「沖縄県出身のプロ野球選手は大成しない」―。かつてプロ野球界でささやかれたそんな不名誉なジンクスを、豪快なアーチで吹き飛ばしたのが西武ライオンズの山川穂高だった。2018年にパ・リーグ本塁打王とMVPに輝き、19年にも2年連続となる「キング」の称号を獲得。その裏には、故郷に対する並々ならぬ思いがあった。
◇僕もホームラン王を取ります
「僕が今年、来年と駄目だったら、『やっぱり沖縄か』とまた言われる。プロ野球の歴史に何かしらの形で“山川”の名を刻めたら。沖縄の人でもこの場所で戦える、勝てると思ってほしい。だから、僕は今年もホームラン王を取ります」。初めて本塁打王を獲得した、18年12月のインタビューでの一言だ。
背景には、大学、そしてプロと沖縄を離れ、さまざまなステージに進む度に実感したことがある。
◇「やっぱり沖縄の選手だな」と言われ・・・ 闘争心に火がついた
「『やっぱり沖縄の選手だな』と何度も言われた。沖縄の人はなめられている。全然納得できなくて、悔しくてしょうがなかった」。からかうように掛けられた言葉が、山川の闘争心に火をつけた。
ソフトバンクの東浜巨投手が言った「なんくるならない」の言葉にも共感したという。「なんくるないさ」とは、沖縄のしまくとぅばで「何とかなるさ」という意味。「なんくるないさなんか無いというのをもっと熱く言わないと。沖縄の人、本当にそういうところだめなんすよ」
18年に初の本塁打王に輝いた山川は、19年にも宣言通りに同タイトルを獲得。20年の目標には、新背番号「3」にちなんで「リーグ3連覇、3年連続キング」と掲げた。「沖縄大好きだからこそ、こういうこと言うんですよ」。大好きな沖縄のためにも、自らのアーチで証明してみせる。
記事・我喜屋あかね、スライド制作・與那覇里子、デザイン・新垣怜奈