「無形文化財」とは、歴史的・芸術的に価値の高い伝統ある技(わざ)のことです。この「かたちのない」文化財を、次の世代へ引き継ぐために、技を持つ人を育て、日本国民へ周知する目的で無形文化財の制度が設けられました。無形文化財の中でも特に重要なものは「重要無形文化財」に指定されています。また、伝統芸能、工芸技術の作品に注目したとき、よく耳にする「人間国宝」は、重要無形文化財の技を体現している個人を指しているのです。 本記事「無形文化財とは」では、無形文化財の定義と歴史について言及するとともに、「刀剣ワールド財団」が所蔵する名刀の中から、人間国宝にゆかりの作品を選りすぐってご紹介します。
日本の文化によって育まれ、守られてきた有形・無形の貴重な国民的財産を「文化財」と言います。「文化財保護法」によって文化財は6つのカテゴリに分類されており、それが①「有形文化財」、②「無形文化財」、③「民俗文化財」、④「記念物」、⑤「文化的景観」、⑥「伝統的建造物群」です。
このうち①の有形文化財は、建造物、絵画、彫刻、書跡、古文書など有形(かたちのある物)で歴史的・芸術的・学術的に価値の高い物とされる一方、②の無形文化財は、演劇、音楽、工芸技術など、歴史的・芸術的に価値の高い無形(かたちのない技など)の文化財と定義されています。
国は、無形文化財のうち特に重要なものを重要無形文化財に指定するとともに、これらの技を高度に体得し、表現できる者を「保持者」、または「保持団体」に認定。伝統的な技の保存と継承を図っています。この認定については、個人をそれぞれ認定する「各個認定」、2人以上の者を総合的に認定する「総合認定」、団体をひとつとして認定する「保持団体認定」に分類。一般的には、各個認定された重要無形文化財保持者のことを「人間国宝」と呼びます。
重要無形文化財の保存と継承を後押しするため、国は重要無形文化財保持者(人間国宝)に対して、年間200万円の特別助成金を交付している他、保持団体・地方公共団体などが尽力する後継者の養成事業や、記録作成、公開事業に対しては経費の一部を助成しているのです。
「第2次世界大戦」以前、日本には1890年(明治23年)に制定された「帝室技芸員」(ていしつぎげいいん)制度はありましたが、近代的な無形文化財の保護を目的とした指定制度は存在しませんでした。帝室技芸員とは、宮内省(現在の宮内庁)が運営していた美術家・工芸家の顕彰制度(けんしょうせいど:功績を称えて周知し保護する制度)です。
1950年(昭和25年)、「文化財保護法」の制定によって、はじめて無形文化財の法的な位置付けが確立されたものの、当時は「現状のまま放置し、国が保護しなければ衰亡のおそれのあるもの」を「選定無形文化財」とするという不十分な保護施策でしかありませんでした。
しかし1954年(昭和29年)に行われた文化財保護法の改正により、選定無形文化財の制度は廃止。「衰亡のおそれ」があるかどうかにはかかわらず、無形文化財としての価値のみを判断基準として、重視すべきものを重要無形文化財に指定するという制度に変更されています。
無形文化財の中でも特に重視されている重要無形文化財は、大きく2つのカテゴリに分類されており、それが「芸能」と「工芸技術」です。芸能には、日本人の誰もが知っているような歌舞伎や能楽をはじめ、「古典落語」等の「演芸」、「一中節」(いっちゅうぶし)等の「音楽」、「京舞」(きょうまい)等の「舞踊」などが含まれます。
そんな重要無形文化財の中から、歌舞伎をピックアップしてご紹介。1965年(昭和40年)に日本の重要無形文化財に指定された歌舞伎は、2008年(平成20年)には、歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)としてユネスコの無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」へ記載されました。
歌舞伎は、日本を代表する伝統演劇のひとつです。1603年(慶長8年)に京都で、「出雲阿国」(いずものおくに)が中心となって演じた「ややこ踊り」、「かぶき踊り」がはじまりとされ、江戸時代に発展しました。のちに、江戸幕府の風紀取り締まりによって女歌舞伎から若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へと変化しています。
女性が舞台に立つことを禁じられたため、女性の役を「女方」(おんながた)と呼ばれる男性が演じるのも歌舞伎の大きな特徴です。また、伝統ある独自の衣装や化粧、鬘(かつら)、大道具、小道具、舞台機構、多彩な音楽、拍子木(ひょうしぎ)、ツケ(効果音)などが一体となった総合的な演技演出様式にも心を奪われます。
江戸時代初期から中期にかけて、飛躍的な発展を遂げた歌舞伎は絶大な人気を博し、著名な歌舞伎役者や歌舞伎の舞台を描いた「浮世絵」(うきよえ)は飛ぶように売れました。さらには、「源義経」、「武蔵坊弁慶」(むさしぼうべんけい)、「武田信玄」、「上杉謙信」、「織田信長」といった武将ファン・刀剣ファンにもなじみ深い武将達の逸話を題材とした演目も人気が高く、浮世絵に残されています。
工芸技術のカテゴリで取り上げるのは、「金工」(きんこう)の分野に分けられる日本独自の日本刀鍛錬の技術です。金工の分野では、日本刀をはじめとする武具のほか、仏具、茶器等を制作する「鍛金」(たんきん)や、「彫金」(ちょうきん)、「刀剣研磨」などが重要無形文化財に指定されています。
重要無形文化財保持者、つまり人間国宝に認定されている「刀工」は6名。刀剣研磨を専門とする「研師」(とぎし)の人間国宝は5名です。
今回は、刀工の「隅谷正峯」と、研師の「藤代松雄」にフォーカス。「刀剣ワールド財団」が所蔵する、刃文が印象的な隅谷正峯作の打刀(うちがたな)と、「来国光」(らいくにみつ)の太刀(たち)をご紹介します。研師の藤代松雄が来国光の研磨を行ったとされていることから、「刀剣ワールド財団」所蔵の同銘作を取り上げました。
本刀の銘にある「傘笠正峯」は、隅谷正峯のこと。本名は「隅谷與一郎」(すみたによいちろう)です。1921年(大正10年)生まれ。大学卒業後、「桜井正幸」(さくらいまさゆき)に学び、独立したのち「日本刀鍛錬所傘笠亭」を開設しました。
1970年前後(昭和40年代)には、最も優れた新作刀に贈られる「正宗賞」を3度獲得。また、隅谷正峯が手掛けた「天下三名槍」(てんがさんめいそう)のひとつ「日本号」の写しは、現存する写しの中で最高傑作と称賛されています。
地鉄(じがね)や刃文の研究にも熱心だったと言われる隅谷正峯は、鎌倉時代の備前刀を得意とし、「隅谷丁子」(すみたにちょうじ)と呼ばれる独自の刃文を完成させました。本刀においても華麗な刃文は存在感を放ち、人間国宝が極めた技を垣間見ることができます。
本太刀の作者である来国光は、鎌倉時代中期から山城国(現在の京都府南部)で活躍した刀工一派「来派」を代表する名工のひとりです。作品への評価は非常に高く、現存刀のうち3振が国宝に、21振が重要文化財に指定されています。
刀剣研磨で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された藤代松雄は、「早研ぎの名人」と称された父「藤代福太郎」より日本刀の研磨技術を習得。その後、写真技術を最高度に活用して、茎(なかご)に切られた銘や、再現不可能と思われた地鉄の状態、刃中の働きなどを写す手法を考案し大きな注目を集めました。
藤代松雄は、古刀から現代刀までの研究に打ち込み、それぞれの特性を熟知。日本刀1振1振の優れた点を活かす技で、来国光の作品をはじめ多くの名刀・文化財の研磨を担ったのです。