突っぱねないで、改める 変わりつつある「審判は絶対」 ビデオの普及が背景に

2022年5月3日 06時00分

今春の選抜大会で判定について協議し、ミスジャッジを認めた審判団=3月20日、甲子園球場で

<令和の審判考②「不文律」からの解放>
 長らく、審判の判定は「絶対」とされてきた。だが、最近は誤審を認めるケースが相次ぐ。今春の選抜高校野球大会1回戦の広陵(広島)―敦賀気比(福井)でミスジャッジを認め、球審が「私たちの間違いでした。大変、申し訳ありません」と謝罪。真摯しんしな姿勢は大きな反響を呼んだ。

◆誤審を改めた審判、受け入れた監督

 4月23日、愛知大学野球春季リーグの愛知学院大―中京大戦。五回、愛知学院大の先頭打者の打球だった。スタンドでボールが弾み、三塁塁審は大きく手を回した。本塁打のジェスチャー。打者がゆっくりとダイヤモンドを一周する。その横で、左翼手とほかの塁審が声を上げた。「入っていない」
 三塁塁審は直接スタンドに届いたと判断したが、実際には外野のラバーフェンスに当たって柵越えしていた。すぐに審判団が協議。判定は二塁打に変更された。この回は無得点。それでも、愛知学院大の益田明典監督は納得顔だった。「風も強かったし(誤審も)仕方ない」
 愛知大学野球連盟で審判委員長を務める広瀬正保さん(73)は「間違った判定を押し通すのではなく、正しい方向に持っていく流れが強くなっている」と時代の変化を感じ取る。

◆「人がやることに間違いはある」

 公認野球規則にはこうある。「審判員の判断に基づく裁定は最終のものである」。一方で、裁定が食い違っていた場合は審判が協議して「どの裁定を取るか決定する」とも記されている。修正は以前から可能だったが、「一度下した判定は変更できない。そういう不文律があった」と広瀬さん。「絶対」という暗黙のルールに、誰もが従った。
 潮流の変化はビデオの普及。かつては判定の正誤を、選手はおろか審判も確認のしようがなかった。だが、今は違う。「プロの審判でも(リプレー検証で)判定がひっくり返る。アマならなおさら。審判側に判定を変えるアレルギーが少なくなってきた」
 愛知学院大の本塁打が取り消されたとき、中京大の半田卓也監督は安堵あんどした。自軍の失点が消えたからではない。「人がやっているので間違うことはある。正しい判断をしてもらえて良かった」。突っぱねるのではなく、受け入れ、改める。「間違えてはならない」。そんな呪縛から、球界が解放されつつあるのかもしれない。(天田優里)

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