崖っぷちの社民党、存亡かけた参院選 結党77年、政党要件失う恐れ…起死回生の一手は

2022年6月19日 18時00分

◆「山が動いた」1989年参院選 「マドンナ旋風」で自民に大勝

1989年7月の参院選で自民党に大勝し、握手する当時の土井たか子社会党委員長(右から2人目)と山口鶴男党書記長=東京・永田町の党本部で

 日本の戦後政治史で社民党の存在感は大きい。
 前身の社会党は1945年11月に結成。保守勢力と競い合う二大政党制への国民の期待も強く、55年に党内分裂していた左右両派が統一され、与党自民党に対する野党第一党とし「五五年体制」を確立した。
 89年参院選では、22人の女性が当選する「マドンナ旋風」で大勝。自民を上回る改選第一党に。土井たか子委員長は「山が動いた」と名言を残した。
 93年に非自民連立の細川政権に参画。翌年6月の「自社さ連立政権」が転機に。委員長の村山富市首相が、違憲としてきた自衛隊を合憲に変えるなど基本政策を大転換。護憲のイメージが大きく崩れた。
 96年に現在の社民に改名。2009年の民主党政権でも連立を組んだが、自民党政権に戻ると急速に支持を失った。19年に立憲民主党が社民に合流を打診し、最終的に合流賛成派と反対派で分裂。立民に合流する地方組織もあり、衰退は決定的となった。
 16日、JR新橋駅周辺。東京都品川区の藤田寿興さん(82)は「社会党の時は憲法堅持の姿勢も良かった」と話す。満州で生まれ、戦後に引き揚げた後、広島で医師に。高齢になり、子どもが暮らす東京に昨年移り住んだ。「広島は被爆地で非戦の声も大きい。だけど、社民党になってからは期待できなくなった。議論が建設的でないのが一番大きい…」と答えにくそう。
 「頑張っているのはわかるけど、いつもガミガミ言ってて、ちょっときつい」と話すのは、千葉県市川市で不動産業を営む男性(68)。部下の女性(42)も「社民ってまだいたっけ?と確認しちゃうレベル。ずっと崖っぷちの印象」と厳しい。

◆徹底して弱者を援護する政治姿勢はこれからも必要

 とはいえ、このまま消滅の道をたどるのか。
 実業家の西村博之氏はツイッターで「社民党の考えに同意することは少ない」としつつ、「日本社会にとって社民党は存続してた方がいいと思うんだけどな」とつぶやいた。
 細川政権で首相特別補佐を務め、自民の橋本内閣で経済企画庁長官を歴任した田中秀征氏は「思想的には違うが、社会党時代から明快な憲法観と歴史認識を持つ政党として敬意を抱いてきた」と切り出した。「冷戦の終結や五五年体制の崩壊などの時代の変化に対応できず衰弱したが、徹底して弱者を援護する政治姿勢はこれからも必要とされている。このところの内外の激動の中で、存在感が増しているのではないか」と語る。

◆かける言葉も同情もないが…

 そんな社民に起死回生の一手はあるのか。
 米国出身の放送プロデューサーのデーブ・スペクターさんは「今回の選挙は、各党で有名人の出馬が多いのが特徴。社民も著名な文化人らを候補に立て、逆に『社民党を変えます』とムーブメントを起こすぐらいの気概をもつべき。どん底から、はいあがる象徴になるかもしれない」とする。
 今回の選挙では、自社さ時代に決別した政治団体「新社会党」とも共闘する。政治ジャーナリストの泉宏さんは「社会党時代のオールメンバーで、あらゆる世代に訴えるのも手だ」と提案。「ノスタルジーによって投票行動が変わるかもしれない。社会党時代からの歴史を背負って戦う福島さんも正念場だ」とみる。
 自民の元副総裁の山崎拓氏は「かける言葉も同情もない」としつつ、1983年に中曽根康弘・元首相と石橋政嗣・元社会党委員長が「安保、憲法」をテーマに白熱の討論を繰り広げたことを振り返る。
 「昔の国会は論争ができたが、今の社民は議論ができないね。それは社民だけでなく野党全体、自民党もだ。安倍晋三元首相も感情的に物を言っていただけだった。政治は論争があってこそ。選挙を経て、健全な国会に戻ってもらいたい」と語った。

◆デスクメモ

 例えば、見ず知らずの土地で役所内部の不正を調べようとする。取材の取っかかりは、社民党系や共産の議員に話を聞きに行くというのはよくある。役所の執行部を厳しく追及するため情報も多く持っているからだ。その監視機能が薄れることになるのは、国民にとっては不幸だ。(六)
※6月17日付の東京新聞特報面に掲載
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