江戸時代の重要用語

目安箱 
/ホームメイト

「目安箱」(めやすばこ)は、1721年(享保6年)に、江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)が設けた意見箱。「享保の改革」(きょうほうのかいかく)の一政策として、庶民の意見、不満を拾い上げ、政策に反映するために設けられました。貧しい人、身寄りのない人に医療を提供する「小石川養生所」(こいしかわようじょうしょ:東京都文京区)、火事が多かった江戸において結成された消防組織「町火消」(まちびけし)は、目安箱がきっかけで生まれた施策の代表例です。目安箱の制度は、明治時代になるまで、140年以上にわたって続けられました。

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「目安箱」(めやすばこ)は、1721年(享保6年)に、江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)が設けた意見箱。「享保の改革」(きょうほうのかいかく)の一政策として、庶民の意見、不満を拾い上げ、政策に反映するために設けられました。貧しい人、身寄りのない人に医療を提供する「小石川養生所」(こいしかわようじょうしょ:東京都文京区)、火事が多かった江戸において結成された消防組織「町火消」(まちびけし)は、目安箱がきっかけで生まれた施策の代表例です。目安箱の制度は、明治時代になるまで、140年以上にわたって続けられました。

目安箱設置の背景

享保の改革の一環として

徳川吉宗

徳川吉宗

徳川吉宗江戸幕府将軍となった頃は、多くの人々が生活苦から不満を抱えていました。

農業技術が高まり米の収穫量が増えたものの、そのために米の価格が低下。武士は米で給与をもらって貨幣に替えたため、実質的に収入が減少したのです。また、長引く凶作のせいで米の収穫量が激減した農民は、重い年貢に苦しんでいました。

そこで徳川吉宗は、のちに享保の改革と呼ばれる、数々の策を打ち出します。そのひとつが、政治への意見、不満を紙に書いて入れ、江戸幕府将軍へ直訴できる目安箱の設置です。

人々の意見を政治に反映させるのが最大の目的ですが、他に、役人の不正を監視する狙いもありました。目安箱は、戦国時代にも行われた例があり、徳川吉宗自身も紀州藩(きしゅうはん:現在の和歌山県和歌山市)藩主だった時代に、同様の訴訟箱を設けたと言われています。

目安箱の概要

鍵を開けられるのは将軍だけ

目安箱

目安箱

1721年(享保6年)7月、徳川吉宗は、当時の江戸で最もにぎわう場所だった日本橋に札を立て、目安箱の開始を告知しました。

そして毎月3回、「江戸城」(えどじょう:東京都千代田区)の和田倉門(わだくらもん)の近くにあった「評定所」(ひょうじょうしょ:現在の最高裁判所にあたる江戸幕府の司法機関)の前に、目安箱を設置。

当初は江戸幕府将軍直属の家臣である旗本御家人も訴状を投入することが許されましたが、ほどなくしてこれを禁止。農民や町人といった庶民と、浪人(ろうにん:仕える主のない武士)だけが投入を許されることとなりました。ただし、訴状には住所と氏名を明記することが求められ、匿名などの場合は破棄されたと言われています。

目安箱は施錠されており、そのまま江戸城へ運ばれ、決められた役職の家臣が引き継ぎながら、徳川吉宗のもとへ運びました。そして徳川吉宗自身が、ただひとつの鍵を使って箱を開け、訴状を自分で取り出し、開封して読んだのです。どの意見を採用するかは、徳川吉宗が判断しました。

小石川養生所や町火消が誕生

目安箱から採用され、実現した施策としてよく知られているのが、町奉行「大岡忠相」(おおおかただすけ)が携わった2つの制度です。

ひとつが、小石川養生所。1722年(享保7年)、町医者であった「小川笙船」(おがわしょうせん)の提言によって、江戸幕府の薬草園「小石川御薬園」(こいしかわおやくえん)内に設けられた医療施設で、貧しい人や身寄りのない人が無料で治療を受けられました。

もうひとつが、地域ごとの消防組織である町火消です。町火消とは、木造家屋が密集し、何度も大火に見舞われた江戸の町の消防体制を強化するため、大岡忠助が1718年(享保3年)に設置した機関。それを1730年(享保15年)に「い組」、「め組」など各組単位で組織され、「いろは四十八組」(いろはしじゅうはちくみ)として再整備したのです。

目安箱のその後

目安箱に届く訴状のなかには、江戸幕府を批判する内容もありましたが、当初の目的のひとつであった、役人の不正をただす効果もみられました。江戸幕府を真似て目安箱を設ける藩も現れ、目安箱は江戸時代を通じて続くこととなります。

明治維新後、1868年(明治元年)に明治政府は京都と東京に新たな目安箱を設けました。しかし翌年の1869年(明治2年)には、訴状を目安箱ではなく公議所(こうぎしょ:明治政府の立法機関)へ提出する決まりとし、1873年(明治6年)に目安箱は完全な廃止を迎えます。

現代では目安箱に代わり、政治家(市町村議会議員・県会議員、国会議員など)へ陳情するか、省庁のWebサイトに書き込むなどの方法で政治への意見を伝えることが可能です。一般市民が意見を述べる場は、形を変えて現代にも受け継がれています。

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