福川伸次(7)通産省入省
アラ石設立 鉱山局で参画 海外で初めての鉱区取得
1955年(昭和30年)4月、通産省に入った。
入省時に幹部から強調された心構えは2つ。「広い視野でモノを見ろ」。そして「正しいと思ったことは貫け」。我々は日本の産業構造をいかに改革していくかに関心があった。研修を経て、7月に鉱山局に配属になった。
当時、鉱山局、石炭局、鉱山保安局は「資源3局」と言われ、現在は外務省がある場所のバラック建ての臨時庁舎に入っていた。廊下を歩くとミシミシときしむ。...
元通産次官の福川伸次さんは戦後の通商産業政策に長く携わりました。高度成長やオイルショック、日米貿易摩擦といった歴史の一場面に日本の政治や官僚機構が何を考え、どう対処したのか詳しく語ります。また自民党の激烈な「40日抗争」、初めての衆参同日選、大平正芳首相の急逝など、大平首相の秘書官として目撃した激動の時代の裏側を明かします。