西郷輝彦さん、力尽く…「御三家」75歳 前立腺がんで11年から闘病、豪州で最先端治療も

[ 2022年2月22日 05:30 ]

前立腺がんのため死去した西郷輝彦さん(左)。舟木一夫(中央)、橋幸夫とともに「御三家」として人気を博した(1964年撮影)
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 歌手で俳優の西郷輝彦(さいごう・てるひこ、本名今川盛揮=いまがわ・せいき)さんが20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で死去した。75歳。鹿児島県出身。葬儀・告別式は近親者のみで営む。昨春、前立腺がんが再発し、オーストラリアに渡って日本未承認の最先端治療を受けていた。「がんが消えた」と成果を報告していただけに、驚きと悲しみの声が広がった。

 前立腺がんと闘い続けた西郷さんがついに力尽きた。

 業務提携先の芸能事務所「サンミュージック」によると、オーストラリアで治療を終えた西郷さんは昨年9月下旬に帰国。自宅で療養していたが、翌10月に体調を崩して都内の大学病院に入院。病院関係者は「検査をしたところ、前立腺に再び腫瘍が見つかった。本人は相当なショックを受けていました」と明かした。19歳年下の夫人にみとられ、眠るように息を引き取ったという。

 西郷さんは11年に前立腺がんと診断され、手術で患部を摘出。17年に再発すると、放射線と抗がん剤による治療を受けた。しかし、昨年4月に去勢抵抗性前立腺がんと診断され、がんの進行度は最も重いステージ4。日本の標準的な治療は全て受けていたため、主治医と相談し「PSMA治療」と呼ばれる日本未承認の最先端治療を受けるため、シドニーに渡った。

 翌5月にはYouTubeチャンネルを立ち上げ、治療の様子や経過を現地からリポートしてきた。治療は全3回。2回目を終えた西郷さんは同8月、公開した動画で「がんが消えた」と報告した。一方で「PSA」という腫瘍マーカーの数値が、治療後も800(基準値0~5)と高く、不安そうな様子も見せていた。

 動画の公開はこれが最後となり、その後の経過などが明かされることはなかった。関係者によると、コロナ禍で同国がロックダウンとなった影響で薬剤が届かず、治療が延期に。西郷さんは昨年9月に3回目の治療を受け、同月帰国した。

 15歳の時に歌手を志して鹿児島を出た。浅草のジャズ喫茶で歌っているところをレコード会社のディレクターにスカウトされた。64年に「君だけを」で歌手デビュー。橋幸夫(78)、舟木一夫(77)とともに「御三家」と呼ばれ、国民的人気を博した。同年から73年まで10年連続でNHK紅白歌合戦に出場。ヒット曲「星のフラメンコ」は自身主演で映画化された。

 73~77年に主演したフジテレビ系ドラマ「どてらい男(ヤツ)」がヒットして俳優としても活躍。TBS時代劇シリーズ「江戸を斬る」の遠山金四郎役や、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」などの時代劇で人気を博した。

 私生活では72年に女優の辺見マリ(71)と結婚。タレントの辺見えみり(45)ら1男1女をもうけたが、81年に離婚。90年に現夫人と再婚した。

 コロナ禍で20年3月に予定していたデビュー55周年記念コンサートが延期、昨年2月の振り替え公演は結局中止となってしまい失意の中にいた西郷さん。治療を始める前の動画で訴えた「願いはたった一つ。なんとかもう少しだけ好きな仕事をさせてほしい」との思いはかなわなかった。

 ◇西郷 輝彦(さいごう・てるひこ、本名今川盛揮=いまがわ・せいき)1947年(昭22)2月5日生まれ、鹿児島県出身。64年のデビュー曲「君だけを」は60万枚を売り上げ、日本レコード大賞新人賞を受賞。同年に「十七才のこの胸に」で映画デビュー。森繁久弥さんに師事し舞台「暖簾」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などにも出演した。芸名は郷土の英雄、西郷隆盛に由来。著書に「生き方下手」など。

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