歌手生活60年目の大月みやこ 人生は棒グラフ、いまが一番

大月みやこさん
大月みやこさん

大月みやこ(77)の歌手生活が60年目に突入する。21日には通算133枚目となるシングル「今も…セレナーデ」(キングレコード)も発売する。長い日々。積み重ねた出会いと経験は何物にも代え難いという。だからこそ「いまが一番幸せ」と笑顔を輝かせる。大月が、60年を語る。

「母恋三味線」で昭和39年6月20日にデビュー。最初の東京五輪開催より前のことだ。

ひばりに魅了され

大阪で謡曲をたしなむ父と三味線、日本舞踊を楽しむ母との間に生まれ、幼い頃から童謡教室に。ただ、ラジオから流れる美空ひばりらの歌声に魅了され、ねだって歌謡学校へ。

昭和40年、7曲目のシングル「ひなげし小唄」を出した頃の大月みやこ(提供)
昭和40年、7曲目のシングル「ひなげし小唄」を出した頃の大月みやこ(提供)

「歌手になりたいわけではなく、他の子供がピアノやバイオリンを習うのと同じ感覚」というが、教室の指導は本格的で、ドイツの合唱練習曲集や音楽理論書を与えられ、自身で写譜した譜面で歌を覚えるなどした。「楽しくないけど、休むと叱られたから」と苦笑いするが、約10年通って基礎力は身についた。

この頃、島倉千代子らを輩出した全国規模の歌謡コンクールがあり、教室の仲間はこぞって応募した。「先生が一応受けておけって言うから」と大月も応募はしたが、予選すら通らなかった。

潮時かと教室を辞めることを考え始めたが、教室の勧めで東京のレコード会社、キングレコードのテストを受けることになった。

物見遊山の軽い気持ちで上京したが、「君の声、なかなかいいと思うから東京に出てこない?」。歌手デビューすることになった。

39年3月末に上京。すでに「母恋三味線」はできており、「4月の8日か9日にレコーディング、6月20日に発売でしたよ」。あっという間にデビューした。

キングが自前でマネジメント。それもあってか新曲はコンスタントに出続けた。また、キングの先輩で大スターの三橋美智也や春日八郎らの前座の仕事も絶えなかった。

同年デビューの都はるみは、すぐにスターになった。同世代で下積みで苦労した五木ひろし、小林幸子も大輪の花を咲かせていた。だが、大月には58年の「女の港」までヒットがなかった。苦節20年と言いたいが、焦りのような気持ちはなかったという。

「私は1年ほどの東京見物のつもりで上京したのに、ずっと歌う場所があった。毎日、歌えれば、それで幸せでした」

千葉県の女性から手紙を受け取ったのは、「白い海峡」(平成4年)で日本レコード大賞を獲得した後だったか。次のようなことがしたためられていた。

1段ずつのぼった

かつて近所の神社の夏祭りで、砂場に敷いたむしろに立ち、頭上に裸電球が一つあるだけの場所で歌わされている歌手を見ました。無名とはいえ、これは失礼だと地元の人間として恥ずかしい思いをしました。

先日、日本レコード大賞の中継を見て気づきました。あれは大月さんだったと。あなたは、あの裸電球の下でも、レコード大賞のひのき舞台と同じ笑顔で歌っていました。

「どこかで、誰かが、見て、聴いていてくれるんだなって思いましたよ」

♪ ♪ ♪

60年を振り返って「いまが一番幸せ」と笑う。

デビュー60年目、通算133枚目となる最新シングル「今も…セレナーデ」
デビュー60年目、通算133枚目となる最新シングル「今も…セレナーデ」

人生は棒グラフだという。出会いと経験を重ねた目盛りは、毎年緩やかに右肩上がりとなり、縦軸の棒は「いま」がもっとも高くなっている。だから、いまが一番。

新曲「今も…セレナーデ」は演歌ではなくラテン歌謡だが、「皆さんが想像していたのとはちょっと違うかもしれませんけれど、さまざまに積み重ねてきたいまだから歌えるんですね」という。

階段を1段ずつのぼり続け、来年も縦軸の棒を少しだけ高くする。再来年も少しだけ。それを続けていくだけだ。

「面白くない人生ですかね?私には合っているように思うんですよ」

10月に東京・浜離宮朝日ホールで記念コンサートを予定している。

おおつき・みやこ 昭和21年生まれ、大阪府出身。39年、「母恋三味線」で歌手デビュー。58年の「女の港」で61年、NHK紅白歌合戦に初出場。平成4年、「白い海峡」で日本レコード大賞。29年、旭日小綬章受章。

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