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獅子文六が苦言「少しハデ過ぎはしないのか」
結婚式といえば過度な豪華さ、無駄遣いへの批判がつきもの。読売新聞の紙面でも、戦前から記事、寄稿、読者投稿などで折々に論じられてきた。大人にとっては苦言を呈したくなるものらしい。
例えば69年(昭和44年)5月9日夕刊では随筆「東風西風」に作家の獅子文六が「近時の結婚式」と題したエッセーを寄稿している。<昭和元禄というのか、このごろの結婚式披露宴は、少しハデ過ぎはしないのか。過ぎたるものが、二つある。一つは花嫁の色直しという風習。もう一つは、来客に出す引き出物>。同年9月29日朝刊婦人と生活面には生活評論家の山本松代が「ときの目」欄に<借り着の結婚式や色直しの無意味さ>と題して寄稿し、<私は以前から、このかつらに借り着に色直しという習慣が、あまりにも薄っぺらな形式主義と見栄(みえ)にすぎるように思えて気になっている>と書いている。71年(昭和46年)6月2日朝刊気流面には東京都の神社で神主を務める男性が<結婚式はショーではない>と、気楽な態度の列席者たちを戒めている。
この神職氏の投書の中に、興味深い記述がある。<元来、結婚式は神前で行うものではない。双方どちらかの家で「高砂や……」のうたいで式をあげ、そのあと氏神様に報告に参ってお祭りをしてもらうのが本当である>
つまり、神前結婚式は古来の伝統的な様式ではない、という。宗教学者の島田裕巳さんも著書「神社で