「爆発音に神経が慣れていった」松田ウクライナ大使 業務再開

10月、ウクライナにある日本大使館の業務が再開した。
ロシアによる軍事侵攻を受けて隣国に退避していた松田邦紀ウクライナ大使らが、首都キーウに戻ったのだ。どう事態を打開し、ウクライナを支援するため動いているのか。そして、ウクライナの人たちは今どのような生活を送っているのか。
最前線で指揮をとる松田大使にオンラインでインタビューした。
(森田あゆ美)

およそ7か月ぶりの現地業務

10月5日。
ウクライナの首都キーウにある大使公邸の前に日の丸の旗が掲げられた。
キーウの日本大使館の業務が、およそ7か月ぶりに再開したのだ。

それまで隣国のポーランドからウクライナにとどまる日本人への情報提供などを行ってきたが、G7=主要7か国の各国が現地での業務を再開する中で、治安状況などを総合的に検討し、日本も再開を決めた。
現在、大使の松田と数人の職員が業務にあたっている。

外務省幹部によると、業務再開を強く主張したのは松田本人だったという。
8月にみずからキーウ入りして治安状況などの調査にあたり、十分な安全対策を講じることができると判断して再開にこぎつけた。
松田は現地での業務再開の意義は大きいと強調する。

「実際問題として戦争の状況や治安問題、財政支援という機微な内容の情報収集や意見交換はオンラインでは限界がある。G7を含む外交団の仲間から『よく帰ってきた』『さあ一緒にやろう』と温かい言葉をかけてもらい、とてもうれしかった」

外交上、各国と対面でやり取りできるメリットは大きいという。

「ちょっとみんなで集まって軽いトークをしている時や、コーヒーブレイクの時、会議が終わったあとに『ところでさっきの問題だけど』と呼び止めて2人きりで部屋の隅で話す時とかに、一番重要な情報がぽろっと取れることがある。『やっぱり人間って対面で会って仕事をするのが重要なんだな』といまさらながら実感した」

再開直後のミサイル攻撃

しかし、キーウで大使館業務を再開したわずか5日後の10月10日。
キーウでは、ことし6月以来となる、ロシアによるミサイル攻撃が行われた。
さらに、17日には自爆型の無人機による攻撃も行われ、市民に被害が出た。
松田は当時の状況をこう語った。

「10日も17日も、いずれもわりと市の中心部に近く、しっかりと爆発音も聞こえた。事前に決めていたルールに従って所要の対応をとり大使館員たちは全員無事だった。在留邦人の安否確認にもすぐに着手した」

松田は淡々と振り返ったが、その言葉からは、現地のひとりひとりが戦争状態に慣れざるを得ない現実の厳しさが痛いほど感じられた。

「空襲警報に続いて飛行物体が飛んでいるような特殊な音が聞こえてきて、そのあと爆発音ということで、私は徐々に自分の神経が慣れていったので落ち着いて対応できたかなと思っている」

“空襲と警報と共に生きている”

時として空襲警報が鳴り響くなか、ウクライナの人たちはどのような生活を送っているのか。

「夜の11時から朝の5時まで夜間外出禁止令は出ているが、それ以外の時間帯は平日の夜であってもレストランやカフェ、バーで普通にみんなが生活を楽しんでいる。10日のミサイル攻撃の日も、すぐに人々が日常生活を取り戻し、職場に駆けつける人、買い物をする人というように人出が戻ったことに驚いた」

危険と隣り合わせの状況で、なぜ、人々は「日常生活」を送ろうと行動できるのか。

「日本のJアラートに似た全土を網羅している空襲警報のシステムがあり、市民のほとんどは自分の携帯電話にアプリとして入れているのだと思う。それが鳴ると、それぞれの職場や組織のルールに従って行動している」

「ウクライナの人たちの冷静さ、忍耐心、助け合いに感動を覚えている。戦争のもとで、当たり前だけども日常生活はあるんだなと。“空襲警報と共に生きている、自分なりのリズムを作って生きている”というのが一番適切な表現かと」

ウクライナの人たちがこのように行動する背景について、松田はこう解説した。

「この戦争はことし2月24日に突然始まったわけではなく、2014年のクリミアに対する侵攻や、ドンバスにおける親ロシア派の軍事活動に端を発している。ウクライナの国民の中に、ある種の覚悟ができ、それが日常の冷静な対応、国民と軍と政府の一体感や団結につながっている」

現地からみる戦況は

ロシアによる侵攻が長期化する中、松田は今の戦況をどう分析しているのか。

「戦況の分析は、いつどのように支援をするかと裏表にあるので、G7に限らずすべての関係国との間でさまざまなレベルで行われている。ややもするとその日その日の戦況に一喜一憂しがちだが、戦争には勢いというものがある」

そして、松田は7月から8月にかけて“潮目は変わった”と明言した。

「(侵攻が始まった)2月以来、ロシアは首都キーウと第2の都市ハルキウを攻略する作戦を展開したが失敗に終わった。4月から7月にかけて相当な激戦が続き、7月初めにロシアの進撃が止まった」

「その頃、ウクライナ側では、欧米からの武器を前線に投入する動きが始まり、ロシア軍の補給拠点や宿営地などを攻撃し、8月下旬から1000キロ以上にわたる長い戦線でウクライナ軍の反転攻勢が優勢なまま進められている。戦争の全体を俯瞰したときの潮目は変わったと言って差し支えないと思う」

さらに、ウクライナ側が優位に立っているとした理由について、こう続けた。

「祖国を防衛する側には地の利があり、士気も高くさらにはウクライナ軍兵士のひとりひとりが欧米製の武器をしっかり使いこなすだけの高い教育を受けている。英語力も含まれるしITの能力もある。そういったものがすべて合わさり現在の状況に至っていると感じる」

政府要人と会談 必要な支援は

現地で業務を再開して以降、松田が精力的に行っているのがウクライナ政府要人らとの会談だ。

10月17日には自爆型の無人機による攻撃のあと、ハルシチェンコ・エネルギー相に会いに行った。エネルギー関連施設へのダメージの状況について説明を受け、復旧・復興に向けて必要な支援などをめぐって意見を交わした。

松田はこうした会談を重ねてウクライナ側のニーズをくみ取っている。
ウクライナ側が各国に求めている支援について尋ねると、松田はこう即答した。

「言うまでもなく軍事支援であり財政支援だが、短期的には、もう間近に迫っているこの冬をしっかりと乗り切るための越冬支援だ」

具体的には、◇暖房設備、◇発電機、◇浄水器、◇避難民のための住宅といったものから、◇道路や橋の応急補修、◇地雷の除去などが必要だという。

さらには、シェルターや仮設住宅でも子どもたちが教育を受けられるようにするため、◇オンラインシステムの整備のほか◇パソコンやタブレット端末なども不可欠だという。

支援のニーズが多岐にわたる中、日本に求められているのは、非軍事的な支援の中心を担うことだ。松田はG7各国の担当者らと連日、調整にあたっている。

「お互いに、『そっちがそれを出すのならそれはお願いして、うちは違うのをやります』というふうな調整は、G7や主要国との間でいろいろやっている。それぞれの能力や経験、調達のスピードを勘案し、まんべんなく、過不足なく応えていければいいなと」

“戦後”も見据えて

当面の課題に加え、中長期的な視点で意見を交わすこともあるという。

ウクライナのスビリデンコ第1副首相兼経済相との会談では、戦後の復興に向けて、日本の知見を求められたという。

「第2次世界大戦後の日本の復興の経験を踏まえ、インフラの復旧ではなく、ウクライナの経済自体の発展に向けて日本の経験と教訓をぜひ教えてほしいと言われ、輸出産業を振興する必要があるという議論をした」

そして、日々、懸命に戦いながら今後を見据えるウクライナ政府にエールを送った。

「ウクライナ政府は、右手できょうの戦争を戦いながら、左手であす、あさって、来週のことを考えているという感じで、大変心強く思っている。1日も早く侵略戦争をロシアが終わらせ、軍をひき、平和に向けた動きが出てくることを期待している」

外交官として

インタビューも終盤にさしかかり、松田に率直な疑問をぶつけてみた。
松田は昭和57年に外務省に入省。
以来、ロシアの日本大使館で勤務するなど“ロシア専門”の道を歩んできた。
そのロシアが起こした今回の戦争。
最前線で対応にあたっている日本の外交官として、今どのような思いを抱いているのか。

「1991年にソ連が解体した時、若い外交官だったが、これで第2次世界大戦後の冷戦構造に文字通り終止符が打たれ、新しい時代を迎えるという国際社会全体の喜びや将来に対する大きな希望があったのを、きのうのことのように覚えている」

そして、こう力を込めた。

「何がどうなってロシアによる侵略戦争につながったのか、しっかり分析・検証していく必要がある。ソ連、ロシアに関わって外交官生活を続けてきた人間の1人として、戦後の新たな国際秩序づくりに貢献していく一端を担う必要があると改めて責任を自覚している」

最後に、ウクライナの地から日本人に何を伝えたいか、松田に聞いた。

「日本がウクライナ支援を続けられるのは、日本の皆さんの熱い思いと理解があってのことだ。戦争が長引くと支援に対する疲労感が出てくるかもしれないが、せん越ながらお願いできるとすれば、引き続き悲惨な状況から目を背けることなく、一方的な武力行使によって日本が大事にする国際秩序をないがしろにしようとしている侵略の本質をしっかりと理解し続けてほしい」

(文中敬称略)

政治部記者
森田 あゆ美
2004年入局。佐賀局、神戸局などを経て政治部。自民党や外務省担当を経て、現在は2回目の野党クラブ。