少女は何を待つのか 彫刻家が込めた多様な意味 〈寄稿〉鄭栄桓・明治学院大教授

2019年8月7日 19時50分

あいちトリエンナーレ2019で展示されていた「平和の少女像」

 二〇一七年四月二十六日、韓国・済州島で銅像「最後の子守歌」の除幕式が行われた。ベトナム戦争で犠牲となった子を抱く母を形象化した百五十センチほどのこの像は、その姿から「ベトナム・ピエタ」とも呼ばれる。韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者たちを慰める思いを込めてこの像を制作したのは、韓国の彫刻家である金運成(キムウンソン)、金曙〓(キムソギョン、〓は日の下に火)夫妻。ふたりは、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」に出品されながらも、日本への「ヘイト作品」などとの非難をうけ展示中止に追い込まれた「少女像」の制作者でもある。
 少女像が日本人を貶めようとする韓国人の偏見の発露である、と考える人々にとって、二つの像を同じ彫刻家が制作したことの意味を理解することは困難かもしれない。国家の加害を問うことは「ヘイト」であり、名誉を傷つける行為だとする発想からすれば、韓国人がベトナムで行った加害行為を告発するなど想像もつかないだろう。だが二人の彫刻家にとって、二つの像の制作はまったく相反するものではない。
 そもそも少女像とは何か。はじめてソウルの日本大使館前で少女像をみたとき、日本の報道を通してのみ接していたからか、小柄なその姿に驚いたおぼえがある。正式名称を「平和の碑」というこのブロンズ像の高さは百二十センチほどしかない。だがこの小柄な像は、一一年十二月十四日に「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会」千回を記念して建てられて以来、長きにわたり日本への謝罪と補償を求める運動のシンボルであり続けてきた。私が訪れた日も、かたわらで若者たちがテントを張って像を守っていた。今回「撤去」された少女像は、ソウルの像と同じ大きさの繊維強化プラスチックにアクリル絵の具で彩色した作品である。

隣の椅子に座り、被害者の心を想像してほしいとつくられた像。少女から伸びる影は、老女の形をしている(ソウル市内で、著者提供)

 日本軍の「慰安婦」制度の被害者を象ったこの少女像の細部に、二人の彫刻家はさまざまな意味を込めた。少女は椅子に座り何かを待っている。「日本政府の反省と悔い改め、法的賠償を待っている」のだという。少女から伸びるハルモニ(おばあさん)の形をした影は「謝罪反省を一度も受けないまま過ぎた歳月の、ハルモニたちの恨が凝り固まった時間の影」を意味する。肩には平和と自由の象徴である小鳥がとまり、かかとがすり切れたはだしの足は険しかった人生をあらわし、はじめはただ重ねられていた手は、像の設置を妨害しようとする日本政府に備えてぎゅっと握りしめられた。
 ただ日本政府への抗議のメッセージだけを込めたのではない。地面を踏めず少し浮いたもう一つのかかとは、「彼女たちを放置した韓国政府の無責任さ、韓国社会の偏見」を問うている。韓国政府・社会もまた彼女たちの傷を回復することを遅らせた責任がある、こうした考えからであろう。韓国の民主化運動に身を投じ、民衆美術の立場から数々の作品を発表してきた二人の視線は、いつも戦争と植民地支配の犠牲となる民衆とともにある。韓国の加害を問うベトナム・ピエタは、だからこそ「平和の少女像」制作の延長線上にあるといえるのである。
 たしかに少女像は「慰安婦」問題をつくりだしたかつての日本軍と、問題に誠実に向き合わない今日の日本政府と社会を告発し、目をそらさぬようじっと凝視している。多くの日本人たちに居心地の悪い思いをさせるであろう。だが国家の不正や加害行為を問うことは「ヘイト」ではない。少女の待つものは何か、その意味を改めて日本社会は考えてみるべきではないか。
 (チョン・ヨンファン=明治学院大学教授・歴史学、在日朝鮮人三世)

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