太平洋戦争中、県内上空で撃墜 B29乗員の遺児、初来日へ

2020年1月28日 02時00分

富士宮市内に墜落した米軍のB29(市提供)

 太平洋戦争中の一九四五(昭和二十)年一月二十七日に県内上空で日本陸軍の戦闘機に撃墜され、富士宮市などに墜落した米軍の爆撃機B29「WEREWOLF(ウェアウルフ)」号の乗務員(その後死亡)の遺児が三月末、同市の市民団体の招きで初来日する。史実を知らない市民が増える中、団体側は、当時の目撃者からの情報提供などを呼び掛けている。 (前田朋子)
 市民団体は遺児と交流を続ける「Tomodachi オペレーション Fujinomiya」代表で、同市中島町の井出徹也さん(65)ら。井出さんによると、ウェアウルフ号は七十四機のうちの一機としてサイパンを出発。御前崎から県内に入り、富士山を回り込んで東京にあった中島飛行機の武蔵野工場を攻撃する予定だったが、富士宮市上空約三千メートルで撃墜された。
 機体は富士・富士宮市街地の半径約一・五キロに飛散し乗員十一人のうち七人が死亡、四人は捕虜となった。うち一人は傷がもとでその後死亡。残り三人は東京・渋谷の陸軍刑務所に収容されたが、五月二十六日に米軍の空襲を受け、火災で全員が死亡した。

来日するドンナ・ブロイヤーさん(左)と中尉の妻でドンナさんの母。97歳と高齢のため来日を見送る

 井出さんが交流を続けているのは、火災で亡くなった三人のうちの一人で副操縦士だったユージーン・レディンジャー中尉の長女、ドンナ・ブロイヤーさん(74)。富士宮の戦史などを探る中、ウェアウルフ号乗組員のおいが開設したウェブサイトを通じ二〇〇三年に知り合った。
 ドンナさんは墜落の年の三月生まれで、父の顔を見たことがない。「自分の戦後にピリオドをつけたい」との思いで三月二十七日に家族で来日。式典や墜落を目撃した市民との交流会に参加、父がパラシュートで着陸したとみられる富士市天間付近を訪れる予定だ。

市内の寺で保管しているB29の部品など B29の部品などを持つ井出徹也さん=富士宮市役所で

◆遺品を返還

 ウェアウルフ号の部品は、陸軍などが収集したが、その後発見されたものもあり、富士宮市の大頂寺で保管されている。井出さんは遺品としてドンナさんに返却したいと考え、寺に相談し準備を進めている。
 井出さんらは「富士宮市民にとっては最も戦争が身近だった事件かもしれない。親や先生から聞いたわれわれの世代が歴史を引き継がねば」と話し、ドンナさんの来日を前に、できるだけ情報を集めようと、墜落の目撃者などを捜している。交流会は三月二十八日午後二時から、富士宮駅前交流センターきららで。先着百二十人、無料。連絡は団体メンバーの深沢竜介市議=電090(1474)6559=へ。

市内の寺で保管しているB29の部品など

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