一見百聞

淡路島から発信 音楽の新たな可能性 バイオリニスト、益子侑さん

3歳でバイオリンを始めた益子侑さん。「母と姉が音楽に関わっていなかったら、この道に進んでいたか分からない」と語る=兵庫県淡路市(南雲都撮影)
3歳でバイオリンを始めた益子侑さん。「母と姉が音楽に関わっていなかったら、この道に進んでいたか分からない」と語る=兵庫県淡路市(南雲都撮影)

イザナギノミコト、イザナミノミコトの「国生み神話」で知られる兵庫・淡路島を拠点に活動するバイオリニスト・益子侑さん(37)。音楽ゆかりの家に生まれ、誰もが知る有名アーティストらとの共演も果たしてきた。思わぬところから生まれた淡路島との縁。それは、自身の未来を開く鍵となった。一連のコロナ禍を乗り越え、幼い日々を振り返って思う。「選択は間違っていなかった」

大学時代にプロ、サザンとも共演

--ご自身と音楽との関わりやきっかけは

益子 3歳でバイオリンを始めました。姉も、ピアノを始めたのがそれぐらいかと。記憶にはないのですが、「ピアノとバイオリン、どっちがいい」と母から聞かれて。「バイオリン」と答えたみたいです。物心ついたころからバイオリンをやっていました。音楽をしているのは姉だけ。母がクラシック好きで、コンサートにも連れていってもらいました。音楽好きな家族だと思います。

--今、バイオリンが自身の生きる糧になっている

益子 当時の選択は良かったと感じています。姉と同じ楽器なら比較されますが、違うので幼少期はともに演奏しましたし、一緒に楽しめたと思う。高校や大学も姉と同じで、試験の伴奏も頼んでいました。

幼いころの益子さん。母親の「ピアノとバイオリン、どっちがいい」と聞かれ、イオリンを選んだ(益子侑さん提供)
幼いころの益子さん。母親の「ピアノとバイオリン、どっちがいい」と聞かれ、イオリンを選んだ(益子侑さん提供)

--試験とは?

益子 高校、大学とも実技試験があって演奏するのですが、バイオリンならピアノの伴奏を、友達とか学内の人にお願いしないといけなくて、それは姉に頼んでいました。

--改めて、自身にとってお姉さんの存在は

益子 母のクラシック好きもそうですが、環境はすごくありがたかった。姉が音楽をやっていて、高校や大学のことも話を聞いてもらったので安心感があった。母と姉が音楽に関わっていなかったら、この道に進んでいたか分からない。その姉は今、家で子供向けにピアノを教えています。

--大学在学中にプロデビューをしています。どのような形で

益子 2回生の時に音楽番組で「KinKi Kids」(キンキキッズ)のサポート演奏でバイオリンなど。それが初めてです。大学の先輩らのつながりだけでした。在学中から、そのころテレビに出ていた有名なアーティストの方々とは数多く共演させていただきました。平成18年ごろから28年ごろの話です。神奈川・茅ケ崎で行われた「サザンオールスターズ」の復活ライブや福山雅治さん、松田聖子さん。SMAPさんは紅白での共演でした。

--音大に入って、何か目指すものがあった

益子 友達と一緒に演奏できるのが楽しくて「このままずっと、皆で音楽をやっていきたい」という気持ちでした。そこから、私が22年ごろから「インペグ」というまとめ役に。例えば「この日、バイオリン10人必要だから集めてください」というような。25年には音楽事務所を立ち上げて、演奏する仲間たちと「音楽家の派遣」をするようになりました。

音楽家支援で事務所設立

バイオリニストとして順調な日々を重ねる中で令和2年、コロナ禍に直面する。特に、重要な収入源となる演奏会の中止など音楽家たちに与える打撃は想像以上だった。それでも、同じ音楽に生きる仲間たちを救う仕組みづくりに乗り出す。夢中で走った先に見えたのは、切れることのない淡路島との縁と、自身の新たな可能性だった。

平成30年に偶然、兵庫・淡路島との縁ができた益子さん。島が自身の活動拠点になった=兵庫県淡路市(南雲都撮影)
平成30年に偶然、兵庫・淡路島との縁ができた益子さん。島が自身の活動拠点になった=兵庫県淡路市(南雲都撮影)

--有名テーマパークでショーやパレードの演奏に携わっていた

益子 そのテーマパークでの仕事が「原点」という気もしています。私はポップスやテーマパークを中心に活動。それを特徴として、クラシックだけでは表すことができないバイオリンの魅力を表現できればと思って。いま曲やキャラクター作りをしている始まりなのかもしれない。

--事務所を立ち上げようと思った理由は

益子 周りで音楽家をやめる人が多かったんです。年を重ねるにつれて、結婚などで。だから、どうにかできないかと考えた際「仕事を作ろう」と思い、事務所を設立しました。

--現在、活動拠点としている淡路島とのかかわりは

益子 初めて訪れたのは平成30年の冬。最初は(総合人材サービス大手)「パソナグループ」が手がける島内の観光レストラン「ハローキティスマイル」で月1回演奏していました。その次にシアターレストラン「ハローキティショーボックス」も令和元年夏に完成するから本格的に…という流れでした。

--改めて、淡路島の印象は

益子 感動です。埼玉県で生まれ育ったので、海にまず感動して。島のどこに行っても海があるのは衝撃でした。

--令和2年でコロナ禍となりました。音楽家の方々の状況は

益子 音楽家はフリーランスで活動している人が多く、「演奏会中止」となると1円も入ってこない。キャンセル料を出してくれるところもあるのですが…。こうした状況からパソナグループの南部靖之代表と話をして、セーフティーネットの「音楽島―Music Island―」を2年7月から始めました。今思えば、コロナ禍が淡路島との関係を深める転機になったと思います。

--音楽島ではどんなことを

益子 まず音楽家の人たちにパソナの社員として、普段は飲食店や観光施設などで働いてもらって経済基盤を担保します。しかし、あくまでも演奏活動が基本。各サービス業に入ってもらいながら、各自の演奏を島内各施設で披露してもらう形です。「週3、4日」から選べるため演奏活動はできるし、生活が守られている形です。切磋琢磨(せっさたくま)して生涯大切にできる音楽仲間が集まっている、という環境もいいと思います。今は淡路島を盛り上げようという形で存続。それに、関東圏の音楽大から問い合わせがあるなど、認知度も上がっています。

「淡路島から目指せ紅白」

コロナ禍の中、自身を磨くことにも怠りはなかった。昨年、パリでの演奏披露で、国生みの島・淡路島から始まった日本の魅力発信に成功。努力を重ねる中で見えてきたのは音楽の本質だ。大切なのは「みんなで楽しむこと」。島との縁が気づかせてくれた。

昨夏、パリで開催された「Japan Expo」での益子さん(最前列左から2人目)(益子侑さん提供)
昨夏、パリで開催された「Japan Expo」での益子さん(最前列左から2人目)(益子侑さん提供)

--昨年夏にはパリで開催された世界最大級の日本文化博覧会「Japan Expo」に参加した

益子 令和2年に淡路島へ移住してから「島に来た意味」を探していました。その中で「国生みの島」に焦点を当てて曲作りをしたいと思い、自身で応募を。作品は、淡路島で全部、ミュージックビデオの撮影をした「iZA!」という曲。島に鎮座する伊弉諾(いざなぎ)神宮を訪れた際、本名孝至(ほんみょうたかし)宮司に「『淡路島から始まった日本』を世界に広げてください」というメッセージをいただいています。

--反応は

益子 内容は「国生み神話」とナレーション、音楽を合わせた20分のステージでした。ヨーロッパ中から日本文化好きの人が集まったので、日本人というだけで写真を撮ってもらえる状況。これだけ日本文化が海外で愛されていることを知って衝撃を受け、人生で一番感動しました。

--淡路島を拠点とした活動で何か変化は

益子 変わったと思います。以前の考えは「どれだけ大きなホールで演奏するか、どれだけ上を目指せるか」。それが、コロナ禍の経験やいろいろな人との出会いで「みんなでやる」のは楽しいと思えるように。技術だけじゃない。音楽の本質は「みんなで楽しむこと」と分かった。

淡路島に移住して約3年の益子さん。日々の活動やコロナ禍を経て「音楽の本質は『みんなで楽しむこと』が分かった」と話す=兵庫県淡路市(南雲都撮影)
淡路島に移住して約3年の益子さん。日々の活動やコロナ禍を経て「音楽の本質は『みんなで楽しむこと』が分かった」と話す=兵庫県淡路市(南雲都撮影)

--新曲「おにおんリング」もリリースされました

益子 5月には「おにおんリング~うたダンスver.~」を発表しました。淡路島内で撮影して子供たちを含む約200人がダンスリレーに加わり、ユーチューブでも配信されています。オニオン(タマネギ)リングにかけて世界中に『平和の輪を広げよう』というコンセプト。3月お披露目のバイオリンバージョンは、世界中のタマネギを意味する言葉をラップに乗せました。歌いやすいメロディーと踊りやすいダンスに仕上げた「~うたダンスver.~」のキャッチフレーズは、「淡路島から目指せ紅白」です。

--いろいろな偶然が重なって淡路島にいる

益子 偶然というより、必然かもしれない。「音楽をみんなで楽しむ」という理想が現実になっている。みんながいるから楽しいことができている。

--改めて、バイオリンの魅力と淡路島の良さは

益子 バイオリンがいろいろな人との出会いを創り出してくれた。「正解がない」のが魅力。クラシック以外に自分の世界を創り出せる。それに淡路島は温かい人が多い。島外出身の自分も受け入れてくれる。2025年は大阪・関西万博ですが、島の皆さんから「未来を盛り上げよう」という可能性とエネルギーを感じます。


ましこ・ゆう 昭和61年5月、さいたま市生まれ。東京音楽大学付属高校を経て東京音楽大学卒業。大学在学中からプロとして、テレビやライブなどでエンヤ、サザンオールスターズといった有名アーティストらと共演した。平成28年にソロ活動を本格的にスタート。動画投稿サイト「ユーチューブ」上では「益子侑のヴァイオリン研究室」を開設。3月には新曲「おにおんリング」を発表した。

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