この通り、三浦への愛を選んだ百恵さんはその選択が正しいと信じてやまなかったのだろう。引退直前の映画『古都』の撮影現場では、これまでの疲れ切った顔ではなく、晴れやかな表情が目立っていたという。
1980年10月5日に日本武道館で行われた引退コンサートは、先日、NHKでその模様が再放送され、話題を呼んだ。百恵さんは悔いなく最後まで歌い、ファンに寄り添うように語りかけた。そして、最後の曲『さよならの向う側』のためだけに純白のドレスを身にまとった百恵さんは、握りしめていた白いマイクをそっとステージに置いた。
引退コンサートの余韻も残る約1か月後の11月19日、ふたりは赤坂から虎ノ門へ抜ける坂の途中にある霊南坂教会で結婚式を挙げた。式を終えると、場所を東京プリンスホテルに移しての結婚披露宴が開催され、2000人近くの芸能関係者が出席した。
結婚披露宴に出席した芸能リポーターの石川敏男さんは、披露宴の豪華さもさることながら、引き出物も記憶に刻まれているという。
「手帳、ノート、ボールペン、万年筆だったね。この引き出物のチョイスにも几帳面でコツコツ努力家タイプの百恵さんの一面が見えた気がして覚えているんですよ」
そして、大勢の人に祝福を受けたこの日を境に、百恵さんは表舞台から消えた。
急に始まった“一般人”としての生活に物足りなさを感じて復帰することなく、自らの選択を揺るがすことはなかった。
ただ、幸せな“一般人生活”というわけにもいかなかったようだ。
「三浦さんにとって30代というのは、大変な時期でした。自分のキャラクターに合う仕事がどんどん減ってうまくいってなかった。彼は35才のときにかなりのローンを組んで東京・国立市に家を購入しましたが、その後、自宅を売らないといけない状況まで追い込まれていました。そんな時期も、まだ20代の百恵さんは三浦さんを支え続けました。なかなかできることではないと思いますよ」(前出・音楽関係者)
黙して語らない様が、三浦を楽にしたという。
「ふたりの生活は本当にごくごく普通です。俳優と元歌手の夫婦とは思えないほど、背伸びしないでゆっくりやってきました。三浦さんが苦労した時代にも、百恵さんは何ひとつ文句を言わず、ただ支えたんです。ただ淡々と日々を生きてきた、という感じなんです。それがどれだけ、三浦さんの支えになったでしょう」(前出・音楽関係者)
※女性セブン2021年3月4日号