歌手の山川豊(64)が新曲「人生苦労坂」を出した。3年ぶりと時間が空いた。大手芸能事務所から独立したのが新型コロナウイルス禍の真っただ中で、新天地に移るのに難儀したという。まさに苦労の坂道を息せき切って駆け上がり、手に入れたのがこの曲だ。作者は大御所、北島三郎(86)。男くささが新境地。ここから人生第2章と思いも新たな山川が、歌を、人生を語る。
「わがままではありますが、残る歌手人生を自分の力で切り開いていきたい。そんな話をさせてもらって…」
39年在籍した事務所を令和2年をもって退社した。同時に、レコード会社との契約も切れた。
だが、コロナ禍の独り立ち。コンサートの開催も、レコード会社の移籍も思うに任せぬ日々が続いた。
「いちばん大変なときに独立したんですよ。まさに、裸一貫。仕事はほとんどなく、『これ、どうするんだ?』みたいな状態が続いた」
「どうすんだ、どうすんだ?」。兄で歌手の鳥羽一郎(71)も心配した。
ようやく個人事務所を立ち上げたのが、今年4月。レコード会社も決まった。日本クラウン(東京都品川区)。兄が在籍し、大看板が北島だ。この大歌手は、原譲二のペンネームで作詞、作曲を手掛ける。そこで、クラウン移籍第一弾は、北島の作った曲でいくことになった。
「アメリカ橋」など、都会的で語るように歌う〝山川節〟と、男くさくたくましく歌い上げる〝北島節〟。水と油だが、新しい一歩を踏み出すため山川も過去とは違う曲を求めた。
「お前の歌は鳥羽と違って都会的だし、ブルースっぽい曲がいいのかなあ…」と北島も迷ったようだが、書いてきたのが「人生苦労坂」だった。
苦労ばかり、坂ばかり、それが人生だが、意地があるなら上りきれ。
コロナ禍で辛酸をなめた自身と重なる内容だ。山川は驚いたが、北島節が炸裂(さくれつ)する骨太の演歌だ。望み通りの1曲だった。
「お前もいろいろあっただろうが、世の中には苦労を乗り越え人生という坂を上っていく人が大勢いるんだ」と北島は話したという。
北島には男の覚悟のほどを描いた「がまん坂」という曲もあるが、「人生苦労坂」は、より大局的な視野に立った人生の応援歌になった。
山川は、この困難な時代を生きるすべての人たちに向けたメッセージソングであると解釈した。
歌いこなすのは難しかった。北島がレコーディングに立ち会って、3点助言した。
言葉を明瞭に発音すること。フレーズからフレーズへの移行がスムーズになるからだ。声は大きく。3千人席のホールの一番遠くにいる観客に届けることをイメージするといい。そして、歌の最後の部分の節回し。山川は「人生なのさ」とさらっと歌った。違う。「じん、せぇぇぇぇい、なぁの、さぁぁぁぁ」だ。
また、伴奏を聴いて「出だしに山川らしさがほしい」。イントロに音色を歪ませたエレキギター演奏を加えさせたのも北島だ。
一方、同時収録曲には山川が作曲した「ふるさとは港町」が選ばれた。20年以上前に書いた曲だが、作詞家、かず翼が山川の自伝的な内容の歌詞をつけた。
「人生苦労坂」と「ふるさとは港町」。未来と過去が同居するシングルとなった。
コロナの感染症法上の位置づけは「5類」に移行したが、地方公演などは高齢の観客が戻らない。券売が苦しい。
だが、「もう、これで、新しい山川豊です。前に踏み出していかなくては」と自らを奮い立たせる。
10月の誕生日で65歳になる。
「年金をもらえる年齢になりますが、まだまだ坂を上り続けます。あと10年、いや、声が続く限りは歌いたい」
(石井健)