長期連載‐国内

(19)神の愛、伝え続ける 旧統一教会やめ牧師に

 プロテスタントの牧師花田憲彦(はなだ・のりひこ)(55)が神の存在を認めたのは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への入信がきっかけだった。

 

【礼拝を終えた花田憲彦。「弱さを認め、ありのままをさらけ出すことを神様は願っています」と語りかけた=東京都立川市】

 福岡県宗像市の宗教とは無縁の教員一家に、次男として生まれ育った。中学教員を目指していたが、大学は出願締め切り直前に畑違いの経済学部に切り替えた。教員として生きる人生に疑問を感じた決断だったが、明確な目標もなく大学の授業には身が入らなかった。

 アルバイトやサークル活動に精を出し、迎えた2年生の1987年12月、花田のアパートに先輩の男子学生が訪ねてきた。「人生について考えるサークル」に誘われ、複数の合宿に参加した。神の存在を信じるに至った頃、明かされたサークルの実態は旧統一教会の学生組織「原理研究会(CARP)」だった。

 ▽入信
 合同結婚式のニュースや周囲の評判で良い印象は持っておらず「ショックだった」。ただ神のために真剣に活動するメンバーの生き方は輝いて見えた。「真実の生き方をしたいと心が叫んでいた」。大好きな酒も、友人との付き合いも断って、入信を決めた。

 アパートを引き払って、教団の寮に入った。早朝に祈り、夜は学生の下宿先を訪ねて伝道した。夏休みはワゴン車に泊まり込んで各地を回り、雑巾など生活雑貨を訪問販売した。信仰にささげた青春は一生懸命に生きている実感があった。

 花田が88年6月に「出家」を告げる手紙を送って以降、両親は教団をやめさせようと、脱会活動に取り組むエクレシア会代表の牧師和賀真也(わが・しんや)(80)に相談していた。89年1月に千葉県袖ケ浦市の同会事務局で1度目の説得を受けた際は、逃げるように立ち去った。

 約2年後の90年11月、旧統一教会の正しさを証明しようと、和賀との2度目の面会をした。再びエクレシア会を訪れ、同会が保存する教団資料に目を通した上で正しさを明らかにしようとした。

 だが逆に、教団が聖典とする聖書との矛盾を突き付けられた。教団が救世主とする教祖の教えに日々をささげてきたが、聖書はイエス・キリストを救世主と明示していた。真実の生き方を目指しながら、真実そのものが揺らいだように感じ、泣きながら脱会を決めた。

  

【家族と四国を旅行したときに父・勝に抱かれる花田憲彦=1972年から73年ごろ(提供写真)】

 ▽聖書
 「脱会宣言」した花田に残されたのは段ボール箱1箱分の荷物だけだった。教団の寮から実家に帰った花田は「敗残兵のようだった」。情けなさと惨めさを抱え、約1カ月間、昼夜逆転のひきこもりに近い生活を送った。

 わずかに残った荷物の中に聖書があった。もう開くことはないと思っていたが、あまりの虚無感の中、ある日ふと開いてみようと思った。教団で学んだ「神は愛である」との聖書の言葉が脳裏から離れないでいた。

 開いたページは、捕らわれたキリストを見捨て、裏切った弟子の話が書かれていた。全てを失った弟子と自身の姿が重なった。その弟子にキリストが「あなたはわたしを愛すか」と繰り返し尋ねる場面に、自身も問われているように感じた。

 宗教はこりごりという思いは強かった。一方で「聖書の正しさを確かめたい」という気持ちもあり、再訪したエクレシア会で聖書を学び始めた。神学校でしっかりと学びたいと思うようになり、勇気を出して両親に相談したら、父・勝(まさる)(故人)が「牧師にならないのなら」と認めてくれた。

 ▽告白
 91年4月に千葉県大多喜町の三育学院カレッジに入学した。神学生約20人のうち、洗礼を受けていないのは花田だけだった。多くが牧師を目指す中、花田は卒業後はマスコミ関係の仕事に就きたいと考えていた。

 聖書を学ぶにつれ、自分も洗礼を受けて神の愛の大きさに飛び込みたくなる衝動に駆られた。その都度「また宗教か。同じことを繰り返すのか」と自問自答した。

 2年間の課程の終わりが近づいたある日の授業で、キリスト教を迫害してきた男が過ちに気づいて洗礼を受ける場面を学んだ。「何をためらっているのか」。そう言われた気がして、涙が止まらなかった。

 旧統一教会時代に自身がうそをついて物を買わせたり、勧誘したりした人たちのことを考え、寮の部屋や屋上、山の中で祈り続けた。「申し訳なかった」。号泣し、鼻水だらけで、心の内にしまっていた「罪」を神に告白した。悔い改める祈りはそんな自分でも許されているという感謝のものへと変わっていった。卒業間近に信仰を受け入れ、洗礼を受けた。

【教会で説教をする牧師の花田憲彦=東京都立川市】

【礼拝で祈りを捧げる花田憲彦=東京都立川市】

【教会で説教をする牧師の花田憲彦=東京都立川市】

 卒業後はキリスト教系の新聞社に記者として就職。多くの牧師を取材する中で刺激を受け、また旧統一教会を経ての自身の経験を生かす責任があると考え、29歳で牧師になった。旧統一教会を巡り衝突を繰り返した父は重症筋無力症で病床に伏していた。面会した花田に筆談で伝えた。「だれもやったことがないことがやれる牧師になってください」

(敬称略、文・岸本拓郎、写真・堀誠、2023年5月20日出稿、年齢や肩書は出稿当時)