第263回:あの「豪華客船座礁事故」の島に行って思ったこと
2012.09.21 マッキナ あらモーダ!第263回:あの「豪華客船座礁事故」の島に行って思ったこと
クルーズ客船「コスタ・コンコルディア号」
2012年日本を騒がせたイタリア関連ニュースの代表といえば、間違いなく豪華客船の座礁事故だろう。
1月13日夜のことだった。イタリアのコスタ・クロチェーレ社が所有するクルーズ客船「コスタ・コンコルディア」がトスカーナ南部ジリオ島の浅瀬に乗り上げて浸水、転覆。乗客・乗組員合わせて4299人のうち30人が死亡、2人が行方不明となった事故である。
事故発生後1時間近く経過した後に避難命令がアナウンスされたことに加え、客船のスケッティーノ船長が乗客救助を後まわしにして下船していたとされる報道は記憶に新しい。
イタリアではその後、さまざまな関連ニュースが続いた。例えばスケッティーノ船長が事故当時、モルドバ人女性と船内のレストランで食事をしていたとされる話がクローズアップされた。この女性は以前クルーとして乗務していたが、今回は休暇扱いで、それも乗船名簿に記載されていなかったという。
スケッティーノ船長は今も自宅勾留のまま海難審判を待つ身だが、7月には民放テレビ「カナーレ5」のインタビューに登場。犠牲者に哀悼の意を表したものの、同時に「私自身も被害者」「これは事故であり、犯罪ではない」とも弁明した。さらにジリオ島民に“あいさつ”するため意図的に航路を逸脱し、陸側を航行したという事実も否定した。
クルーズ船旅行ビジネスも話題となった。
「2012年の予約は、事故の影響で壊滅的打撃を被る」という当初予想とは裏腹に、各社とも2012年7月と8月は満員となった。各社が割引価格を次々と打ち出したことが市場の活性化につながったらしい。
同時に活況といえば、事故現場となったジリオ島への観光客の数にも注目が集まった。ウェブニュースサイト「TMニュース」が8月初旬に伝えたところによると「座礁事故の後に島を訪れた観光客は明らかに増えた」とジリオ島の村長が証言している。また、同ニュースによると座礁船の近くを通るボートツアーも客が倍増したという。
それで思い出すのは、ボクの知り合いでシエナに住む定年退職者のおじさんだ。ある日息子を連れて、ジリオ島まで日帰りで行ってきたという。このおじさん、日頃は隣町のフィレンツェにも行かない人だけに、ボクは驚いたのだ。
思いついて、あの島へ
そして先日のことである。今年最後の海を楽しもうとわが家から120kmくらいの、モンテ・アルジェンタリオという海岸に向かってクルマを走らせた。しかし、到着してみると曇りで少々肌寒く、海で遊ぶような天気ではない。計画を急きょ変更することにした。
そこで思いついたのがジリオ島だった。近隣の小さな港ポルト・サントステファノから船が出ているはずである。あのコスタ・コンコルディア号をこの目で見てやろうと思った。
前述のおじさんが日帰りだったというし、もはやハイシーズンを過ぎた9月である。乗船はさして面倒ではないはずだ。港にたどり着くと、乗船券売り場はすぐに見つかった。所要時間は約1時間で、料金は往復で19.6ユーロ(約2000円)である。いっぽうクルマは全長4メートル以下のタイプでも70ユーロ(約7100円)かかる。窓口のお兄さんは「今から日帰りならクルマを船に乗せるのはあまり得とは言えないな」と言うので、クルマは放置してゆくことにした。
「あと10分で出航。そのあとは2時間後だよ」とお兄さんはボクをせかす。そんなこと言ったって、クルマの置き場所がないヨ! と思って聞くと、すぐ隣が有料駐車場だった。1日15ユーロ(約1500円)を払ってクルマを置き、目の前のフェリーに飛び乗った。
乗船してみると、お客の大半は大きく分けてイタリア人とドイツ語圏の人だった。多くの人は出航するやいなや、デッキに出て行く手を眺め始めた。誰もが少しでも早く座礁船を発見しようとしているのがわかる。
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事故現場が語りかけるもの
ようやくコスタ・コンコルディア号が確認できたのは、45分ほど経過してからだった。やがてボクの乗ったフェリーはその真横を航行した。人々は一斉にシャッターを切ったりビデオを回し始める。
しかしボク自身は、前述のように何でも見てやろう根性でやってきたものの、実物のコスタ・コンコルディア号を目の前にした途端、いたたまれない気持ちになった。30人の尊い命が失われた事実があるのだ。交通事故現場の脇に花が添えられているのを目撃したときと同じ気持ちだと言えばわかっていただけるだろうか。
同時に、華やかなクルーズ客船が、無数に浮いたさびと、岩に衝突した際に空いた穴で変わり果ててしまった姿は、いち乗り物好きのボクの涙を誘った。
フェリーが着いた港と座礁現場は、まさに目と鼻の先だ。ビーチでは地元のおばあさんが、「まったく、8カ月もたっていまだ撤去できないとはねぇ〜」と、撤去作業の遅さを嘆いていた。参考までに目下の計画では、完全撤去は2013年までかかる見込みである。
同時におばあさんは、一時は恐ろしい数の報道陣が島にあふれたことも話してくれた。ジリオ島の人口はわずか1400人で、面積は東京都品川区よりちょっと大きい23.8平方キロメートルしかない。そこに欧州中のメディアがいきなり押しかけたのだから、その混乱ぶりは想像に難くない。
岸壁の一角に大きなテントが張られていたので別の島の人に聞くと、「事故対応のために、沿岸警備隊が張ったものだよ」と教えてくれた。彼らのさまざまな仕事はまだ続いているのである。
もちろん事故の真の原因は何だったのかについては、海難審判の推移を見守らなければならない。そのうえボクは海難事故のエキスパートではないから、浅はかな推理は避けねばならない。
しかし現地に立って、いやがうえにも見せつけられるのは、座礁地点があまりに陸から近いことである。日中に見ればこんなに至近距離にもかかわらず、闇の中、恐怖とともに避難した乗客のことを考えると、いたたまれなくなる。
1954年に青函航路で起きた洞爺丸(とうやまる)事故も、夜間に海岸からわずか数百メートルのところで転覆しているのを思い出した。
また、これだけ船体が傾いてしまっていたら、たとえ救命ボートが装備されていても、脱出するのに困難を極めたことが容易に想像できる。事実多くの乗客は、救命ボートまで到達するのに、傾いた左舷の上を歩かなければならなかった。
事故は恐ろしく単純な地点で起きる。夜は魔物。そして安全デバイスが常に万能とは限らない。その座礁船は日頃クルマを運転するボクたちに、大切なものを語りかけていた。
リピーターで潤ってほしい
そうしたなかで、ボクが島のために期待したいのは「リピーター」である。島には大資本のリゾートホテルもブランドショップもなければ、大型スーパーもない。港では三輪トラック「アペ」がネコを避けながら行き交う。これはボクの持論にすぎないが、アペがある所は平和である。
商店のおばさんたちは、お客が来るまで涼しい木陰に座って、隣の店のおばあさんと会話を楽しんでいる。海は港の間近でも澄んでいる。係留されている船を見ても、これ見よがしなクルーザーはいない。その限りなくのんびりとした光景は、同じトスカーナでも妙に観光地化してしまったエルバ島よりも好感がもてる。
たとえ今回はコスタ・コンコルディア号見たさに興味本位でやってきた観光客も、また来たいと思わせる魅力が、この島にはある。
平和な島に降って沸いたアクシデントへの代償と、事故当日自宅を開放してまで懸命に乗客を助けた島民のために、せめて多くのリピーターが島を潤してほしいと思ったのだった。
(文と写真=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)
大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、23年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。