東京・新宿の「文壇バー」として知られるバー「風花」(かざはな)が移転することになり、多くの作家たちに親しまれたカウンターと小さなテーブルだけの店舗は年末の30日でシャッターを下ろす。平成30年に多摩川で自死した保守思想家の西部邁が死の直前に立ち寄った店としても知られるが、オーナーの滝澤紀久子さん(83)は「悲しいこと、うれしいこと、いろんな思い出が詰まった場所とのお別れは、やっぱり寂しいわね」と話している。
風花は昭和55年に新宿の繁華街のはずれ、「新宿五丁目」のビル街の一角に、当時OLを辞めたばかりだった滝澤さんがオープンした。戦後生まれ初の芥川賞作家・中上健次も通い、いまも多くの作家や論壇人、出版関係者らが出入りするが、テナントとして入居する建物が取り壊されることになったため、43年続いた営業をいったんやめることになった。
来年3月15日には1キロほど離れた東京・四谷の繁華街(新宿区荒木町)に場所を移して、リニューアルオープンする予定だが、新宿と四谷は同じ新宿区でも別の繁華街。移転を惜しむ声は少なくない。滝澤さんは「80歳過ぎて新しい場所に移るんて、無謀な話ですよね」と冗談めかして話す。
そして何より、多くのなじみ客にとって、いまの店舗は思入れのある場所。常連客の一人だった西部も死ぬ少し前に、店のカウンターに座る椅子をいくつもプレゼントしていた。そして最後の夜、この店に立ち寄った後、多摩川へ向かった。
「西部さんはお別れのつもりだったのかしらね…もちろん、そんな話はしなかったけど。もし天国で店が移ることを聞いたら、『新しい場所で頑張るんだぞ』と言ってくれるかしら」
滝澤さんはそう言って微笑んだ。
(菅原慎太郎)