自民党が学術会議の民間化を提案 「自分たちで人事を決めたいなら、ご自由に」 実は70年前から議論があった

2023年4月27日 16時00分
 岸田文雄首相が手を付けようとした日本学術会議の会員選考。第三者の関与を盛り込んだ法案提出はひとまず見送られたが、自民党内では不満がくすぶる。彼らが訴えるのが、学術会議の民間化だ。こうした案は昨日今日に突如、浮上したのではない。実に70年の歴史があるのだ。「バカヤロー解散」のころから議論された民間化論。何が問題なのか、改めて考えた。(木原育子、岸本拓也)

◆当時の首相は麻生太郎氏の祖父 「政府批判にむくれる」と報じられる

 「自分たちだけで人事を決めたいなら、民間的な組織として自由にしていただく選択肢もある」
 政府が法案提出の見送りを決めた翌日の21日。自民党の世耕弘成参院幹事長は会見でそう言ってのけた。3日後には同党のプロジェクトチーム(PT)の会議で「(民間)法人化もやむなし」と飛び出した。
 日本学術会議は、国の特別機関。事務局は内閣府が担う。同様の機関は、子どもの貧困対策会議や国際平和協力本部などがある。
 民間化でどう変わるのか。事務局の大山研次課長補佐は「何も聞かされていない」と繰り返すだけだ。
 こうした民間化論、実は70年の歴史がある。例えば1953年11月23日付の東京新聞1面。発足5年目にして、政府の機構改革試案として「日本学術会議は民間に移し、特殊法人とする」と伝えている。

1950年代前半の新聞各紙のコピー。日本学術会議の民間化論が報じられる

 国会の議事録を見ると、11月27日の参議院内閣委員会小委員会で、学術会議の亀山直人会長が「民間団体にしようとかいう議が起きている」と発言していた。12月7日の内閣委では、塚田十一郎郵政相が「民間の運営にしていただく方がいいのじゃないか」と揺さぶっていた。
 当時は自民党の前身、自由党が政権を担った。首相は吉田茂氏。自民党の麻生太郎副総裁の祖父だ。
 吉田首相の学者に対する姿勢がにじむ言葉もある。50年5月、米国との講和交渉を進める政府に反発した東京大の南原繁学長をこう非難した。
 「曲学阿世きょくがくあせいの徒」
 曲学阿世は、真理を曲げて世俗におもねり人気を得るとの意味。中国の古典「史記」に登場する言葉だ。
 学術会議の状況はどうか。東京工業高等専門学校の河村豊名誉教授(科学史)は「軍事技術や原水爆実験にどう向き合っていくか議論されていた」と語る一方、時の政権は「米国が主導した制度、例えば民主主義の理想を旗印につくった学術会議の位置付けを改め、学者に与えられた発言力を弱めようとした」とみる。
 民間化を試みた政権の思惑は気になるところだ。この辺りは各紙も報じた。
 朝日新聞は53年11月26日付で「危機に立つ日本学術会議」と報じ、翌年1月25日付には「吉田ワンマンは民間移譲を強硬に主張」と報じた。主導者が浮かんでくる。
 次は毎日新聞。53年12月18日付で「政府の金で運営しているのに政府の意向通りに動かないなどの理由から、民間団体にする案を考えている」と報道。日経新聞は54年7月2日付で「学術会議を民間移管」と題した記事を掲載し、首相だった吉田氏が「強硬に指示」したとし、学術会議側の政府批判に「むくれる」と報じた。
 東北大の井原聡名誉教授(科学技術史)は「政府・自民党は絶えず、学術会議を政治のしもべとして扱おうとしてきた。緊張関係が高まってくると、これまでも民間化論のおどしをかけてきた。しもべとして活用したいので学術界とは決別しない」とみる。

◆繰り返し問題視された民間化 「健全な議論が失われ、翼賛体制に」という懸念

 当時の民間化論は具体化しなかった。結局のところ、何が問題視されたのか。
 学術会議側は1953年11月に出した「日本学術会議の所轄について(要望)」で「民間団体とすることは著しく軽率のそしりを免れない」と強く訴えた。
 その理由もつづっており、政府機関ではなく民間組織になると、その勧告や答申の持つ重みがなくなること、資金運営が困難になることなどを挙げた。
 翌年3月の参院内閣委で、政府側は「政民間に移譲する考えは相当強くあるが、今国会に提案できる状態かどうかは、事務的な見通しとしては困難」と答弁。同6月には「確定的に決まったものはなく、なお研究中の段階」と次第にトーンダウンしていった。
 ただ、その後も民間化の議論は何度も浮上した。
 80年代前半に会員の選出方法を選挙から推薦制へ変更する際、民間化も選択肢に挙がったが、「(資金面で)安定した活動ができるか心配」として具体化は見送られた。
 2000年代初めにあった政府の総合科学技術会議の専門調査会も、民間化について議論している。03年の報告書は「科学者コミュニティーの意見を集約して政府に提言を行う役割を考えると、全くの民間の組織とすることは適切ではない」と記した。
 それでも今、民間化論は再燃している。改めて考えたいのが「いま学術会議を民間組織にする必要があるのか」という点だ。
 京大大学院の伊藤憲二准教授(科学史)は「すべては(菅義偉前首相による)任命拒否問題から始まっている。あたかも学術会議に何か問題があるかのような前提にしており、仕組みを変えることを認めれば任命拒否も正当化されてしまう」と述べ、議論の進め方に目を向ける。
 さらに「仕組みを変える必要性がはっきりしないまま拙速に変えると、決める側の都合が良い方向にいく可能性は高い」と語る。

日本学術会議の在り方を検討する自民党プロジェクトチームの会合=2020年12月、東京・永田町の党本部で

 同時に考えたいのが、時の政権との距離感だ。
 学術会議は「戦争目的の科学の研究は行わない」との考えに沿った声明を17年に出すなど、安全保障の名の下に防衛費増大や武器輸出の解禁などを目指す自公政権の意に沿わない提言も行ってきた。
 学術会議はサイト上で「時々の政治的判断から独立して『真に学術的な観点』に立った役割が重要。忌憚きたんなく議論し、意見することは、民主主義の充実に寄与する営み」と記し、自ら判断する意義を強調する。
 かたや、民間化を求める人々からは強硬な主張が出る。「あらゆるイデオロギーから独立したいなら国費を入れず、純粋な民間機関としての立場を確立されるのがいい」(経済同友会の桜田謙悟代表幹事)という具合にだ。
 つまるところ「時の政権の意に従わない組織に公金は必要ない」「政府から遠く離れ、ご勝手に」と突き放すようにも聞こえる。こうした考え方が横行すると、何が起こりうるのか。危うさは潜んでいないか。
 学術会議の会員を務めた名古屋大の池内了名誉教授(宇宙物理学)は「政府にとって受け入れがたいことでも、学者が客観的に正直に語り、政府側もそれを受け止めながら意見交換する健全なスタイルが完全に失われる」と警戒感を募らせ、さらにこう訴える。
 「政府の中から学者が意見を言うことで間違いを少しでも減らす知恵が働いてきた。それが一民間組織になってしまうと、政府は、学者の意見をまともに受け止めようとしなくなる。要らないものを切り捨て、翼賛体制をつくるようなやり方は非常に危うい」

◆デスクメモ

 自民党の面々は学術会議を政府から切り離してどうするつもりなのか。新たな学者の組織を政府に設けたりしないか。考えの近い面々を集め、お墨付きをもらうような。いわば政府の御用機関。実際につくれば、いま以上に器の小ささがあらわになるだけ。やめた方がいいですよ。(榊)

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