日本人の暮らしになじみ深い「畳」。畳の上に座ると、自然に背筋が伸びる。フローリングの洋室が浸透したとはいえ、その広さを考えるときも、約13平方メートルとするより8畳間といった方がイメージしやすい。

 そんな畳の、深い歴史を刻む「痕跡」が、京都の禅寺で確認された。

 

 茶の湯の縁が深い寺
 

 京都市北区の大徳寺。臨済宗大徳寺派の大本山だ。創建以来約700年の法統をつなぐ。室町時代には一休宗純和尚が応仁の乱で荒れた寺を支えた。安土桃山時代には、わび茶を大成した千利休らが参禅し、茶の湯の縁が深い寺として知られる。

 寺に畳はつきものだ。

 

 2020年から、国宝の方丈などの部分解体修復が進められている。大徳寺の方丈は、開山の大燈国師(宗峰妙超)をまつる雲門庵も含め8室からなる特異な形式で、住職の修行生活の場から、賓客を迎えたり、法要などに用いられる空間となっていった。現在の建物は、棟札から寛永12(1635)年に再建されたことが分かっている。

 

 建物内には、114枚もの畳が敷き詰められていた。

 「『大徳寺の畳は日本で一番古い』。畳業者の間では、有名な話でした」。修復を担当する京都府文化財保護課の竹下弘展さんは話す。

 

 畳は、稲わらなどを圧縮した芯材の「畳床」に、イ草を編み込んで織られた「畳表」をかぶせ、端に「畳縁」を縫い付けて作られる。畳表は傷みが生じれば替えられる。この方丈の畳も、過去の畳替えの際、畳の裏に「寛永」の墨書があることが知られていた、という。

 畳表と違い、土台となる畳床は数十年使い続けられる。ただ、柱などとは違い、収められた年号などの記録が残されることは少ない。経年変化や湿気によって腐ることもあり、歴史的建造物でも修復等の過程で新調されることも多いという。

「寛永十三年 結夏日」
 

 解体修復の過程で、畳はすべて取り外された。1枚1枚確かめると、多くの畳の裏に、畳を敷いていた位置を示す墨書があった。そして、4枚に「寛永十三年 結夏日」の文字があった。

赤外線カメラで撮影/京都府文化財保護課提供

 「結夏日」は、夏の修行「夏安居」が始まる日。400年近く前の1636年4月15日となる。再建されたばかりの方丈で、夏籠もりの修行が行われるのに合わせて収められたのか。墨書の書きぶりや畳床の材質などから、114枚の畳床が、再建当時から使い続けられていることが明らかになった。

補修すれば使える
 

 竹下さんは「年号が分かっている畳床としては、日本最古とみられる。今回の調査で日にちまで特定できた。丁寧に補修すれば、まだまだ使える」としている。今後、数年かけて全ての畳床が補修されるという。

 400年もの間、使い続けられてきた畳床。歴代住職や修行僧、信仰深い人々…。数え切れない人たちがその上を歩き、座し、祈り、思索を深めてきたのであろう。その歴史の営みを、想像するだけでも楽しい。