導入されるときにも、教育関係者から猛反発があったことを例に挙げ、「今となっては差別以外の何物でもないが、当時は差別意識がなかった。これと同じような話だと思う。地域の中で誰もが平等なかけがえのない存在として一緒になって社会をつくっていく。その原体験をする学校がどうあるべきなのか。地域の学校で一緒に学ぶ体験ができるというのが当たり前になるべきだ。インクルーシブ教育は戦後の男女共学以来の権利拡張の歴史の中に位置付けることができるだろう。特別支援教育が否定されたと感じる人がいるのかもしれない。しかしこれは感情の問題ではなく、社会的正義が何なのかという視点で議論しなくてはいけない」とくぎを刺す。

 一方で、日本政府は特別支援が必要な児童生徒が年々増加しているのは、保護者が特別支援教育を選んでいるからだと権利委に対して説明した。この主張に小国教授は「就学相談のときに保護者は特別支援学校、特別支援学級、普通学級を選ぶことができるとされているが、そのときに『普通学級に行ったら合理的な配慮を受けられないが、特別支援学級ならば合理的配慮を受けられる。普通学級を希望するなら、お母さんが付き添ってほしい』と、いろいろな条件が付くと聞く。学校や教育委員会は『保護者が希望しているから』と言うが、実際は、保護者は希望せざるを得ない状況に置かれている」と批判。「社会も変わらないといけないし、学校も変わらないといけない。今の日本の学校教育の姿は、まさに社会の差別が構造化された状態だと捉えるべきだ」と指摘する。

定員割れなのに希望しても入れない「定員内不合格」から変えていくべき

 今回の勧告では、大学入試をはじめとする高等教育で、障害のある学生に対する日本政府の包括的政策の欠如も盛り込まれている。しかし、大学入試だけでなく、高校入試の段階でも障害のある受験生への合理的配慮の提供や受け入れそのものが阻害されている現実がある。

 高校入試で定員割れを起こしているにもかかわらず、障害のある受験生を合格とせずに事実上受け入れない「定員内不合格」はその最たる例だ。

実態調査で定員内不合格が各地で複数件起きていることが浮かび上がってきた
実態調査で定員内不合格が各地で複数件起きていることが浮かび上がってきた

 定員内不合格の問題に取り組む「障害児を普通学校へ・全国連絡会」は今年、定員内不合格が各地でどれくらい起きているかを量的に捉えようと、初めての全国調査を行った。会のメンバーが情報公開請求を行ったり、教職員組合の協力を得たりするなどして、都道府県教委が把握している定員内不合格の件数を洗い出したところ、まだ調査中の都道府県もあるものの、多いところでは100人以上の定員内不合格が起きている可能性が浮かび上がってきた。学校・学科数が複数にわたるケースも珍しくない。

 東京都や大阪府など、定員内不合格を行わない方針としている都府県も一部にはあるが、これは裏を返せば、居住している都道府県によって高校教育へのアクセスに格差が生じている状態だ。

 勧告について同会運営委員の孝本敏子さんは「10代の多感な時期の青年が同世代の人と同じ場所で過ごしたいと願うのは当たり前のことだ。それなのになぜその当たり前の願いが障害のある子ではかなわないのか。日本の特別支援教育の施策は、黒人差別における『分離すれども平等』と同じ発想で、分離されていること自体が、障害のある人の尊厳を損なうことになると気付くべきだ。ただ、原則を叫んでばかりでは説得力がないのも分かっている。だから、短期、中期、長期に分けて、できるところから変えていかないと」と話す。

 同じく同会運営委員の竹迫和子さんは「(権利委が置かれている)ジュネーブで、日本から来た多くの当事者が直接訴えることができたのは大きな成果だ。定員内不合格の問題は文科省が実態を調査したり、通知を出したりするなどすれば、すぐに解決できることだ。高校がすでに義務教育的なものとなっている以上、障害にかかわらず希望者が全入できるように働き掛けていきたい」と意気込む。

特別支援学校は唯一通える場所

 一方で、保護者からは、勧告に対して戸惑いの声も上がっている。

 「他の子どもたちと同じ教室にひとくくりにされてしまえば、『この子のせいで学習が遅れる』と見られることもあるし、何より本人の生きる力につながらない。現実として日本の普通学校は障害児の受け入れを想定できていない。理想はインクルーシブなのかもしれないけれど、親としては今の普通学校にわが子を入れることはとてもできない」

特別支援学校に子どもが通う保護者である有吉さんと直井さん
特別支援学校に子どもが通う保護者である有吉さんと直井さん

 そう語気を強めるのは、特別支援学校の東京都立光明学園に重度の身体・知的障害のある子どもが通う有吉万里矢さんだ。有吉さんは、今回の勧告が出るにあたって、日本の中でも声が届いていない当事者がかなりいるのではないかと首をかしげる。特に重度の障害があると、意思表示は保護者や周囲の理解者を介して行うことも多く、遠く権利委のあるスイス・ジュネーブ市まで足を運ぶのは困難な状況だ。こうした障害者の声がどこまで届いているのかと有吉さんは疑問を述べる。

 同じく直井由佳里さんも、子どもに医療的ケアが必要な重度の障害があり、最初は付き添いなどをしながら、特別支援学校に通学することを選んだ保護者の一人だ。当時、人工呼吸器を付けていれば自宅に教員が出向いて授業をする訪問教育となるのが一般的だった中で、直井さんは少しずつその前提を覆してきた。

 「特別支援学校の先生は、子どものちょっとした表情の変化にも気付いてくれる。当時、学校にすら行けないかもしれない状況の中で、特別支援学校は唯一通える場所だった。そこには子どもの力を引き出してくれる教育のプロがいる」と直井さんは教員に信頼を置く。

 2人の保護者の話に耳を傾けていた田村康二朗統括校長は「多様な障害のある子どもたちを受け入れる特別支援学校は、いわば最後のとりでになってきた」とうなずきつつ、次のように語る。

 「日本では今、障害があっても希望すれば普通学校に通えるような制度になっているし、特別支援学校に在籍しつつ、地域の学校にも籍を置き、定期的に交流できるようにした『副籍』も広がりつつある。できるところから徐々に変えていくべきだ。一方で、権利としてのインクルーシブも大事だが、障害のある子どもたちの専門教育を考えるのが私たち特別支援学校の教員。できれば特別支援学校で学ぶ子どもたちの実際の姿を見た上で、これからの議論をしてほしい」

通級による指導の普及をテコに小学校などで特別支援教育の推進を

 「障害のある全ての子どもの教育権保障や合理的配慮、教員研修の必要性、高等教育政策の策定など、個々にみると重要な内容が含まれてはいるが、日本の特別支援教育の現状やインクルーシブ教育システムの方向性について、権利委との間で齟齬(そご)があったことが反映された勧告のように思う」

勧告は「権利委との間で齟齬があったことが反映された」と指摘する奥住教授(本人提供)
勧告は「権利委との間で齟齬があったことが反映された」と指摘する奥住教授(本人提供)

 そう分析するのは、発達障害支援と特別支援教育が専門の奥住秀之東京学芸大学教授だ。奥住教授はインクルーシブ教育システムが目指す「多様な学びの場の連続性」の中で、特別支援学校や特別支援学級の存在自体が「分離教育」とみなされるならば、制度論やシステム論だけでなく、実践論を交えて議論をすべきだと指摘。日本では教育的ニーズを考慮しながら、可能な限り同じ場で共に学べるシステムに変わりつつあると強調する。

 しかし、現状の特別支援教育に課題がないわけではない。奥住教授がまず例に挙げたのは、通級による指導だ。

 在籍する学校で通級による指導が行われる「自校通級」が理想だが、実現していない学校がいまだ多く存在する。奥住教授は「『自校通級』がなかなか一般的にならないのは、専門的な教員の配置の問題などに加えて、『特別な子』が指導を受けるところという意識がいまだ強いからという理由も大きい。図書室や音楽室に行くような感覚で、当たり前の権利として保障される環境にしないといけない」と強調。特別支援学級とは異なる通級による指導を身近にしていくことで、特別支援教育やインクルーシブ教育システムの理解がより広まるとみる。

 また、通級による指導を希望しているにもかかわらず、受けられない子どもが少なからずいる可能性もある。これらの環境をどう改善していくかが、教育行政に突き付けられていると言えるかもしれない。

 「本人と保護者が必要性を納得して通級による指導を受ける、そして教師は、認め、支え合う仲間同士の絆づくりを進める、これが大切だと思う。誰かを排除することでは、誰もが主役の学級の実現は遠い。どの子どもも個性的であり、違いがあるのが当たり前で、いろいろな価値を持った人が集団を構成することを誰もが自覚しなければいけない」と奥住教授。「子どものころからすでに特別支援教育が当たり前だった若い世代ほど、インクルーシブな教育そして社会を、普通に受け入れているようにみえる。この勧告を特別支援教育の単なる否定とみるのではなく、未来の教育を語り合う一つのきっかけと捉えられないだろうか」と期待を寄せる。

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