×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids

支持率ゼロの皇帝・袁術は、三国志の時代に絶大な影響を及ぼしていた?

ここからはじめる! 三国志入門 第84回

 

袁術の最期。(三国志演義連環画より)

 

 曹操の子・曹丕(そうひ)が魏の皇帝となって「後漢」を終わらせたのは西暦220年。その20年ほど前、後漢に乱立した群雄で「皇帝」を称した者がいた。それが袁術(えんじゅつ/?~199年)という男だ。

 

 袁術は、とにかく評判の悪い人物である。同じ悪漢でも董卓(とうたく)ほどの武才はない。唯一の長所らしい長所といえば名門・袁家の血筋ぐらいだが、族兄の袁紹(えんしょう)に比べ、風采が良かったなどの評判もない。長所を探すのがなんとも大変だ。

 

 小説『三国志演義』では、董卓打倒の連合軍の兵糧を担当するも、孫堅(そんけん)の功績を妬み、兵糧の輸送をストップ。華雄(かゆう)打倒に関羽が名乗りをあげると「馬弓手(ばきゅうしゅ)風情が!」と、その身分の低さを罵る。とにかく、こうした「嫌われ者」エピソードには限りがない。

 

 それでも史実において、彼が群雄の一人となれたのだから、名門・袁家の看板や血筋がいかに優れたものかがわかる。西暦190年代前半、北は袁紹、南は袁術の二大巨頭が大陸をほぼ二分していたような状況にあった。

 

 江東の孫堅・孫策親子の活躍も、袁術の支援あってのものだった。袁術は孫堅に荊州南部の劉表を攻めるよう命じたが、その戦いのさなかに落命。その長男の孫策は、しばらく袁術のもとに身を寄せて雌伏の時を過ごすこととなる。

 

 野心尽きぬ袁術は、袁紹を倒して覇権を得ようと、みずから軍勢を率いて出陣するが、曹操・袁紹・劉備の連合軍の前に敗退。さらには退路を劉表に断たれ、東南の揚州・寿春(じゅしゅん)へ逃れた。

 

 敗れてもなお、強大な軍勢は健在。袁術は孫策に勢力拡大を命じ、孫策もそれに応えて快進撃を見せた。こうして袁術は勢いを取り戻すが、次第に慢心していく。

 

支持率ゼロの「袁術帝国」誕生

 

 197年、袁術は仲(ちゅう)という国号を定め、みずからその「皇帝」を名乗った。勝手に「袁術帝国」をつくってしまったのである。後漢皇帝・献帝が健在にも関わらず、前年には曹操が献帝の保護に成功していたにも関わらずに、その存在を否定したのである。支持率ゼロの「袁術帝国」誕生だ。

 

 彼に味方した者もいたことを考えると、ゼロではなかったのかもしれないが、とにかくその政治ぶりも評判が悪い。贅沢三昧の一方で民には重税を課し、人心は離れていったとみられる。

 

 諸侯のほとんどを敵に回したほか、頼みの綱の孫策も彼のもとを離れて揚州で独立してしまう。結果、曹操ら諸侯との戦いに連戦連敗。198年、呂布との同盟も画策していたが破綻。偽帝袁術の命運も風前の灯火となる。

 

 199年、「背に腹は代えられぬ」とばかり、袁術は身内である袁紹を頼って河北へ落ち延びる。しかし、つき従う者もわずかで食料も麦クズが少し残っていただけ。袁術は腰をおろし、蜂蜜を飲みたいといったが、そんな贅沢品など手元にあるわけはない。

 

「袁術ともあろうものが、こんなざまになったか!」と叫ぶと、1斗(約2リットル)あまりも血を吐き絶息した。なんとも救いようのない人物だが、彼の存在は間違いなく同時代の人に影響を与えた。

 

 まず、曹操が生前に皇帝にならなかったのも、袁術という前例が頭にあったからかもしれない。なにより孫堅や孫策は、その庇護を受けて勢力基盤を確立し、呉の礎を築けた。袁術の旧領・寿春付近には袁術残党がなお蜂起し、さらには魏と呉の係争域でもあり続けた。袁術なくして呉国なし、ひいては三国時代の到来もなかった。実力はともかく、袁術が後漢という時代に与えた影響は多大であった。

KEYWORDS:

過去記事

上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

最新号案内

『歴史人』2024年6月号

戦国最強家臣団

織田家・徳川家・武田家・豊臣家・上杉家…大名を支えた軍団の強さの秘密に迫る! 「家臣団」の成り立ちと進化、戦国家臣の仕事や収入、結婚などの素朴な疑問から、 猛将とともに乱世を生きた全国の家臣団の全貌を解き明かします! 戦国大名の家臣団とはどのようなものだったのか? ・誰でもわかる「戦国家臣」の基礎知識 ・天下布武への野望を支えた織田家臣団 ・徳川家臣団と家康が目指した「天下への道」 ・“最強”武田家臣団の隆盛と崩壊 ・ゼロから作った豊臣家臣団の実力 ・全国家臣団列伝 好評連載『栗山英樹のレキシズム』第5回は河合敦先生と語る「なぜ歴史を学ぶのか?」